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息子と自分の心が泣いている

息子がノロウイルスにかかり、自宅保育4日目
すっかり元気になった今日が一番しんどかった。

一日中子どもの言いなりになる暮らしに限界が来て、母子共に泣いていた。
お互いに、お互いが思い通りにならないことにブチギレていた。

今日は昼寝をしなかった。それがトリガーだった。
昼寝の時間が束の間の息抜きだったのでそれが無くなると本当にきつい。
エネルギー切れ。

こちらだってそんなにイライラしたり、怒ったり、大声出したりしたいわけじゃない。
本当はいつも笑顔で優しい母親でいたい。
それが叶わないことがつらい。
お願いだから怒らせないで欲しい。
お願いだから困らせないで欲しい。
そんなことばかり考える。

最近「自分を変えたい、変わらないとこれからもしんどいままだ」と思ったのでいろいろ取り組んではいる。
その中で、感情は自分で選んでいるということを学んで、実際その通りだと思ったのだけど
怒りの最中にいるとき、怒り以外選べない。
100%の怒りがそこにある。
耐えられない。
耐えられない耐えられない。

悲しい。
悲しい状態に自分で仕向けているのかなとも考える。
身近な人にわかってもらえない自分
孤独な自分
子どもの相手すらできない自分
全くもってダメな自分
前提条件として自分はダメだから、ダメな自分を演じている。
そこまでわかっているし気づいているのに変われないままでいる。

どういうところが怒りのいちばんの原因かと分析すると
思い通りにならないことだと気づく。
子どもが自分の思い通りにならないことなんて当然だし、わかりきっているのに。

昼寝をしてほしい、危ないことはしないでほしい、おかしばっかり食べないで欲しい。
これは親のエゴだ。そこまでわかってるけど、やっぱりイライラする。

最近読んだ毒親系の本で、子どもに怒りの感情が湧く時、過去に対しても怒っているという考えを知った。
ならばわたしは誰かの思い通りになりつづけてきたことに怒っているのだろう。
思い通りにならない息子に怒りながらわたしを思い通りにしてきた人たちに怒ってる。
思い通りになることをよしとされてきた。だからこの生き方をしてきたのに。
ここまで自分を犠牲にしてきたのに報われない。
自分軸がないことで悩んでいるのに、こういう部分に驕りはある。

子育ての息抜きに一人時間とか楽しんでみても、対処療法でしかない。
結局自分の過去ごと癒さないとうまくいかない。
インナーチャイルドを癒すとか育てるとか、そんなことに興味がある。
子育ての前に自分を育てないと何回も繰り返す。


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