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育児と仕事の両立が難しくなるまでの歴史を学んで親への感謝がうまれた話

「共働きの社会の限界」というサブタイトルに惹かれた。
まさに今、限界を体験しているから解決方法が知りたかった。

本書は、結婚や家族についての学術的な見方をまとめあげたものであり、何かしら現在の家族に対して否定的、あるいは肯定的な評価を下すものではありません。
いってみれば、本書は結婚や家族についての「教養本」です。


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古代の日本では、経済の拠点は家だった。
衣・食・住に関わる全ての事についての
「有償労働(価値あるモノを手に入れる)」と、
「無償労働(家事・育児・介護などのケア労働)」
の境目は、あいまいだった。

産業革命と工業化により、家庭と仕事場が分離し、
夫は仕事場へ行き「有償労働」を行い、家庭では妻や子が「無償労働」を行うようになる。
家事使用人と呼ばれる家政婦・女中が住み込んでいる家庭もあった。

経済成長期には、性別分業が一般化し、コストが高くなったため家事使用人が家庭から姿を消す。

ここまでが1970年くらいまでの話。

私が生まれた1980年代には、経済成長がストップ。
男性の失業率の上昇、賃金の上昇幅の縮小が起こる。

日本では相変わらず
妻が家事・ケア労働を行う。
「妻のいる男性」を想定した働き方を要請する社会のままだった。

そのころ、
北欧では、政府からケア・サービスが提供される(ケアの社会化)。
政府が雇用するのは女性。家庭内でも外でも、女性が相変わらずケア労働を行っている。

アメリカでは、夫婦ともにフルタイム勤務、民間のケア・ワーカーを雇う。
民間企業の女性管理職の比率は、北欧より高い水準になる。

日本でも、北欧のようにケア労働に対する公的資金の大規模な投入が行われれば、夫婦共働きのしやすい社会になるのでは、ということだった。
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1980年代、両親は経済成長のストップという大変な時代に私の子育てをしていたことを知った。
母は手に職を持ち、バリバリのキャリアウーマンだった。
父はこの本にある通り、職を失った。
母は有能だったし社会に適応する能力もあった。男社会で戦っていた強い女だった。
父は姉妹に挟まれた長男で、男としてのプライドの高い人だった。
職を失って、社会性も失った。でも子煩悩で自由な雰囲気だったから好きだった。
「男らしさ」「女らしさ」とは逆に見える道を進む夫婦はうまくいかなかった。
あの頃、お互いの得意なことを活かして認め合ってリスペクトし合えていたら、うまくいったのだろうな。
「男らしさ」「女らしさ」というのも、時代の変わり目に一瞬だけ存在した、変な概念なんだろうな。
そんなものに振り回されたのかと思うと悲しくなる。けどそれが現実。

自分の子育てについての悩みを解決したいと思って、この本を読んだけど、
親が私を育ててくれた時代への理解も深まりました。

自分を知ることは、親の事を知ることにもつながるんだなぁ。

自分も親になってみて初めて分かる親の気持ちよ。

感謝。



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