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同調圧力


人の人権を無視して、
人の存在を自分のものとして支配し抑圧することは、
相手の人権を奪うだけではなく、
そのことにより自分もまた
人間としての人格を見失ってしまう問題である。
             尾畑文正 

なんか、ここ最近、ひとつ思うのは、
「こんなときだから敢えて明るく、SNSなんかを駆使して、
ひとりじゃないことを確かめて、明るく過ごさなきゃダメ!」
みたいな空気が、あまりにも蔓延しすぎている気がする。
それが、他人を、自らを、
追い込んでいるのではないかなと思う。
なんか無理して明るく、無理して楽しんで、無理して笑って、
寂しい、孤独、一人っきり、っていうのを覆い隠して、
無理くり自分に嘘ついて、強がって、って人、
結構多いんじゃないかな。
「いい子でいなきゃ」空気もなんかなぁ。。。
「皆で頑張っているんだから!」っていう圧も気に入らない。
孤独は悪、というのも気に食わない。

やばい😅

いつものことながら、だんだん言葉が尖ってきた😅

同調圧力が個を追い詰めている。

みんながではなくて、自分で考えようぜよ、悩もうぜよ。

自分にあった気の抜き方とかさぁ。
本読むの嫌いなのに本を読む必要もないし、
SNSとか、PCとか好きでもないならやる必要もないし。
いや、なんか、「落ち込んじゃいけない!」みたいな空気が
気に入らないだけです、あたしゃ。

思い出したわけですよ、
ポジティブ・ネガティブって言葉が踊りだした頃の苛つきを。

さて、それでもって今日の言葉とどう繋がるのかといいますと、
ま、一週間やってみて、今更なんですが、
わたしの頭というか、感覚の中では思いっきり繋がっているのですが、
ほとんど繋がりが、他者からすれば見えないよな、と。
それでいきなり話があちこちに跳び、
とっちらかってしまっているようです。

で、無理くり今日の言葉と繋げようとしちゃいます今日も。

人権てものは、
法律や条例で定めるものではないんだよね、本来は。
あくまで「本来は」。
でも、定めないと、なんかちゃんと言葉にしておかないと、
すぐにのけものを作り、弱者を作り、
それが自分の立場を良くすることだと勘違いするから、
人間ていう、過去から学べない、物分りの悪い、
手に負えない厄介な生き物は。

人権は、理屈も理由もない、時間も場所も関係ない、
貧富も性も関係ない、社会的な善悪も関係ない、
ただ在るというその一点、
無条件であるもの。

そこに立たないと、
条件付き人権という勘違いも起きるし、
常識的人権みたいな変な風潮に陥る。
法律のほうが人権よりも上になってしまう。
それは、もう人権ではなく、
社会という場所に住むための居住権でしかない。

そりゃ、社会で生きる以上は、
「居住権」はひとりひとりが、
どんなんだろって?って悩みながら、
生活することは大事だろう。
でもそれにしたって、
悩むこと自体を、悩むべき「問い」までも、
いちいち、空気を読みながら決める必要は一切ない。

ともかく、みんなといっしょである必要はない。

「同じ」って、
安心があるのかもしれないけど、
おもしろくないじゃん。
じゃぁ、違わなきゃならないのかっていうと、
それも違う。
おもしろくなきゃならないわけでもない。
なんって言うのかな、
みんなといっしょ、でも、みんなとちがう、でも、
どっちでもいいんだよね。

いっしょだろうが、ちがかろうが、
いつでもどこでも、
主役はわたし。

主役はさ、
脇がバシッと固めてくれて、
スタッフがビシッと決めてくれて、
観客がいて、
初めて成り立つ。

だから、主役である自分を、
大事に大事に、
自らが悩み、育むことは、
脇役、スッタッフ、観客をすべて大事にすることに繋がる。

だから、
安心して、
自分に真摯に目を向けていけばいい。

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