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「根本的問題があるのだから、飽きようがないだろ、生きるの」ってことかな。

自分自身を受容できているか。
自分で自分のことをどれだけ受け止められているか、自分の障害(*1)を自分が理解できているか。
周りにわかってもらえないと言っているのは、じつは自分でわかってないということです。
周りにわかってもらって、じゃあどうしたいのか。
本当はそこが大事だと思います。

*1、身体的、精神的障害だけではなく生活や仕事、人間関係での障害も含めて。

            玉木幸則


毎日毎日うだうだと書き連ねているが、何が言いたいのか、何を考えているのかが、自分自身でわかっていない。

だから、この書き連ねる作業は、本当に勉強になっている気がする。

書けば書くほど、自分の頭の中にあるものが、コトバという画にできていないことに気づける。
つまり、わたしの語彙力ではとてもとても、人様に自分の考えをお伝えできることなんぞ難しいのだな、と思い知らされながら続けている次第。

それを読まされる身にもなってみろ!

😅😅😅😅😅

そういえば、かつて付き合っていた方に、「ちゃんとコトバにしてくれなきゃ何を考えているかわからない!」とよく叱られていたが、そのときは、うちらの時代、世間でよく言われていた、〈日本人の男の多くは言葉が足りなくて思いを伝えられないのがよろしくない〉〈愛してる、好きだ、綺麗だね、かわいいね、そういう言葉をちゃんと伝えるように務めるべきだ〉的なことだとばっかり思っていて、「そんなもん男としてチャラチャラ言えるかよ!」「男の美徳は無口なことだ!」とこれまた思いっきり昭和な今どきでは通用しない勘違いで流していたのだが、そもそも、そのお付き合いしていた方のコトバの本意を勘違いしていたのでは?と思わされている。

つまりだ、いっぱい喋ろうが、何時間説明しようが、お前の言っていることちゃんとコトバになってないし!、ってことだったんかなぁ〜😅、と。

そりゃ振られるわけだぜ、片っ端から。

頭の中に浮かんだ「□△○」をコトバにすると「囲みと隔たりがうまくいくじゃない」みたくなってしまって、「こいつは何を言っているんだ?何が言いたいんだ?」となれればまだいいが、そこまでもいかず、「???え?なんだって???」で終わってしまう。
そりゃ〜、意思の疎通ってやつができないし、意思の疎通ができないやつは面倒くさいだろうし、一緒にいるのはしんどくなるもんだろう。

そう考えると、いろいろと仕事でも友達付き合いでも、なるほどねぇ〜!、と思わされることばっかりだ。

自分が何者で、自分が何をしたくて、何を伝えたいのかが、自分自身ですらわかっていない。
自分でわかるためには、大方の人間はコトバという形にして考える。
コトバに色を付けることもあれば、立体的にすることもあれば、音階をつけることもある。
様々な方法で言葉を使って、デッサンをし、画にしたり、造形物にしたりして、自らのことも探っている。
そして人に渡すときには、それをわかりやすくするために装飾や説明をつけたり、敢えてそのまま渡したり試行錯誤の上、苦労をして渡す。
それが、得意な人もいれば、不得意な人もいる。
で、問題なのは、わたしのように、自分はそれなりにできていると思っているできていない奴なのだろう。
そういうやつは、自分ですら自分が何を考えているのかがわかっていないことにすら気づいていない。
プラス、素晴らしくわかりやすくして相手に渡していると思い上がっている。
だから、相手がわからないと、こんだけわかりやすく言ってんのに「ざけんな!」と逆ギレモードに入る。
こまったもんだ。

自己とは何ぞや。
これ人生の根本的問題なり。
        清沢満之

ま、根本的な問題であるのだから、最期まで諦めることなく問い続けていこう。


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