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呪縛の鍵

不公正で不公平な社会に生きるためには、
人は抑圧の影響を和らげるため
感情を抑え込み、否定するようになる。
自分の感情を停止させ、
他者との関係をも断ち切ることを要求する。
       ダイアン・J・グッドマン

飲みに出るのは悪
都道府県をまたいで出かけるなんてありえない
自制しろ
自粛しろ
自衛しろ
オレが笑えないのに
なんでおまえが笑っているんだ
自粛警察として許さん!
悪だ、悪だ、悪だ
楽しんでいるやつは悪だ!

こんな世の中
こんな社会
だれも望んでいない
人の涙を見て溜飲を下げるような
そんなさもしい人間がいるような社会
だれも望んではいない
溜飲を下がてないだろ?ホントは。
ますます
気が滅入って
苛ついて
閉じこもって
だれもが敵に
だれもが自分を監視している
そんな既視感のただ中にいるんだろ

でも
このコロナウィルス禍が終息したとしても
このままじゃなにも変わらないよ
隣の芝生を気にして
人の不幸を喜んで
ストレスを発散できていると思っている以上
自分の首を絞め続け
息苦しく生きていくしかない

それは
どこに住もうが
なにを生業としようが
だれと結ばれようが
どれだけ稼ごうが
どんな車に乗ろうが
変わらない

居るカテゴリが変わっただけで
そこに居続けるために
新たな抑圧がアナタを縛る
アナタを縛る鎖は
誰でもないアナタ自身のもの。
錠前を外す鍵も
アナタが持っている。

カテゴリにハマることは
そこに居続けることは
それを第一義と錯覚させる

自治体
会社
趣味
サークル

思想
宗教
etc...

全てのカテゴリを疑って掛かれ
思想、宗教ですら。

え?坊主がいう?

いや、
だからこそいう。

宗教=信心
そこのとこからちょっと説明というか
ま、こんなことかな、って話。

自分が信じていると思っている
その宗教の教えそのものを
わたしはちゃんと見えていない。
わかっちゃいない。
自分の都合で、
自分に都合よく解釈しているにすぎない。
その
自分が作り上げた「宗教」を疑え

信心は一番疑え
信心なんてあろうはずがない
都合が悪けりゃ
自分の思い通りにならなけりゃ
神も仏もあるものか!
って簡単になる。
自分にあるのは
信心ではなく
ご都合主義のみ
だから疑え

疑いは
そのカテゴリに居ることを
やめさせるわけではなく
そのカテゴリにあるための
自分が勝手に作ったルールに縛られないための鍵だ。

それでも
そのカテゴリが縛り付けてくるなら
そこがおかしいのかもしれない
もしくは
そこにいる人間の共通認識がおかしいのかもしれない。
多数決で作っただけの
社会ルール
社会常識
社会通念
そんなものにも縛られない
互いに模索して
常に変化できる
多数決ではなく
今必要とされるルールを
互いに作っていく

所詮は
絡み合って
うだうだと悩み合って
面倒な作業をしていくしかない。
でも
それをするのとしないのとでは
大きく違う

自分で自分を縛り付けるのでもなく
互いに縛るのでもなく
縛り付けているものを
解いていく作業だ

どんだけ
見た目がきれいな場所を作ろうが
それがないところは
互いに監視をする
互いにルールを破ったものを許さない
寛容のまったくない
息苦しい場所でしかない。

他者を認められない社会
他者を許せない社会
そこは
あなた自身が社会に
がんじがらめになっている場所だ

許せないと思ったその時が
気づきのチャンスでもある

縛られている?
息苦しい?
生きづらい?

そんな問を投げかけてみよう。




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