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カレーうどんと無知の知

いま私たちを取り巻いている科学的知識主義というものが、どれだけ、ものの真実を見えないようにしているかということがあるわけです。

          小川一乗

#カレー南蛮うどん を食べた。
最近は、外食の場合、#カレー南蛮蕎麦 ばっか食べていたので、カレー南蛮うどんは久々だ。
昔は、「カレー南蛮蕎麦ぁ?カレーはうどんだろ!」、て感じだったが、いつのまにかカレー南蛮蕎麦に走っていた。
自分なりに理由は分かっているつもりだ。
讃岐うどんブームとともにやってきたコシのあるうどん。
コシがないとうどんは嫌われる世界観が世を席巻し、カレーうどんにまでこしのあるうどんを使い出した。
ひでぇ時には鍋焼きうどんにまでコシがつきまくってた。
邪魔なコシだぜ!
とともにカレー南蛮「うどん」はわたしの中から選択肢として消えていった。

コシのあるうどんが嫌いなわけではない。

讃岐うどんも武蔵野うどんも好きだ。
が、コシも時と場合による。
街の大衆的な蕎麦屋、テンヤモノ系蕎麦屋でコシのあるうどんとか望まんし、手打ちの蕎麦も望まん。
うどんは気持ち柔らか目。
蕎麦は4割くらいうどん粉の蕎麦。
うどんもそばもノビてもブチブチ切れることなく、煮込んでも食べれる感じのがいい。

だいたい、いつから #カレーうどん のカレーとうどんの間に「南蛮」が入ってくるようになったんだ! 
 カレーうどん #カレーそば がいい。

で、年寄は頑固なんで、自分のあり方に意固地なんで、今日も
「カレーうどんください」
と、南蛮を言わない。

今日、カレーうどんを食べたのは東所沢にある「 #粉縒 」(こより)という #手延べうどん のお店。
わかりやすくいうと、讃岐系ではなく稲庭系のうどん。
手延べうどんは家でカレーうどんを作る時によく使うので、
「ここならカレーうどんもいけるだろう!正しいカレーうどんが食べられるはずだ!」
ということでカレーうどんに。
案の定だ。
うどんはカレーが染み込むほど柔らかく、それでも軽くコシがある。
何よりノド越しがいい。

確かに、昔、食べていたカレーうどんに比べると少し高級な感じというか、お上品さは出てしまっているが、うまかったので正解だった。

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これを打っていた今、 #銀だこ#たこ焼き のさしれが!

最高だ!

先日来、食べたいけど、食べようかどうしようか迷っていたのだ。

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時を戻そう。

ハズ😋
今さらながら使ってみた、ぺこぱ松陰寺。

無理は良くないな、やっぱ😅

閑話休題

こっちのほうがやっぱしっくりくる。

カレーうどんはやっぱ美味いなぁ。
自分の勝手な思い込みで、長いこと忘れていたカレーうどん。

思い込みは時として間違った正しい知識として刷り込まれてしまう。

そのために本当のところを見ようと、聞こうと、学ぼうとしなくなる。

とてもよろしくない。

カレーうどんを食べ、最後に出汁を味わっている時に気が付いた!
「そうだ!同じカレーで、どうしても手を出せない、食わず嫌い、というか、思い込みで嫌いと決め込んでいるものがある!」と。

それは

スープカレー。

あの見た目と、どう考えてもカレーライス・ライスカレーと一線を画すと思えてならないカレーを食べたことがない。

夕食を友人と食べるときも、スープカレーの美味しいお店は適当なことを言って避ける。
「あ!ごめん。昼にカレー食べた」とか、嘘言って。

でも、カレーうどんの出汁を美味しく飲みながら、
「でも、そうか、こういう感じだもんな、スープカレー」
と、北海道の方やスープカレー好きな方からすれば、とんでもな嘘情報を自分で作り上げ、擦り込み、思い込み知識へと変換。
ま、それでも、スープカレーを食べてみよう、まで気持ちが動いたので勘弁。

ま、知ったかぶりでいるよりか、知らないでいることを知っている方が楽しいのは間違いがない。

カレーうどんの美味しい讃岐うどんもきっとある。
あ、わたしにとって美味しい、という意味ね。

スープカレーにいたっては、きっと食べてみたらびっくりするかもしれない、美味しさに。

だいたい、美味しい不味いだって、自分お口に合うか合わないかだけだし。
本当に美味いかなんてわからない。

子供の頃に京都で懐石を食べた時に、あまりの味の無さに。心のなかで「こんな味のしないもん食えるか!」と感じていたが、今ではあの味、大好きだし。

だし巻き卵にいたっては、東京のだし巻き(卵焼きでなくてね)なんて、甘みとか余分な味が入っていて好きくない。
だし巻きは、やっぱ京都のだし巻きが美味い。
でもこれも、けっこう大人になってから思うようになった。

いろいろと知らないことを知ることは楽しい。
学んで知る、知って学ぶ、その歩こそが人間の生きがいである。
それがないと人間は生きているという実感が得られない生き物だ。

そのためにはいつでも自分を無知に保つことを心がけること。

いつでも新鮮に知ることのほうがいい。

真実は知識ではわからない。

だから真実を知りたがっていれば、いつまでも飽きは来ないってこった😁

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