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隣の芝生はあおいんだ。

もし私に人間の性の善であることを疑はせるものがあるとしたら、それは人間の心における嫉妬の存在である。
なぜなら嫉妬は狡猾に、闇の中で、善いものを害することに向って働くのが一般であるから。
         三木清

今日は、午前中からずっとPCの前で中継を見ていた。

午前中は
関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典

午後は
大逆事件を取り上げた講演
「大逆事件を生きた父と娘」
講師:嶽本あゆみ

差別と戦争と格差社会

大変な一日
考えさせられすぎて
それとなれないPC放映で疲れたので
なんもない、正直。

まとまらない。

このあたり
後日まとめたい。

今の日本の社会状況
世界情勢とめちゃくちゃリンクしている。

こわいよね、いま。

嫉妬あるよね。

隣の芝生、あおく見えるよね。

隣の人が立派だと貶めたくなるのが嫉妬の行き着く場所。

あおい芝生を観て
素晴らしいですね
うちのもうちなりにいいでしょ
そんなこと言えないよね。

比べなければ前に進めない
人間の性。

隣より良くならないと自分が惨めな気がしてしまう。

結局自信がない。

差別
集団化

弱者を叩く人間の弱さ

気がつくと自分がそこにいる。

他人事ではない。

自分にも人を妬む心はある。

自分にも嫉妬はある。

その心が善くしていく世界もある。

ここまで格差社会が進めば
すでにここまで社会が差別を許すようになっている。
それならば比べる必要がある。

自分の秤を疑ってかかれ。

おまえはおまえでちょうどよい。
あなたはあなたであることにおいて尊い。

この秤で自分の量ったものを量り直して
そこに自分の思惑が、邪がみえたら
素直に認めよう。
この計量は間違っていると。

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