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生活の余分

どうしてなんだろうと   まど・みちお

どうしてなんだろうと
おもうことがある

なんまん なんおくねん
こんなに すきとおる
ひのひかりの なかに いきてきて
こんなに すきとおる
くうきを すいつづけてきて
こんなに すきとおる
みずを のみつづけてきて

わたしたちは
そして わたしたちの することは
どうして
すきとおっては こないのだろうと・・・

ここ2日
ほぼエアコン無しで過ごせた。

ほぼ、というのは
一昨日の晩は、まださすがに建物の温度が下がりきらず、それと湿度で、寝室のエアコンだけは寝る前に小一時間付けて部屋の湿度と温度を下げてから寝た。

昨日は、昼間、仕事の際、来客用に付けたのみ。

で、今日はいまのところノンエアコン。

身体は楽だが、疲れがドッと出だしている。

エアコン、特に冷房にいつからこんなに身体ついていかなくなったのか。
昔は冷房大好きだった。

省エネがささやきだされた頃
室温は28度に設定しましょう!運動が盛んだった。
まだ、事務職員時代だった。
当時の事務所のまとめ役だった青年はその環境省が出した省エネ環境対策を呑み、28度に設定するよう言ってきた。
女性の職員は
「それでいい!」
と、喜ばれてその提案を歓迎されていた。
男性職員の多くは
「暑くて仕事にならん!24度にしろ!」
と、猛反発!
間を取って26度にしよう、となんとかしようとしたが、女性職員の非難の視線に負けて28度(案)が可決、採用された。

しかし、往生際の悪いヤロー共はスキをぬっては室温を一気に下げに行く。
そ〜と、バレないように、24度。
ようやく涼しくなってきたなぁ〜、と思いだしたら、女性職員があたり前のようにエアコンの操作パネルまでズカズカといき、バンバンバンと28度まで上げはる。
なんかモンクある!というオーラが身体から滲み出てらっしゃる。

「あれ?どうもちょっと寒いなぁ〜、って思ったら、室温設定が低かったんだぁ〜。。。えへへへ」と、だれとはなしにヤロー共はごまかす。

あの頃はまだ、冷房様様だった。

30代の頃は、寝るときに冷房を最低に設定(17度だったかな?)して、冬がけの布団で寝るのが大好きだった。

いまでは、できれば冷房無しで過ごしたい。
でもそれだと死んじゃう。
だいたい温度計を見ないと、今日が暑いのか寒いのかも今ひとつわからなくなりつつある。
自分の体感がだんだん、いや、もう信じられなくなってきている。
数字で見て、今日は暑いんだ!
そんな日もある。
現にいまも28度あるらしいが、感覚的には22〜3度の感じで涼しく感じている。

28度って、子供の時分、東京あたりだと夏の気温だよ。
「暑いよ〜!」ってうだっていた気温だ。
30度なんてめったに超えない。

それがいまじゃ、39度とかになるし、30度でも涼しく感じてしまう。

最近は、当時の女性事務員の皆さんお気持ちが少しわかりつつある、寝る前くらいだけど。

昼間はやっぱ、28度の設定ではキツイ、未だに。

東日本大震災による福島原発事故で、電気に頼りすぎている生活の問題、電力の無駄遣い、東京に住みながら東京以外の場所に原子力発電所を任せてしまっていたことをまったく認識していないという愚かさを思い知らされた。

昨年の台風15号で、東京湾で勢力を増す台風、海水温がそれだけ上昇していることを思い知らされ、環境の問題を現実問題として直面していかねばならないと思い知らされた。

でも、実生活に戻るとすぐにその場の快適を優先してしまう自分が確実にいる。

実生活と書いたが、そこに実がないのかもしれない。
ただその場をどうするかでしか過ごしていないのだから、生活自体が滞ってしまっているのだろう。

流れていない生活。
濁濁としたその場しのぎの生活。

そんな生活のただ中にいるわたし。

透き通っているわけないよな。

どうするよ。

蓮華の花は汚泥に咲く。

今の生活が汚泥に飲み込まれた生活だとすれば、汚泥の中で根をしっかりと張るような生活にまずはしてみるしかない。

エアコン批判ではないです。
今の環境ではエアコンなければ、マジで危険だし😅

環境破壊は良くないといいつつ、環境を破壊しなければ生活が成り立たなくなっている現実を見据えた上で、出来ることをするしかないよね。

一日一回でもいいから、「これ、もしかしたら余分な環境破壊?」って疑問を持つことからはじめている。

正直言います。
余分がかなり多いです。
比較論ではなくて。

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