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いつでも現在進行系

人々を思い出の中に閉じ込めてミイラにしてしまおうと誰かが陰謀をたくらんでいるのさ。
「若い頃は良かった」と思う人間ばかりだったら、政治家どもの思う壺だ。
過去の若かりし頃の自分にすがりついた行くのか、常に新しい発見を求めて行くのかっていう問題だ。
少しくらい年を重ねたからってわかったような顔をしてもらいたくないんだ。
おれは同世代のオヤジどもにそれが言いたい。

            忌野清志郎


久しぶりに自宅から歩いて公園まで行き、撮影散歩をし、出勤した。

いつもは車で寺のそばに借りている駐車場まで行き、そこから寺へ行く前に石神井公園を撮影散歩して、出勤する。

自宅から寺までは約2㎞。
全然歩ける距離なのだが、朝のプラス15分はでかい。
それに、公園まで行き撮影散歩を入れると、朝から1時間30分の歩行は辛い。
現に今日は朝から8000歩も歩いちまった。
今日は、半端な曇り空だったので、いまひとつ乗り切れず、適当に公園を経巡ってから出勤だったからそれですんだが、スイッチが入ると、朝から10000歩超えることもある。
そんなことをしたら体に悪い。
過度な運動は膝に悪いし、心臓にもよろしくない・・・と、思うことにしている。

だいたい、自宅を出て、富士街道という道までやってくると、駅へ急ぐ通勤通学の人々が現れてくる。
急ぎ足の人もいる。
さすがに、「やっべっ!」と走っている、小走っているような人はスルーするが、歩行の人には「負けねぇ!」気分が出てしまう。
ばりばり駅までの約1kmはウォーキングだ。
若者は、ダラダラ歩いているようで早い。
ダラダラに負けるわけにはいかない。
ダラダラな若者をジジイは必死に追いかけ、追いつき、抜いていく。
抜く瞬間、背中に迫って、並んで、抜き去る瞬間は、息を止める。
荒い息で、必死さを気取られてはダサすぎる、と、必死に息を止める。
そんなハードな時間を朝から過ごしたくはない、と、あるときから思い出し、歩いて通うのをやめたわけだ。

ところが、昨日の夕方から車がない。
別に故障したわけでも事故ったわけでもない。
ましてや盗まれたわけでも抵当に入ってしまったわけでもない。
3泊4日で車はコーティングに出ている。
代車を出してくれると言ってくれたのだが、今日、雪が降る予定だったし、この数日は車を使う仕事はないし、ま、いいでしょ、ということで感謝しつつお断りした。
失敗した😅
雪、降らないし。
仕事では使わないかもだけど、通勤があったし。。。

おかげで、朝からどえらい汗をかかせてもらったし。
家出る際は寒いじゃない。
で、通勤の人を2〜3人抜いたあたりで軽く汗ばみ、マフラーは外したけど、朝から汗かきながらダウンを脱いで必死に歩くジジイの姿なんて見せられないので、脱ぐ勇気がなく、結果、公園へ直行はせずに、先に寺へ行って、薄着にしてから公園へ。
バカなのだな、やっぱ。
熱くて脱いだのはしようがないけど、ちゃんと持っていかなきゃ。
撮影散歩は、距離は結構歩いているが、カメラ片手にのんびり行。
だんだん寒くなる。

身体冷えちゃったよ😓

でもさ、昨日「霜焼け」について書いたけど、今日は長い距離を寒い中歩くのでと思い、いつもの靴ではなくて、以前ソウルで手に入れたトレッキングブーツのようなものを履いて出た。
ソウルは寒い街だから、そういうものいいのが売っているんだよね。
それ履いて出たら、足元は寒くなかたので救われた。

冬はやっぱ、歩きやすいからって、ここ10年近くずっと履き潰しては買い替えて履き続けているお気に入りの靴ではなくて、こういう冬用の靴を履かなきゃ駄目だな、そういうお年頃になったわけだし。

まぁ、いろいろと気づきってものはそこら中に転がっているもんだってことさ。
回顧が悪いってわけではないだろう、清志郎も。
なんせ彼の曲に「温故知新」って歌があるくらいだ。
古きを温ずね、そこに浸っちまって、何の気づきもないっていうのが駄目なのさ。

「もう古いんだな・・・。」
なんて気づきではなくて、
温ずねていったところにも全く知らなかった事実があり、実はそれはいまも貫いていることであったりする、とか、当時は受け入れがたく思っていた自分がそれを受け入れることができるようになっている、その事実は是なのか否なのかを自分自身に問う、とか、そういう事が大事なんだろう。

もちろん新しいものを受け入れるもクソもなく、文句を言っても始まらないほど変わってしまっているという事実を受け止めていくしかない。

いまさら
「携帯電話がなかった頃は縛りがなくてよかったなぁ」
と、思っても、あるもんはしゃ〜ない。

矢沢に言わせれば
「指くわえて待ってねぇぞ!ってところで頑張っていくしかないじゃない」

年なんて関係ない。

落ち着いていようがいまいが、余裕あろうがなかろうが、若かろうが年老いていようが、その時その場で、その人なりの「新しい」を見つけていくことは大事だな。

昔にも新しいはある。

今にも新しいはある。

新しいにも昔はある。

ひとつわかったら、わかったそれは本当にそれだけのことなのかを探ってみるのも手だ。

○と□だけでできていると思っていたそれが、実は△や✗もうちに秘めていたりもするしね。

いちいちを解ろうとするな、知ろうとするな、というような文章をよく載せているっけれど、そういう文章も実はここと同じことを言っているつもりなんだ。

ようは、過去形にするな、ピリオドを打つな、ってことかな。

そんな感じ(^o^)

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* タイトル現在「進行系」にしましたが、「進行形」では?と思われる方もいたらと、追記。

過去形でもなければ未来形でもなく現在進行形でもない。
ぼくは現在進行系。
形に嵌まらないでいたいので、あくまで「系」で行きたいのよ😁
だから、過去系のときもあれば、未来系のときもあるのよ。
で、あくまで、そうありたいって事で、多分に形にハマってしまっていることが多いとは思うのです。
それも、やっぱ「過去形」😭

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