見出し画像

他人事

私を生かしている命、
私を死なせる命は、
その命を生きる主体を必要としている。
その命を生きる
他の誰でもない私自身を必要としている。
しかし、私はそういう命を生きる
主体になっているでしょうか。
他人まかせではありません。
どこまでも一人ひとりの問題です。
          尾畑文正

19になる年に京都市民になった。
おわかりかもしれないが京都の大学に入ったから。

京都は父の出身地であり
父が出た寺がある。
父の実家だ。

で、まだその頃は祖母が生きていた。

この話はあまりしたくない。
なぜならば
仕事でちょくちょく使うネタだから😅
ここで書くと話しづらくなる。

でも
ま、みんな忘れてくれるだろうからいいや。

今日は少し仏教用語が出てくるけど勘弁🙏

祖母は当時すでに寝たきり状態だった。
ただ、頭と口はずっとはっきりしてた。
わたしが大学を出てすぐに亡くなったが、
卒業して「東京に帰ります」と挨拶しにいった時も、しっかり説教されたのを覚えている。

わたしは4年間ずっと一人でアパートに住んでいた。

で、東京に帰る時(夏休みとかで)
東京から戻った際(夏休み明けとかで)
祖母に挨拶に行った。
まめに行っていた。
正直に言おう。
行けば、祖母からもだが、父の兄、つまり伯父からも小遣いがもらえたのだ😅
そりゃ、遊び盛りの未来を夢見る青年は行くっしょ、説教されんのわかっていようが。

あ、先程から出てきている説教は、仏教の教えの方ではなくて、「あんたいいかげんにしや!」的な方。

そして後付なのだが
卒業してだいぶ経ってから
つまり祖母が亡くなってだいぶ経ってから
そう言えばよく言われたなぁ、という言葉を思い出していた。

法事で、読経をしたあとに自分なりにでしかないが法話をする。
27〜8の頃だと思うが、ある時、そんな場面で
「祖母に、会うと必ずのように帰りがけに言われた言葉があります。
 〈あんたなぁ、他人事(ひとごと)のお念仏だけはせんときや〉
と、いつも言われてました」
と、ポロッと話していた。
記憶の奥底にあったのだろうが、そんな言葉はその時まですっかり忘れていた。

自分でもびっくり。

で、その頃は
「ご法事は、仏さまのためでも、家族の為でも、社会のためでもなくて、自分自身のためにあるのです」みたいなことを言っていた。

一回それを言い出すと、飽きるまでけっこうな期間そのネタを使っていた。

で、まぁ、だんだん年をとってくると、色々主張が強くなってきて、話したいことが増えてくるわけよ。

そうすると、ある時からそのネタはお蔵入りとなっていた。

そして、数年前からまた復活した。

意味合いが変わって、少し。

祖母は、わたしに
「念仏」という言葉を使って
「おまえの人生を他人事で生きるな」
と言いたかったんだな、とようやくこの年になってわかってきた。

つまり、「他人事」でしか生きていないという指摘だったんだ。

それは
人間を生き抜いた祖母からの「事実」の指摘。

どこまでいっても人間として生きることは「他人事」に生きることを強要される。

だからこそ、常に自分が自分を生きるんだ、という思いを持たねば、本当に空しく流された人生になってしまう。

社会で生きる以上は、社会的価値感は無視できないし、無視をしている気になっていてもすでにこの身に付いている。
人間として行動を起こす時には、家族のため、社会のため、お金のため、地位名誉のため、結果を得るため、と、「〜の為」が必ずついてくる。
そこにたとえ「自分の」がついたとしても、その「自分の」は、いい思いであったり、思い通りであったり、感情を満たすためである。
その場合の満たされた感情は、誰かに勝った、儲かった、だれそれが喜んでくれた、そうしたものが付随してくる。
結果を求めて、結果の善し悪しをつける。
つまり「自分の」といいながら「結果の為」となる。
それがないと動けないし生きられないのが人間という生きものだ。

理由がないと生きられない。

その理由をつけることがすでに「他人事」でしかないということ。

祖母も当然わかっていただろう。
だからこそ敢えて言ったのだろう。
相当言われたと思う。
なんでもかんでもヘラヘラ聞き流しているようなガキだった自分の耳底に残っていたのだから。
もしかしたら毎回言われていたのかもしれない。

「あんたなぁ、他人事のお念仏だけはせんときや」

所詮どこかで必ず他人事でしか生きることができない人間なのだから、わたくし事として生き抜いてみせる、その気持を持ち続けろ。

「ほらまた他人事になってるぞ」

そう聞こえてくる。

他人事でなく生きるってどういうことなのだろうか。

その問いを持ち続けながら「他人事の自分」を生きるしか手はない。

これも後付で気づいたこと。
そういえば、って。

卒業間際のころ
祖母は同じことを違う言い回しで言っていたな。

「あんたなぁ、他人事のお念仏だけはせんといてな」

願いに変わっていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?