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我が良心的でなく、良心的な汝を作っちゃいがち😅

自己が自己を超えることによって、自己が自己を意識するということも可能になる。
自覚において現われるのは単なる我でなくむしろ汝であり、汝によって我も喚び起されるのである。
我が良心的であればあるほど、汝の我に対する呼び掛けはいよいよ迫ってくる。

            三木清


痛風という持病がある。

痛風の発作というか、風を吹き付けられても痛いという具合になったのは15年以上間の一度きりで、それ以降は出いていない。

ただ半端でなく痛かった。

たぶん、生きてきた中で一番痛い思いをした。

手首の陥没骨折というのもやったことがあるが(野球選手の松井秀喜が現役時代やったのと同じ感じ)、確実にそれ以上痛かった。

ありゃ、二度と味わいたくない痛みだった。
なんせ、病院に飛び込んで、痛み止めの筋肉注射を足の親指の付け根に打たれたのだが、その注射ですら痛いと思えないくらいの痛みだった。

知り合いが若い頃からの痛風持ちで、色々アドバイスをくれたので、それ以来、今まで発作はでないで済んでいるようだ。

痛風の発作は、癖になる。
最初の発作が出て、ひと月とかふた月の間にまた出ると癖になる。
癖になると、尿酸値が低かろうが、体の中のガラスの破片化した老廃物を下に貯めるようになり発作が出るようになる。(多くは親指の付け根)
季節の変わり目とか、何ヶ月に一回とか、定期的に発作が出るように成る。

などなど、食事のことや、ストレスのことなどなど教えてもらえた。
また、痛風友の会のような会があるから、そこのホームページをみて、参考にして、ともかく徹底して半年間、発作が起こらないように過ごした。

おかげさんで、以来、今のところは発作の癖はなく済んでいる。

少なくても週4で朝まで飲んでいた酒も半年経ち、食事も野菜中心、米もなるべく取らないで、そんな生活をした。
ストレスがいちばんよろしくないというので、酒と大好きなお米を絶つ変わりに、ときおりケーキやアイスを大人買いして食べてた😅
あと、行きつけのスナックでひたすら烏龍茶や水を飲んで過ごしたりもしていた。
とても、がんばり屋さんで偉いぞ、と、褒めていたのが一番良かったと思う。

ハタからすればくだらない時によく自分を褒めるようだ。

痛風の発作が出た瞬間、ぐっすり寝ていたら突然足に激痛が走った、真夜中に。
その日は、翌日に朝イチの新幹線での出張があったので、早めに床に入り、気持ちよく寝入ったはずだった。
どこかにぶつけたのか?何かが落ちてきたのか?包丁でも刺さったのか?
わっけわからん激痛。
足を見る。
とんでもなく腫れ上がっている。
こ、こ、これは骨折している!
とにかく痛い。
全く痛みが引かない。
でもトイレに行きたい。
這って行くしかない、立てない。
「頑張れ!お前なら行ける!がんばれ!」
漏らすことなくたどり着けた自分を思いっきし褒めてあげた😂
「なんてがんばりやさんで、忍耐強いんだ」
痛さで眠れない。
救急車?いや!わたしは明日の過出張にでなければならない!
朝まで痛みとの戦い。
足の向きを変えると、一瞬だけ痛みが引く気がした。
何度も足の向きを変えては、次来る痛みと戦う。
「なんて辛抱強くて、偉いんだ。今のぼくなら腕ひしぎ十字固めだろうが四の字固めだろうが耐えられちゃいそうだ。本当に偉い」
そうしているうちに朝に成る。
必死に着替え、必死に顔まで洗い、マンションの階段を降りて表通りまで出る。
さすがに東京駅まで電車で行くことは無理そうだ。
致し方がない、タクシーを拾って・・・。
無理だ、頭が朦朧としてくるのと、痛みで立っていられそうもないのとで出張は断念するしかなく、上司に朝っぱらから「骨折したようで・・・」と電話して詫びる。
もう階段を昇る気力はない。
致し方がない。マンションの下に停めてある自分の車に乗って時を過ごす。
無理やり履いた革靴のおかげで足の痛みが緩和されているようだ。
(後から知ったのだが、靴がギブス・サポーターの代わりになっていたようだ)
ウトウトとする。
部屋では、一瞬、寝落ちしても一分も絶たないうちに痛みで起こされたが、少しは眠れた。
それでも痛みで起こされる。
時計を見る。
医者の時間まではまだ早いけど、早めに行って駐車場で待たせてもらおう。
運転できるか・・・
足は動く。アクセルは・・・ちゃんと深くも浅くも操作できる、ブレーキはしっかり踏める。
レッツゴーだぜ!
車を出し、病院の駐車場まで無事到着。

本当に自分の中にこんな頑張り屋さんの、辛抱できる、やり遂げられる子がいたなんて😂

ひたすら褒めてあげた。
偉いぞ、と。

薄々気づいていた、骨折ではなく痛風だと。
ただ、認めたくなかった。

「ははは、痛風だね」

医者の一言に、己の事実を知らされた思いがして少しホッとしていた。

受け入れがたい自分ってもんがいると思う、誰でも。

でも、それを知らされた時にホッとすることもある。

後付で、あの時知らせてくれたおかげだな、と、遅まきながらの感謝をすることもある。

第三者になって自分を見ることは難しい。

認めることも難しい。

己を鼓舞することはできても、叱責することは本当に難しい。

だから、自らを叱責することも大事だが、それができない自分に気づきをくれる存在はなお大事なんだな。

痛風話で無理くり持ってきた本日。

第三者としてこの文章を読み返すのは当分先にしよう。

現実逃避。
とても読み返すにはひどい内容な気がするし、この話以前も書いてら、ってのにも途中で気づきだしてたし😱

あ、でもね、でもね。
たまに、前に書いたのを、仕事のネタづくりのために読み返すんだけど、このどうでもいい文章なんだけど全部が全部、それでも、その時の自分を第三者の目ってやつで見れることもあるんだな。
だから、ま、すぐに自分から逃げる癖があるわたしとしては、この駄文を書いていくことはいいのかもな、って、最近思っている次第。

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