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意味場で変わるのに変えないのは。。。残念!

人って一面性だけの存在じゃないなって思ったというか、その人の中にいろんなアイデンティティがあるなと思います。
だから、一面だけを見て判断するんじゃなくて、社会がLGBTsを前提としていなくても、そこに生きてていいし、自分らしく生きてていいし、幸せにもなれるよっていうのを伝えたいですね。

            藤谷葵実


先程、note事務局から、嬉しいというか、驚きというか、まぁ、「まじで?」というようなお知らせが届いた。

確かに、いつもより見ていただけているなぁ〜、とは思っていたが、正直言って、「なんで?」という感じでもある。

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まぁ、嬉しくないと言えば嘘になる。
皆さんに見てもらい、それなりに評価されるのを喜ばないほどは根性はひん曲がってない。
でもね、
「あの写真・・・なほどな写真なんだけどなぁ、自分的には。。。似たような写真ばっかの一枚だし。。。」
という気持ちがあるのも正直なところだ。

ま、結局は、自分の思いと人の思い、自分の好みと人の好み、違うのは当り前なんだけど。

それにしても、ありがたいし、素直に感謝しかない。

カメラの使い方すらわからなくて通い始めた写真教室の作品研究の授業でも、我ながらこの写真は良い写真だなぁ〜、という写真に限ってあまり評価がよろしくなかったり、今回はこれくらいしか撮れなかったなぁ〜、皆さんにお見せするような写真ないよなぁ〜、なんてときに持っていった写真が高評価だったり、そんな事はよくあった。

だいたい人の写真のほうがよく見えるし。

よく初心者同士でも、
「これって、どんなふうにして撮ったら撮れるの?」なんて質問のしあいをして、教えっこして、真似して、でも似て非なるもの、似てんだけど味がまったくないような写真しか撮れなかったりしたなぁ。

ま、ある意味、個性が出るんだろうね、撮る写真に。

だから、卑下していたわけではないけど、「この写真のどこが?」なんてひねた捉えかたはやめよっと。

見て、「あ、いいんじゃない、この写真」とポチッとしてくださった皆さんが今までに考えられないくらいいらっしゃるのだから、素直に「良い写真だとすればここからどう学ぶか」を大切にしましょう、と。

「今日の言葉」はLGBTsの人物が「目撃にっぽん」というドキュメンタリー番組の中での言葉だ。
番組のホームページの番組説明を引用して載せておきます。

女や男という性別の感覚がなく、恋愛感情ももたない、1人の性的マイノリティ。東京の会社に就職するが、女性としての振る舞いを求められ、逃げるように島根県の小さな集落にやってきた。人口減少が進む集落では貴重な若者として歓迎されるものの、「結婚しない」という告白が波紋を広げていく。「性別ではなく“個”で見てほしい」。旧来の男女観が根強く残る地方で、“あるがままの自分”として生きようとする姿に密着した。

自分の見る世界と他人の見る世界の違いに悩みながらも、傷つきながらも、自分の世界、他人の世界、自分の大事、他人の大事に良し悪しも、正解も間違いもないということを受け入れるところから始めようとする。
そのために、悩むこと、話し合うこと、伝えること、聞くことを大切にしている姿が素晴らしいなと。
そして、噛み合わない互いの主張合戦のあと、違う場所で互いに会うときにはその場所での関係性で会うようにしている、という言葉には、なかなかできないことだなと。
オレなら引きずっちゃうよなぁ。

例えば、仕事場で言い合いになり、時間をおいて、次に趣味の場所で合わなければならないとなると、次の場所に行くのをためらったり、言い合いの際にどこかで妥協して落とし所を適当に落ちてもいないのに無理やり作ったり、誤魔化して終わらせる。

でも、映像の中だけでの話なのでどこまでそうなのかはわからないが、言い合いとなった2人は、互いにそこはそこ、ここはここ、という感じのようだった。

これ、たぶん、そうとうちゃんと互いに真面目に真剣に相手の言葉を聞いて、その場の事情(いい合いの理由)は別として、互いに信頼が出来上がってなければできないことだと思う。
誤魔化してちゃできないね。

ま、その中で、皆ひとりひとりにアイデンティティがあって、それは、LGBTsとマジョリティだけの話だけではなくて、どんな場合でもあるんだろうってことに気づいていったんだろうな。

男同士でも、女同士でも、性的少数者同士でも、障害者同士でも、被差別者同士でも、互いにバラバラ。

これは昨日の話にもつながるね。

どんな場合でも、ひとりひとりは孤独であり、マイノリティ(弱者)であると思う。
で、マジョリティ(権力者・特権保持者)にもなり得る。

両方持っている。

どちらの可能性も秘めている。

マジョリティ側である時こそ、いろいろな見方があり、多様性という言葉があること、多面的であること、アイデンティティ否定をしないこと、そうしたことに注意しなければならない。

だいたいさ、自分と同じものの見方をする人間と一緒にいるのは気楽でいいけどさ、できればその方がわたしのような人間嫌いで面倒くさがりはいいにきまってんだけどさ、違う味方ができる人の考え方や言葉ってもんがなかったっら面白くもへったくれもない気もする。

刺激とかはじゃなくて、気づきだよね。

「へぇ〜!」という。

「それいいね!」もあるけど、いよいよ「おれのほうがいいじゃん!」ってのも味わえるし、「いっそ、こうしたほうがいいのかも」って気づきもある。

一緒の方向見ている人間だけばかりだと、そこに気づけないもんだなと、感受性が劣化してきている最近は富に思う。

オレの世界はオレにしか見えないし、あなたの世界はオレには見えない。

だからこそ、見えない世界を見聞きし、より自分の世界をおもしろくしたいのさ。

そのために、人のことも、自分のことも、決め込みだけはしないようにしたい。

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