ノウハウを語る。
欲しかったものを手に入れたら今度は失うのが怖くなって不安になる。失ったら欲しくなる。
「不満」と「不安」の間を行ったり来たりしながら生きる。
「不満」な時は満たされないことに苦しむし、「不安」な時は失いたくなくて苦しむ。
でもどっちに行っても私が本当に安心し満たされるということはない。
両方を手に入れることは出来ない。
これでいいんだろうか、これでいいんだろうかと自問自答しながら生きるんです。
瓜生 崇
何人かの知人に、内容が暗い、ノウハウがない、と言われている😅
あ、ここに書いている内容のことです。
ま、読んでいただいいているだけでもありがたいっちゃ〜ありがたいんで、「ウッセー!」とも言えないのだけど、一応、そこんとこの言い訳を今日は書き連ねると言うか、愚痴らせていただきやす。
正直、暗いことを書こうとは思ってもいない。
何かを書いて、誰かを救おう、なんて気もない。
だいたい、ノウハウってナニ?、っていうのが根底にある。
ここでいうノウハウは、わたしがわたしであるという、生きる上でのノウハウのことね。
そりゃ、金儲けだとか、健康だとか、運動能力だとか、何かが良くなる、何かが向上する、社会的なノウハウってのは確かにあるのだろう。
でも、悲しみから抜ける、苦しみから抜ける、そんなノウハウなんてのはない。
いや、あるにはあるが、それができないから苦しいいんだな。
前にも書いたと思うけど、お釈迦さんがあるとき尋ねられた、
「悲しまなくって済む方法はどんなんですか?」って。
で、お釈迦さんは
「まずは喜ぶことをやめなさい、楽しむことをやめなさい」
って答えた。
喜び・楽しみには必ず悲しみ・苦しみが付いてくるって話。
できるか?
できない。
生き甲斐をなくして、ただ今を在るだけを生きる。
これが生ききることのノウハウ。
一切のものに、上下を付けず、一切選ぶことをせず、わたしというカテゴリを最終的にはなくす、ってのがノウハウ。
うんなもんできるわけもない。
これをどこか人が一切来ない、断絶された場所で万が一できたとしても、その後、人と触れて、社会と触れて、一つでも選びができたとしたなら、「わたし」というカテゴリ、「あなた」「他人」「動物」「植物」というカテゴリができた瞬間、「ただ生きる」という世界は崩壊する。
だから、ノウハウなんてない、生きることに。
その時その時を、その場その場を、どうしようどうしようとあたふたして生きるのが大事なんだな。
隣の人がパーティーに出て、ビール350ml・シャンパン2杯・ワイン5杯飲んで、ハム3枚・刺し身5切れ・ステーキ2切れ食べて、5人と合計85分話をして、とんでもなく楽しくHappyそうだったからって、同じことやって同じように楽しめるかと言ったっら、そんなもんじゃない。
1足す1は必ず2になってくれるような世界が好きなんだろうが、そんなもんありはしない。
大坂なおみ選手や井上尚弥選手やイチロー選手と同じように練習しても、ああはなれっこない。
ノウハウなんてもんがないから面白いんじゃね?
こうこうこうしたら救われます!なんて言葉が一番怪しい。
ちなみに、浄土真宗のお坊さんらしいことを言えば、南無阿弥陀仏を称えたからって救われません。
というか、救われるの基準が色々あるんだろうけど、みんな同じく救われるってのが決定している、ってのが浄土真宗の考え方。
これは犯罪者であろうが、天才であろうが、善人悪人関係なく、なにかしたしないも関係なく、みみずもおけらもあめんぼも、みんな等しく救われるってのが旨。
わっけわかんねぇ!という意味、ナムアミダブツは。
わっけわかんねけど救われるらしいから、そこんとこはもう成るように成るにお任せするしかねぇな、って自分に言い聞かせている世界。
で、もとい。
ああすりゃこうなる、こうすりゃああなる、というのは求めてしまうし、楽でいいし、生活していく中では必要だと思う。
ゆえに、さっきは否定してみたけど、1足す1は2であるのも大事。
だけど、根っこののところ、わたしがわたしであるという不思議にノウハウはないことだけは抑えておきたい。
人にはすぐにノウハウ聞いちゃんだけどね、実は😅
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