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常識を破りたい人、常識を破ってしまう人

ローソンのRTのキャンペーンで無料ラーメンが当たったのにも関わらず、家に引き込もっていたがために、最終日までずっと引き換えるのを渋っていたちりめんビブラートです。

さて、常識を破る!とか固定観念をぶっ壊す!とか個性を出していこう!とか言われるようになってからちょっと思っていることがあるんですけど

え、常識ってそんな破りにいくものなん?

というのも、自分が常識を破ってしまい、怒られる経験が多々あった側だからです。

実際の例を挙げると、私は小学生の時に連れションに誘われたのですが、連れションの社会的意義(トイレでしか話せないような話をする機会だとか、そういうのだと推測はしているのだけれど)を汲み取れず、ずっと断り続けて自分のやりたいことをやっていました(本を読むとか)。

その時の心情としては、常識を破ったつもりはサラサラなく(皆よくトイレに行くなぁ…しかもタイミングが同じ、って有り得るんだなぁ…)としか思っていませんでした。今思うとアホだな。

こんな常識を破ってしまう側の自分からすると

破ろうと思って破れるものなの?
常識を破るって無意識でやっちゃうものじゃないの?
そもそも、常識って破っていいものなの?

などと、大量の?が浮かび上がってきます。

でも、世の大人たちは常識を壊すのに躍起です。

というか、寧ろ
「常識を壊している自分カッケー!」
みたいな雰囲気を感じて、手段と目的が逆転しているように感じます。

「常識を壊しているふりをしている」ようにも感じます。

そう考えると、常識を本当の意味で壊せるのは私のような「空気の読めない人」なのではないでしょうか。

ところで、世の中には弱みを強みに言い換える、裏返すカードゲームか何かがあった気がしますが、空気の読めない人を裏返すと常識を破れる人になるのかもしれません。

とすると、一旦空気の読めない、常識を破ってしまう人が常識を破れるだけ破ってしまって、その後に常識を持ち合わせている人が調整すると、上手く世の中が回るのではないか。

そう思案して、もっとより良い世の中になって欲しいし、していきたいなぁと思った夜でした。

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