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命は道具だから僕らはもっと命の使い方をちゃんと考えないとダメだなあと思う

どもども。ひよこ型大学院生のちらです🐤

なんとなく初心に戻って古代種ブロガーらしくオピニオン記事をダラダラとnoteに書いてみようと思って書いてみます(半分以上自己満。あの時何考えてたんだろう的な忘備録)。

最近はアフィリは外注化がメインであとは自分で作ったプログラムで記事作成に勤しんでたりでウェブでの文章書きが大分少なくなってるからね(書く習慣は大事)。

論文書いたり、そのための文献見たり、データ作ったりしつつ過ごしてるわけですが、もっとちゃんと論文書くとき用に最初から整理しておけばよかったーってめっちゃ後悔してますw

一年休学挟んだりしたから最初の頃のプログラムとかデータのこととかちょっと忘れてるしw

まあそんな話はさておき。

”今日は命は道具だから使い方をもっとちゃんと考えたいなあ”って話をつらつらと。

虚像が織り成すインターネットとコロナウイルスによる世界規模での命と経済の選別過程を見て思うこと

インターネットやSNSの発達で周りの生活や生き方や虚像が浮き彫りになっている昨今。

もう博士課程3年ともなると立派なアラサーですし学生だけど年齢的には学生って感じでもなくなってきます(まあ学生が終わっても学者的な生き方をしようと思ってますが)。

ちらさんは大学院通って研究しつつビジネスやるっていう二足の草鞋を履く生活をしてきました。

同時期に本来なら味わうことがない二種類の世界の人たちと交流・実体験することで結構この”命の使い方”について考える機会が増えました。

仕事というか生業というか生きがいというか。

そういう軸をどこに置くべきだろうなあって半年以上考えてましたw

ようは自分を道具としてみなしたときにどこで・何のために・何を生産しようかなって。

みんな命を大事にしようとしてるけれど、どうせ死んだら終わりです。

コロナウイルスが流行してますけど、ああいうのも命について考えるいい機会ですよね。命の選別に貴賎なしで誰でもかかるときには病にはかかるし死ぬときには死ぬ。

自然淘汰とそこへの抵抗の過程は醜くも綺麗で個人的には好きです(燃やしたくて言ってるわけじゃないぞw)。

自分にも同じことが言えるわけですしね。

あと年取ったほうが重症化しやすいって大抵の病に共通するわけで、それ考えるとちゃんと命が道具として使い物になる間に使わないともったいない。

にも関わらずこの頃は社会?日本?なんかまあ大多数の人ですけど、あまりにも自分の生き方みたいなのが希薄になってる気がします。

正解がない時代だから仕方ないのかもしれないですが。

自分がない虚無の存在が増えたなあと思います。

前はあまりこういうの考えなかったしここまで可視化もされてなかったと思うんですけど。

娑婆の世界に可視化される暗黒インターネットワールド

ヤフーニュースで某情報商材中学生が出てきたあたりで結構びっくりしたんですよね。

「あ、アングラネット界じゃなくて娑婆の世界に出しちゃうんだw」ってw

ああいうの、子供の時からやっててネット歴19~20年くらいになると本当時代変わったなあと思いました。

(んーでも与○○とか川〇〇正とかテレビ出てた時代あったな前からこんなもんだっけw)

自分が小中学生の時にあのニュース見てたらどう思うんだろう。もっと歪んだかな?とか思ったりw

まあ別に若いうちから金儲けするのは悪くないと思うんですけど、実態としての金儲けの意味は失われてるのに世間は益々金儲けに執着していくんだなあと。

あと新しくできたアフィリエイトできる情報商材販売プラットフォームサイトとかもその典型みたいな動きでしたね。

どんなやり方選んでやるかやらないかだけですし、これだけ豊かに発展した文明社会において金額に意味ないよなあと。

前の記事でも言いましたがガチ貧困はきついのでそこだけはいかなる手段を使っても抜けたほうがいいとは思うwでもそのあと人間に戻ってきてねw。

極論手段選ばずのお金の稼ぎ方とか某中学生見てりゃまともな脳みそならわかるじゃないですかw情弱に普遍的な情報売るのが一番速いです(腐らないものにしたほうが後で自分が楽)w

それで自分自身は何するの?

僕自身は大学生の時はほぼ研究や学びのみに邁進してましたし、研究者なるぞー!って思ってました(そのもっと前はゲームクリエイターなるぞー!ですかね)。

でも、貧困生活やら日本の研究業界の絶望感やらに耐えられずウェブ起業して、アフィリエイトやらサイト売却やら情報発信やらコンサルやら諸々やってきました(一応稼げる金額より常に新しいこと・違うこと・自分が成長できることを選ぼうとしてます)。

金にならないから専門の物理に関する発信はほぼしてきてないですね。

で、まだまだ別に上がりとかじゃないし、これからも稼ぎ続けられるかわかんないんだけど、自分を道具と見立てた時にそれでいいんかって結構最近思うわけです。

ネジとか輪ゴムとか金づちとかなんでもいいんですけど、道具には道具の役割がある。命は道具なんで、自分にも何かしらの役割があるはずだよなあみたいなの最近考えるようになりました。

学問系ゴリゴリ路線目指してた割には柔軟性ある方だとは思うんですが(本当のピンチの時だけかもしれんけどw)、やっぱり自分が専門で学んだことややったことは何かしらアウトプットしないとダメだなって思うようになってきました。

一切儲からなくてもやるべきアウトプットがあるぞと。

死者の残した知の継承は学者に課せられた使命だと思う

で、自分の専門をアウトプットするんであれば、ちゃんとしないとダメなんですよねwちゃんと。

金儲けがメインならまだある程度お茶濁してもいいと思うんですよ。

どうせ正しいこと・ちゃんとしたことを判断できない人がほとんどになってる現代なんで。裏ワザとしてどうしても金儲けが必要ならグレーでもなんでもやりたきゃやればいいと思います(極論ねw極論w)。

ただ、やっぱ自分が専門でやってきたことを真剣に学びたい人や継承したい人に向けた発信ってあまりいい加減にしたくないですよね。

自分の命の否定につながるし。

多分僕はいわゆる現代的な研究者にはなれないと思いますしなりたいともあまり思わないですw

クソ薄給で論文たくさん書いて、科研費出してみたいなの。あれが今の研究者の生き残りスタンダードなわけですが、僕はあれをやりたいとはあまり思わない(論文書くの自体は大事ですよもちろん)。

みんな急がないといけなくなりすぎですし、急がないと生き残れないんでどうしようもないんですが。

で、僕は幸か不幸か急ぐも自由。急がぬも自由なところにいる気がしてます。

研究そのものにはさほど金がかからない。ウェブで稼いでもいいし、就職してもいいし。

もう自由なんですよね。僕がそう思ったらそうなんです。

今論文書いてるわけですけど、これ書いて修了までちゃんとできたら、

「自分の専門の人が書いた本や論文もっと読みたいな」

って思ってます。

いわゆるお勉強です。The・お勉強。

いや、本来は院生のときにもっとやっとけよみたいな話ではあるんですけど自分の研究分野から遠いところほどカバー範囲狭くなりがちです。

で、自分はそういうの足りてないなってすごく思うわけです。一定期間お金儲けしてたからある意味自業自得ですけどw

でも先に稼ぐ経験しないとこういう心の余裕は生まれなかった。致し方なし。

で、そういうThe・お勉強をもうちょっとしっかりやって、そこから在野でいいんで研究もしつつ、でもインターネットの世界にちゃんとその内容を残して継承できるようにしたいなって思います。

マイナー分野かもしれないけど、ちゃんと自分がやってる専門のところには過去そこに命を注ぎ込んだ人たちの本や論文やらがあるわけで。

ただ、わかりやすい日本語文献ってあまりないんですよね。マイナー分野なんでw検索してもあまり出ないです。

普通はそういうの書くなら教科書執筆がいいのかもしれないですけど、とりあえず粛々とネットにまとめてみよっかなあと思います。

それでさらに何かってなったら本書いてみるとかもいいのかもなって。

そのためにはもっとお勉強が必要なわけです。

基本路線としては、死ぬまで学問とビジネスで二足の草鞋を履くことにするでしょうねw

金儲けの手段はその時その時で自分が自分を嫌いにならない範囲でテキトーにやるとして(嘘です。まじめにちゃんとやりますw)。

肝心の命の使い方としては学問や研究の発展に必要なことだけど業績にはならないところで重点的に貢献したい(業績になるかどうかよりやりたいかどうかが大事)。

それが今のところ一番しっくりくるし自分という命を道具として使う時に最も適してるなって思います。まる。

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#ビジネス #研究 #学問 #生き方 #アカデミック

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