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【研究つらい・やめたいと思ったあなたへ】 働きながら研究してる院生からのエール的な何か

「もう研究つらい・・・やめたい・・・」

「研究室行きたくない・・・実験したくない・・・」

「論文書きたくない・・・」


・・・(ノД`)・゜・。

こんな気分になるとき、ありますよね('_')

修士の研究や卒研くらいであればまだ”ゴール”が明瞭に見える(将来の進路をつぶす恐怖がない)のでそこまで暗くはならないのですが、
博士課程とかになるとその絶望度はなかなか激しいものがあります(ポスドクや非常勤講師生活が続くと文字通り命を落とす可能性もある世界)。

あと、今やってる研究自体がそもそも最初からずっとつまらない場合はきついと思います。

もしくは前は好きだったけどつまらなくなった、ポジティブな実験結果が出ない、他の事項に興味が移ってしまった、早くお金を稼がないといけないetcetc...

いろんなパターンで「研究つらいー!」な時期に入ることがあると思います。

ちなみに、アカハラとか精神や未来を壊されそうなタイプの場合はさっさと脱出でOK。打算で残るかどうかだけ。打算的に考えて残るべきなら耐えましょう(;´∀`)


今回はそんな気持ちになったときに乗り越えるための一助になればと思い、自分の経験を踏まえて記事をつらつらと書いていきます。

過去・現在・未来の自分をも元気づけるつもりで書いてます!

ストレス発散も兼ねたポエム記事になってます!酒乱みたいなノリでいってみよー!(*'▽')

最近研究や業界の諸々や進路でもやもやしてる方はぜひ読んでみてね( `ー´)ノ

ちなみに、将来不安に関しての研究継続の意思みたいなものはブログの過去記事に書いたので置いておきますね。

「博士課程に絶望しか感じないのになぜ研究を捨てられないのか 生きづらさに抗う忘備録」

研究はつらいことがたくさんあるけどやっぱり自由!自由だよ!

「研究つらいいいいぃぃあいうえおおぉぉぉ!!」

そんな気持ちになっているあなた。

研究はたしかにつらい・・・

思い通りの結果が出なかったり、周りの学生が優秀でへこんだり、学振通らなかったり、いやもうそもそも将来性なさすぎじゃない?先輩ら闇に消え過ぎじゃない?日本で博士課程行ったのミスじゃない?

みたいな様々な気持ちが去来することがあると思います(白目)


でもね、やっぱり研究は自由だよ。研究・学問を通して自由になれるという感覚かな。束縛されるものがなくなる。

自分は何の因果か在学中にネットでビジネスなんか初めてそれで生活しながら研究してるからより感じるんだけど、やっぱ研究・学問は自由(社会人になった人は多分わかるはず)。

「利益なんて関係ないし自分がわかるか・わからないか・わかりたいのか」に結局行きつく(産業応用的な研究はまた違ったビジョンありそうだけど各々何かあるでしょう)。

でも研究やめて飯食わないといけない・なんなら研究やりながらでも飯食わないといけないってなったら、やっぱその飯のタネは”不自由”にならざるを得ない。何かしら制約が生まれる。

少なくとも僕はビジネスには学問ほどの自由はないなって思う(何かを提供してお金をもらわないといけない。どうしても今を生きる”他人”が必要になる。でも研究や学問は未来に向けて矢を放てる)。

好きで稼ぐ!って言って行動するのが数年前から流行して今やもう死にかけだけどやっぱ稼ぐ道具化したらそこで一定の束縛条件が生まれてしまう。

そういうの度外視してやれる自由って研究系の世界以外ではなかなかないんじゃないかなって思う。

まあ本当はアートや音楽やスポーツやら何やらかんやら色々あるんだろうけど。

過去の論文とか研究成果をスルーできない不自由さみたいなものはもちろんあるけど、やっぱ普通の世界とは違う自由度がある。

仮説作るのも、データ出すのも、結論まとめるのも、不備や適用外のところがジャンジャカできてくるのも、全部含めて自由に”作品作り”ができる。

そういう自由を享受し尽してる?しゃぶり尽くしてる?

とまあ偉そうなことを言ってるのだけど、

「自分は正直しゃぶり尽くすことができてない!制約が多かった!」

お金なさ過ぎて恐怖に負けて仕事始めちゃったからねてへぺろ(/ω\)

まあでもそのおかげで色々考えるきっかけになったし、考えの幅みたいなものが広がったと思う。

起業してからは以前よりも研究・学問世界を通して自由を感じるようになったよ。


研究しんどいし金にならない日本だけど自分の生き方実現できたら他は気にしなくてよくない?

「研究はしんどいいいぃぃかきくけこおぉぉぉ!!」

いや~。これ。ほんこれ。基礎研究なんか本当金にならん。

仕事の付き合いでいろんな人とお話して悟ったけど、研究はやっぱなかなか金にならないと思う。工学、医学、教祖業導入しないとまず無理(あ、教祖業ってファンビジネスのことね。そしてやり方次第ではアリアリだと思うよ)。

正直、中国くらい国に研究のやる気がないとダメだと思う(うん。だから少なくとも日本では期待できないw)

でも、日本ってそこまで金持ちにならなくてもできること多くない・・・?

いや、貧困はダメなんだけどね。心にゆとりがなくなるし。

ある程度馬力入れて仕事した時期があったらそれなりに食い扶持は確保できるし、とりあえず死ななくはなる。倹約精神が身についてたら貯金もできる。

研究や学問に身を染めた人でもお金使っていろんなこと経験したくはなるけど、案外大したものはない気がする。

自分で経験した分も、もっと金持ってる人(億の世界とか)から聞いても。あまりそそられるものはなかった。

disってるわけじゃなくて嗜好の問題。でも研究畑の人っていわゆるパリピっぽい道楽とか成功者云々みたいなの合わない人多いでしょ多分。ちらさんも基本そだよ。

金がやってくれる知能のアップデートって限界がすぐくるからさ。結局知能面で進化するには頭動かして手動かすしかない(変化早い世界での立ち回りとかお金の増やし方みたいなのは多少の時流が絡むし別)。

自分の生き方を実現したい上で必要な分あればOK。

それを実現するための方策を立てて、ちょこちょこ試しながら生きてみたらいい。どうせ会社員なったってこれからは自分で方策立てて動いたりなんだりできないと40代で捨てられるだろうし。

大丈夫。1億総ポスドク時代はすぐそこ。みんな気づいてないだけでリストラされた大勢の末路はこれからポスドクみたいなもんw

研究やってきたからこそ、自分の生き方と教義を再定義する機会にも恵まれているはず!

一人一人悩みは違うだろうけどきっとあなたも研究したからこそ何か変化があって今を生きてるはず!

関連記事:研究者・ポスドク向け転職エージェント7選 口コミ・評判


研究やめたくなるけど偉大な死せる研究者たちと対話したりリレーができる!ゾクゾクするね!

「研究やめたいいいぃぃさしすせそおぉぉぉ!!」

そんな時はふと過去の偉大な研究者たちに想いを馳せてみよう。

彼らが書いた本や論文でも手に取ってパラパラと眺めてみよう。

命を削って残された美しい何かがそこにはきっと刻まれているはず。

自分が登った・登っていく山に先に登頂した偉大な死者の声を聴くことができるんだぞ。

これは本当になかなか得難い。まだ今の技術ではいくら金を積んでも脳みそはそう簡単には変えられない。何千万、何億持っていようが、知の登山はそう簡単にはできない。

専門に深く分け入れば分け入るほど、その研究者を理解できる人間は少なくなる。

そこに楽しみを見出してみてはどうだろう?

ほとんどの人には聞くことができない・読むことができない・感じ取ることができない豊饒な世界を味わうことができる。

例えるなら我々はポーネグリフを読めるようなもの。大多数がわかったふりをして通り過ぎ、そもそも疑問にも思わないものに深く分け入ることができる。

この愉悦、歓喜、興奮を味わえる人生を楽しまないともったいない。

そうは思わないだろうか?

まあここまでなら勉強好き・読書好きで終わるのだけれど、
せっかくだから過去の偉大なる死者たちと一緒に知識の本山の頂を目指すリレーに参加してみたらいいと思うんだ。

今も前を走ってる人たちがたくさんいて、リレー大会では必ずしも1位になれないだろうけど。

それでも走ればいいと思うんだ。もちろん、人間だから疲れたりやめたくなったときは一度休んでもいいと思う。そして少し過去のレースの過程を見てみたらいいと思う。

きっと美しいレース記録が残されてるよ。


研究つまらなくなっちゃったならその原因を思い出して自分と対話してちゃんと整理してみよう

「研究つまらないいぃぃたちつてとおぉぉぉ!!」

なんとなくつまらない・・・!

うまく結果出ないからつまらない・・・!

先人に比べて自分の研究の出来はなんと残念なのかしら・・・

そんな気持ちになることもあるかと思います。

でも研究つまらないと最初は思ってなかったはず。

何かきっかけがあるはず。。。

そのきっかけがなんだったかを考えて、つまらなくなった原因を取り除いてみよう。

ちらさんもなんとなくつまらなくなったことはあるんだ。

アンダーマイニング効果ってやつなんだけど。

内発的動機づけで始めたことにお金が入るようになるとやる気が下がるってやつね。自分の場合はお仕事でウェブ起業して稼げるようになることでこれに似た効果がありましたw

「仕事してお金貯めてから研究しに戻ってくる」

これが実現してる人をあまり見ないのはこのあたりのせいなのでしょう(まあ待遇を落としたい人はいないからなんだけど。国がもっと金出すべきw)。

「え?、そもそも最初からずっと研究を楽しいと思ったことがないって?」

その場合は多分あなたは研究・学問を選ばなかった人間というだけなんだ。

逆ではないよ。研究や学問に私は選ばれなかったとは思わないほうがいいよ。きっと研究や学問を憎悪するようになるから。

これはアカデミアをやめていった人にも言えることなんだけどね。

研究も学問も別に大学じゃなくたってやりたければできるんだから。

選ばなかった・休んだだけ。それはそれでいいんじゃないかな。


研究できない・しない人は一度も登ることがない知識の総本山で登山できる

「研究できないいいぃぃはひふへほおぉぉぉ!!」

ああーーできない!!自分はなんてできないんだろう・・・!

『悔しいなぁ 何か一つできるようになっても またすぐ目の前に分厚い壁があるんだ』 by 大正時代に鬼狩ってるK君

これですわ。もうずっとこれ。研究やってたら主成分がこれ( ;∀;)

でも、研究やったことない人はこの無知の知を知ることもない。

世の中には結構向上したいって思わない人も多い。小中学校で公立行った人は思い出してみてほしい。みんながみんな勉強したり新しいことを身に着けるのが好きではなかったはず(むしろ少なかったな)。

でも研究やってりゃ嫌でも最先端目指さざるを得ないんだから向上するしかないんだよね。

先人や同僚やらと比較したら何もできない気がする日も多々あるだろうけど、自分の研究に関しては部分的であれ自分しか知らないことがきっとある。

ビジネスや大抵の仕事はそうじゃない(研究職は別ね)。本当の世界初なんてほぼ必要ないし、そもそもそんなことしてたらよほどじゃないと客がいなくてコケる。客に届けられる何らかを組み合わせていくなり、過去のやり方を真似するだけで成立する。

もちろん、ジョブズみたいに新規性のあるデザインで攻めるとかそういうやり方はあるし、広義の意味で商品ってのは世界初だったりすることはよくあるかもしれない。

が、知の生産という意味で二番煎じ、三番煎じのものがほとんど。

自分しか知らない・自分が初めて見つけた。

知識の山を登ってまだ誰もいないところに旗を立てる営みができるってのは人生に素晴らしい華を添えてくれるはず。


それでも研究しんどいやめたいつまらないできないしたくないいいいい!!そんな人は一度離れたらいいよ!呼び声を聞いたらまたやろう!

「まみむめもの先はないんば!んばんば!!休憩ー!!はい!!休憩」

というわけで、ここまで読んでもそれでも研究やめたいって人はやめちゃいましょう(/・ω・)/

休憩してみるのが一番です。

人生長いしさ。他に面白いこともいくらでもあるし。

一度休んでみて他のことやって、またやりたくなったら戻ってきたらいいんだ。

ちらさんはお金作りのために1年休学とかもしてるしね。

でもそのおかげでまた戻ってきて事業やりつつ研究してきてる。

研究一本に命賭けてるわけじゃないけど、だからこそ見える景色ややろうと思うことも出てくるんだよね(例えば研究業績にならないけど研究・学問のことを考えるとやっておいたほうがいいこととかね)。

いろんな事情で研究つらくて、やめたくてここを読んでる人は「なんで研究やってるのか?」を自分に問い直して、そこで納得できる”今のところの答え”を見つけて、進むなり曲がるなり止まるなりしてみたらいいんじゃないかなと思います。

(最近は論文集中期間でブログとか副業のコンサルやってないけどまたいつか再開するかも。興味ある人はline@登録しておいてくれたらやるときアナウンスします(/・ω・)/)

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