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1つの考え方~スピリチュアルを取り入れた視点~





今日の記事は、1つの見方、考え方、捉え方として、興味のある方だけ、お読み頂けたらと思います。
途中で違和感、不快感等を感じられましたら、そこで読む事をお辞めになってください。


以前の記事で、私は数年前に、スピリチュアルな視点に出会った事を書きました。(私の過去⑯)


宗教ではありませんが、スピリチュアルな視点は、人の生き方に時に強く影響するものという点では似ているな...と思ったので、傾倒はしすぎないようにと意識しながら、自分の心にしっくりくる部分だけを採用し、考えてみようと思いました。


私は詳細な知識がないので、大まかな書き方になってしまいますが、スピリチュアルな視点とは、私が聞いた事は、輪廻転生が前提で、
人は生まれて来る前に、自分の人生のシナリオを自分で決めて、そして生まれて来る、というものでした。
だから、自分でどの親の元に生まれてくるのかも、どんな体験をして、どんなふうに育って生きていくのかも、おおまかに決めて来る。
自分の人生が、1本の長い映画だとして、
自分の人生の中で起きる(起きた)事すべてが、その映画のシナリオ。ストーリー。
関わってきた人達は全員、出演者で、自分の人生だから、自分が主役。という事です。

私には、生まれる前に人生をシナリオ立てて来た事とか、全く自覚はなく、記憶もないです。
ただ、この考え方を聞いた時、なるほどと興味深く思いました。
そして、その時は、もしも本当に自分が自分の人生をシナリオ立ててきたのならば、私はいったいどんなふうに自分の人生をシナリオ立ててきたのだろう?
わざわざこんなに辛く苦しい経験が多いシナリオにして、いったい何なんだろう、どういうつもりなんだろう?と、自分が自分を信じられないという気持ちと、到底理解出来ないという気持ちを抱きました。


ただ、自分でシナリオ立てているのだったら、自分なりに考えて、起承転結を作ったのかなと、思いました。
自分の人生は、起承転転転...結、  ' 結 ' はまだこれから先ですが、そんなふうに、
いろんな ' 転 ' を経験してから人生の結びに繋がっていくのかなと思いました。


少し不思議な感覚でしたが、
これは以前から、私は宗教を辞めると自分で決めた後、両親と衝突した後、18歳位の頃から、
今、自分の目の前にある辛い事は、私が乗り越えられるから私に起きているんだな、
という気持ち、漠然とした感覚がありました。
これは誰かからそう言われた訳ではなくて、なんとなくだけど、なぜかいつからか心の奥ではそう思っていた、という感じでした。根拠の無い自信のようでした。
この感覚を忘れる時期もありました。
多忙で目の前の事に追われ、日々生きる事に精一杯の時は、忘れきっていて、そんな事を思う余裕はありませんでした。いつも何か人生の転機に、時間が出来た時に、ふっ と思い出しました。

私は結婚後に、働きながら当時のヘルパー2級資格(現在初任者研修)をとり、現場で実務経験を積んだ後に介護福祉士の資格を取得しました。
約13年間、高齢の方、障害を持たれている方、在宅で介護を必要とされる方を訪問して、その方々の人生に関わらせて頂きました。
お1人お1人それぞれの波瀾万丈な人生がありました。その中のいろんなお話しや気持ちを傾聴して、時に泣いて時に笑って過ごしました。毎日、目の前の事に精一杯の日々、大変な事もありましたが、この仕事が私の支えになっていました。
看取りの際に関わらせて頂く機会もありました。本当に私にとって学びの時でした。2度とない、貴重な経験をさせて頂いた時でした。

この仕事から退職した後、静養しながら過ごす時、ここでの学びは終わりですよ、これでこの学びは終了ですよ、と言われた気がしました。

こういう事は、きっと私だけではなく、経験なさっている方はきっとたくさんいらっしゃって、
人生の先輩方も、年齢関係なく若い方も誰もが、
1人1人誰もが、それぞれに違う学びのある、そういう人生を、今、日々精一杯生きておられるんだろうなと思います。私もまた、まだそういう人生の途中です。

そして、私はこの退職後に、スピリチュアルな視点に出会った訳ですが、その後から数年間過ごす中で、思ったのは、
自分が自分の人生をシナリオ立てて来ているのなら、たぶんきっと、自分なりの、バットエンドにはしていないんじゃないかと思いました。
もしかしたら、幾つかのトラップは仕掛けたかもしれないけど、自分にしか作れない、自分なりの、ハッピーエンドにしているはずなんじゃないか、と思いました。そしてそれは、きっと、歩んでみなければわからない事なんだと思いました。
自分の人生は、自分でしか歩めないもの。自分の人生、まわりの意見をいろいろ参考にしても、どう歩むのか、最後に決めて進むのは自分なんだ、と思いました。

今、書いていて、気づきましたが、振り返ると、私は、退職を決意した時、ある事を諦めた、ある事を自分に許可したんだと思います。
責任のあるポジション、いろんな方のお役に立てているというやり甲斐、そこから得られていた充足感や自己肯定感、更なる自己成長の機会など、
体調不良で強制終了のようだった退職は、それら私が握りしめていた物、しがみついていた物を諦めて、一気に全部手放す、という事を自分に許可したという事だったと思いました。


その後、今までの記事に書いたような流れで、大きな何かに導かれている、という感覚を感じ始めて、少し怖いような気持ちにもなり、でも、もう自分の力ではどうにもならないと感じたので、もうすべて流れに委ねようという気持ちになりました。
そして、その後、自然と自分の過去と向き合う流れになり、その通りに行動して、今に至ります。


自分が持って生まれたであろうHSPの気質、育ってきた環境から身につけたAC(アダルトチルドレン)の特性、他に持ち合わせているかもしれない発達障害の特性、全部を丸ごと、自分はそれでいいと、自分はそれがいいと、それが自分なんだから、と受け入れました。
自分の気持ちを辛く苦しくさせている気持ちの奥の、「本当の気持ち」を深掘りして感じきって、その気持ちに自分が寄り添って、どんな気持ちも受け入れていく事を続けて、自分が思い込んできた事に気づいて、その思い込んだ事のせいで、自分が自分で、苦しく生きづらい人生にもしていた事に気づきました。
その後の時間の経過に伴い、再び三度繰り返し感じるネガティブな気持ちは、その都度その都度、
同じように深く感情を、気持ちを感じきり、どうしてその気持ちになったのかも感じきり、涙が流れるなら止めないで、自分で自分に寄り添って、気持ちを全部言葉に出して吐き出して、認めて、共感して、許して、受け入れて、全部感じきりました。その、涙が止まる頃、辛さの山を越えました。
(1人で向き合う事が辛い方はされないで下さい。私の場合は、1人のほうが自分の気持ちに集中出来、向き合いやすかったのでそのようにしました。)


落ち着いた後、自分がどういう感情を感じていたから、
どういう行動をしていたか(したか)、気づいてどう思ったか、どうしようと思ったか、などを振り返る事が出来て、全部を穏やかに受け入れる事が出来て、その後は自然な気持ちの流れに沿って過ごし、緩やかに山を下るような感覚で、気づくと生きづらさが薄まっていきました。
心がずっと、本当にずっと苦しかったのに、苦しさがなくなってきて、心が呼吸しているような、ちゃんと心に空気が入るようになったような感覚になりました。
今までの辛く苦しかった事、嫌だった事、大変だった事、楽しかった事、嬉しかった事、いろんな経験の全部が、私にとってのギフトだった事、私に必要な事だったと認める事が出来て、これから先に起こるだろう事を信頼出来る感覚になりました。

今、職場で大きな責任はありませんが、楽しく仕事をしています。人は誰もが、当たり前に生きているだけで承認です。巡り巡って、皆誰かの何かに貢献していて、皆が支え合って、今を生きているという事、無条件の愛を感じています。日々暮らしていくのに適切で適量の物質に恵まれています。


これから先の自分の人生は、私もわかりません。
もうすぐ ' 結 ' かもしれません。もしかしたら、
まだ ' 転 ' があるのかもしれません。
人生が続く限り、きっと私にとって、何か学びがあるのだと思います。
何かを考えて、決める時、そんな時には、無理なく焦らずに、穏やかに正直に自分の心に従って、素直に自分の心の指す方へ、向かいたいと思っています。日々のいろいろな事すべてに、心から丁寧に感謝をしながら。

noteを始めた頃、このような内容を書こうとは思ってなく、ただただ自分の過去とその時の感情と向き合って何かに気づきたいという感覚で、noteを始めました。
今日こうして、この内容を書く流れになった事、
私なりにこの事をきちんと書こうというそういう気持ちになった事、不思議に思いつつ、でもきっと必然なんだと思いつつ、導かれていると感じつつ、そう信じて書きました。
今、生きづらさを抱えて生きている方へ、お1人にでも、何かが参考になるなら何かが届き、少しずつでも生きやすさに繋がるなら、幸いです。




いつも稚拙な文章しか書けず、言葉が足らない部分も多々ある事と思います。
何かを押し付けたり、読まれる方の気持ちを操作するような意図は一切ありません。
あくまで私個人の体験記ですので、
見方、考え方、捉え方、生き方の1つと思って頂き、
どこか何かが、どなたかの参考になる所がありましたら幸いです。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。



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