学校に必要な科目、不必要な科目、いい加減ハッキリさせようじゃないか
いい加減学校教育は変わらねばならない!という指摘が出てきてから、結構な時間が経っている。
少しずつ、学校教育は変わりつつある。僕の高校ではグローバルコースなるコースがあったし、海外研修も積極的に行われていた。
ただ、そういった活動をただ”増やす”だけでは、教員、生徒両方の負担が重くなる。だから、何かを捨てなければならない。
今回は、学校教育のなかでも、どの科目が必要で、どの科目が不必要なのかを、改めて考えなおしていく。
一番必要な科目
まず、現在教育課程に組み込まれている科目のなかで、一番必要な科目は数学である。これは揺るがない。
理由は単純。論理的思考力を鍛えることができるからだ。
数学の世界では、1+1は2である。2.1や1.9などといった答えは許されない。
誰しも経験があるのではないか。現代文の記述問題で、文中の重要要素を何となくつなげて日本語としてとりあえず成立する文章を作成して、ある程度の点数を貰うという姑息な手段に打って出たことが。
数学は、そういった曖昧さが許されない。
公式を間違って覚えていたせいで、本当はマイナスのところをプラスにしてしまえば途中式が狂って即刻アウトだし、あてずっぽうで”20”と解答したからといって、当たる確率はほぼ0%だ。仮に答えが20.1だったとしよう。誤差は0.1だ。しかし、不正解は不正解である。
また、数学は暗記したからといって点数はもらえない。
公式を暗記する必要はあるが、かと言って、三平方の定理を答えなさい!という問題なんて出ない。
曖昧さと、暗記という力業を排し、ただシステムを厳密に理解し、活用する力を試すのが数学である。
”システムを厳密に理解し使いこなす力”を持たず、”常識”とか”空気”とかといった曖昧な判断基準、または暗記ばかりして知識をただ詰め込むような頭の使い方をすると、”賢く考える”ことができない。
そう。シンプルに、賢く考えるために数学は必要なのだ。
数学も変える余地が
数学は必要だ。しかし、変革の余地は残されている。
例えば、計算問題なんかを定期テストに出すのは有効ではない。
計算なんて、やり方を教えてもらえば、誰だってできる。小学生で習う計算は実生活でも使うが、中三の”ルート”なんて、実生活で使う機会はない。中学の段階では、定期テストには、もっと難しい文章問題を出すべきだ。なぜなら数学は、システムを厳密に理解し活用する力を鍛えることが本来の目的にあるからである。その力を向上することにもっとフォーカスすべきだ。
数学の改善点は、中学から難易度を挙げること以外にもある。
高校2年の段階で文系を選択した生徒に、数学Ⅱ,Bは必要ない。
なぜなら、理系に進まない限り、”log”や微分積分など使わないからだ(経済で微積は使うらしいが、高Ⅱ,Bの数学の微積は基礎レベルなのですぐ習得できる。よってそのときに勉強すればよい)。
代わりに、その生徒たちにはプログラミングをさせるべきだ。
プログラミングは、コンピュータという機械を相手にしているため、システムに乗っ取ってプログラムを書き込まないと先に進まない。曖昧さや暗記が通用しない点で、数学と同じ、論理的思考力を鍛えることができる。
あと、”論理学”が高一の数学にちょろっと含まれているのだが、それだけでは少々足りないかもしれない。代数などと違って、理系科目に繋がることはないが、”論理的思考力”そのものを鍛えるにはもっとも有効であることを補足しておく。
漢文、古文は必要?
皆さん疑問に思ったことがあるだろう。漢文、古文は必要なのかと。
結論から言って、漢文は不必要。古文はどちらとも言えない。
”漢文”は”中国語”とも違う、現在使われていない言語である(”文法”はまだしも)。英語のように、将来使うとか、外国に行ったら役立つなんてのもない。よって漢文はなくすべきである。
こんなことを言うと、いつか役に立つかもしれない!とか、100%無駄ではない!という反論があるかもしれない。しかし、そんなことを言っていると、不必要な勉強ははいつまでたっても減らないままだ。
数学は役に立つ!とか、学校教育は役に立つ!と言う声を挙げている人すらも、古文漢文だけは肯定しかねる態度を見せている。僕もまったく同意見だ。現代で有用でない科目は、排するべきなのだ。
古文がなぜ難しいか
漢文と同時に、古文も必要ない!という評価を下されることが多いが、個人的に古文に関しては、頭ごなしに否定することはできない。
なぜなら古文は、日本の伝統文化に目を向ける上で有効であるからだ。
これからの時代、外国に滞在する機会、外国人と接する機会が増えることは確実である。外国に行くと、日本人は”日本の人”という見方をされ続ける(僕は海外に長期滞在したことがないからわからないが、外国で生活する人はこう言う)。その時、自分のなかで日本人としてのアイデンティティを持っておくことは、やはり大事な気がする。
と言っても、古文の優先順位を疑わないわけにはいかない。単純に、古文よりも英語が使えたほうが絶対いいし、古文で得た知識、考え方が直接役立つとはどうしても思えない。
一つだけ言えるのが、教え方を変えること。古文を読ませるのも大事だが、日本人としての教養として、源氏物語などの古典文学の知識をしっかり身につけさせたり、現代にも活きる教訓を教えるといった文脈で指導するのがいいのではないか。
大胆なことを言えば
もっと大胆なことを言うと、高校一年から文系理系関係なしに、哲学を勉強させるべきである。(憲法同様、大学の授業で必修とするか)
まず、哲学とは、世界の”そもそも”を考える学問だ。
世界の”そもそも”とは一体何のか。これは人間が持っている考え方、認識、社会観などを指す。
これらの当たり前すぎて普段考えないことを当たり前と見做さず、懐疑的な姿勢で、なぜこういった考え方なのか?なぜこういった認識が一般的なのか?なぜこういった社会が成立したのか?を考えるのが、哲学という学問なのだ。
”自らにとって自明の事物について、改めて考える力”は、どの学問を学んでいくうえでも必須の能力だ。
そもそも、芸術以外の、ほぼすべての学問のルーツは哲学である。
例えば科学。これは元々、”自然哲学”という哲学の一種だった。科学という言葉が生まれたのは、19世紀に入ってから。だから、それ以前の科学者(例えばニュートン)たちは、厳密に言えば哲学者だったのだ。
自然を深く考えることが数学、物理学、化学となり、社会について深く考えるのが政治学、経済学、社会学となり、人間について深く考えるのが脳科学、心理学となった(ちなみに言語学や論理学は未だに半分、哲学の一種である)。
大概の学問の根本は哲学にある。哲学を知らずに勉強をするといるのは、憲法をろくに勉強せず専門的な法律を学ぶようなものだ(そうなのかな?法律を勉強したことがないので...)。少なくとも、根本にある大事なものがなんなのかを知らずにその学問を追究しようとしても、お門違いな方向に行ってしまう可能性が高い。また、行き詰まりに直面したとき、根本を見直すことができないと、壁を突破することはできない。
地政学なんかも有効かも
あと部分的に導入されたら面白いなあ、と思うのが地政学である。
地政学とは、要するに国際関係論の話である。どこどこの国はこういった資源を求めてこのような政策をしている云々の話。
この学問は、軍事的な話と密接な関係にある(と言うか、半分以上その話)なので、男子にとっては面白いんじゃないかと思う。
しかし、この科目のメリットはそこではなく、どれだけ汚い手を使ってでも自国の領土、そして利権を守るべきなのだという価値観を植え付けることができることだ。
一般市民の常識やマナーを、政治に要求するのはハッキリ言ってバカだ。なぜなら、政治がコケれば国民の生活が全てコケるからだ。些細なスキャンダルがあろうと、実力があるならばOK。地政学を通して、世界の外交の現状を知ってもらう。そして、政治にクリーンさを求める価値観を直ちに破壊せねばならない。
最後に
個人的に、疑う力は、よりよい社会をつくるうえでも重要だと思う。
いちいち疑いながら生きるなんて、大変なんじゃ?と思っているアナタ。疑う力を持っていない人間がどうなるのかを考えてほしい。
疑う力を持たない人間は、多くの人間が持っている考え方を正しいと決めつける(中世ヨーロッパだったら宗教、日本だったら空気といった具合に)。これが正しい!と決めつける人間は厄介だ。なぜなら、その考えが間違っているとは考えもしないからである。そういった決めつけをする人間は、自分と同じ考えを持っていない人間を弾圧する(キリスト教の歴史を遡れば明らかだ)。人間は、根本に巣食う思想を守るためなら、簡単に命を差し出すことも、奪うこともできてしまう動物なのだ。
自分の考えを押し付けず、間違っていると思う考えを間違いだと決めつけず、一旦、自分を疑うことができれば、本当の意味での多様性社会が生まれるのかもしれない。疑う力については以下の記事を参照↓
さて、いかがだっただろうか。依然としてムダがはびこる日本の学校教育。この科目が必要、必要じゃない、という議論もあるし、答えを与えない教育が必要だ!という声もある。まだまだ改善の余地がありそうだ。
こういった改革が進まないのは、大人たちが、これまで自分が頑張ってきたことを否定されたくない!とか、自分の居場所がなくなるのが怖い!といった負の感情からきているところが多い。
こういった感情が蔓延している限り、まだまだ改革には時間がかかりそうだ。
最後にいくつか本を紹介して終わる
言わずと知れたメガヒット。特に目新しい学説が唱えられてるわけではない。単に、人類の発展を体系的に理解させてくれる本。上巻はあんまし。下巻からが面白い。
教育小説の金字塔。教育を考える上でも好材料だが、それ以前に小説としての完成度が高すぎる。
個人的に一番のオススメ。映画と僕たちの実生活を繋ぐ評論です。
以上、最後まで読んでくれて、ありがとうございました!
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