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イナズマイレブンとはどういったコンテンツだったか

イナズマイレブン、それは、2008年から2010年ほどにかけて、全国の男子小学生の中で一世を風靡した超次元サッカーアニメである。

主人公のスーパーサッカーバカ円堂守率いる雷門中学サッカー部が全国大会を制覇して、学校に戻ってきたら学校が宇宙人に破壊されていて、破壊を阻止するために宇宙人とサッカー対決し(!?)、そして世界に羽ばたく、、、と言ういろんな意味で超次元なサッカーアニメである。(今考えたら宇宙一から世界一という謎のスケールダウン)

シーズン4(?)から時代が替わり主人公が替わり、化身と言う珍概念を生み出し、そこから人気は低下したそうだが(現にシーズン4からは僕も見ていない。あと、”ゴールずらし”を許容しておいて今更化身を珍概念扱いするのはなんか違う気がする)、全国優勝して学校に帰ってきたら校舎が破壊されて、宇宙人を名乗る奴らがサッカーで勝負を仕掛けてきてそいつらが信じられないぐらい強くて、何考えてるのかさっぱりわからない女監督が作中No. 1の人気を誇る豪炎寺をクビにし、その代わりに入ってきた吹雪士郎が二重人格のこれまた訳分からん奴で...という不安と謎要素を詰め込んだシーズン2の脅威の侵略者編は、間違いなく全国の小学生男子を熱狂させていた。

その人気は根強い。僕も含め2000年前後に生まれたドストライク世代は、中学生になっても高校生になっても時折イナズマイレブン、通称イナイレの話で盛り上がっていたものだ。ネット民の熱の入り方も、ちょっと他のコンテンツとは一線を画すものがある。サッカー日本代表がイナイレ世代に近づいていることから、また人気が加熱してもおかしくない(付け加えておくと、ベイブレードやミニ四駆など、かつてのコロコロコミックの看板コンテンツは何度かリバイバルヒットを重ねてきた実績がある)。

まあ、何がいいたいかと言うと、僕はイナイレが好きなのだ。毎週木曜日(?)テレビに齧ってイナイレを見て、翌日学校で友達と盛り上がり、休み時間にできるはずもない必殺技の練習をした小学3年生の時の原体験を、僕は死ぬまで忘れないだろう。

思春期が近づくにつれ、そのツッコミどころが多すぎる内容に心の底から熱狂する姿を周りに見られるのは流石に気が引けると言うこともあって、一定の年齢をすぎるとイナイレはツッコミの対象となることがどうしても多くなってしまうが、それでもネットを見てみると、やっぱり他の懐古コンテンツとは熱の入り方が少し一線を画すように僕には見受けられる。そこで今回は、必殺技を茶化すとか、五条さんを持ち上げるとかはやめて、イナズマイレブンの魅力をもう一度冷静に考えてみる。(この記事が対象としているのは、円堂守が主人公だったシーズン3までである)

五条


サッカーバカの”中学2年生”

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イナズマイレブンの最大の核は何か。一言で言えば、主人公、円堂守の”サッカーバカキャラ”だ。

だが、これは少し不自然である。まず、いわゆるスポーツ漫画やアニメは、主人公がその競技を心から愛していて当然だし、~~バカが主人公のアニメや漫画はイナイレ以前から数多存在するため、それだけでは魅力となり得ないはずなのだ。しかし、イナズマイレブンのすべての中心は円堂のサッカーバカにある。イナイレは、サッカーバカという概念をひたすらに強調することによってそれをありきたりなものから他に代えられない魅力にまで昇華させているのだ。

作中において、円堂守は数えきれないほど”バカ”と呼ばれる。物語の初期の段階で、視聴者に円堂守というキャラクターを簡潔に説明するために使われるのならまだしも、作品のコンセプトを決定づけるシーズン1だけで10回以上バカ呼ばわりされている。

また、イナイレのオープニング曲はどれもこれも、作曲者がブラジルのカーニバル帰りに書いたとしか思えないぐらい楽天的だ。なぜ、イナズマイレブンはここまでバカをフィーチャーするのか。

ここで、少し話は飛ぶ。この円堂守は、一見似ても似つかないある別のキャラクターと密接な関係にある。それは、怪物映画、ダーク・ナイトで猛威を振るった悪のカリスマ、ジョーカーである。

円堂は”逆ジョーカー”である

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この不気味極まる男と円堂を繋ぐキーワードは、”自己目的化”である。

円堂は、名声や金銭を得たいとか、モテたいとかのためにサッカーをやるわけではない。ただ単に”好きだから”それだけだ。試合に勝ちたい、仲間と何かを達成したいという感情ももちろんあるが、突き詰めれば自分が好きだからやっているだけである。

ジョーカーが次々と凶悪犯罪を犯す理由も同じ。権力や金が欲しいわけではない。ただ単に、人を殺すのが楽しいから、それだけ。そこに他者の目はない。だから何のためらいもなく人を殺せる。両者ともに、その行為が何かを手に入れるための”手段”ではなく、行為をすることそれ自体が目的化しているという意味では完全に共通する。

なぜ、”自己目的化”に心惹かれるのか

僕がジョーカーを引き合いに出したのは、単に自己目的化という点で被るというだけではない。実はイナイレとダークナイトは、全く同時期のコンテンツなのだ。(両者とも2008年。これ以降の数年間、この他にも自己目的化を軸にするキャラクターが出現した)

自己目的化しているキャラクターに、なぜ当時の人間は魅せられたのか。一言で言えば、手段としての”する”の意味が薄まったからである。

80年代までは、この組織に属してさえいれば安泰だとかいった考えが説得力を持った。他国での出来事が自国にそこまで影響を及ぼさなかったからだ。

しかし、ソ連崩壊/インターネットの普及によって世界が国と国との区別が曖昧になった結果、自明性が消滅した。結果として他国の出来事(金融危機、テロなど)が自国に大きな影響を与えるようになり、”何が起こるかわからない”という価値観が支配するようになった。そんななかで、自尊心と金を安定して供給してくれる組織というものが(少なくとも凡庸な一般市民からの視点では)激減したのだ。

そんな世界の中で、権力や金銭を目的としない自己目的化した存在は超越性を孕むことになり、多くの人間の心の拠り所となるのだ。

ジョーカーはただひたすらに暴力、破壊が好きということで、我々の秩序を根底から覆す”悪のカリスマ”となった。円堂はただひたすらにサッカーが好きということでヒーローとなった、いわば逆ジョーカー的存在なのだ。

なぜ3年生が出てこないのか?

イナズマイレブンは他にも、スポーツ系サブカルチャーとしては変わった設定が用意されている。それは、中学3年生がほとんど出てこないことだ。

スポ根において中学3年生(もとい、最終学年の部員)が出てこないことは普通あり得ない。それは言うまでも無く、”最後の夏”イベントを用意するためである。

しかし、イナイレに出てくる中学3年生はほんの数人で、(サーファーの津波、元ヤンの飛鷹ぐらい?)中学2年生が半分と、残りは大人と中学一年生が占めている。(物語にさしたる影響を及ぼさなかったモブキャラは含まない)明らかにイナイレは中学2年生がメインなのだ。

なぜか。答えは簡単だ。これも結局、円堂守という男を際立たせるための設定なのだ。

中学2年生とは何か

中学2年生とはどんな時期だろう。それは、他者評価と理想が一番せめぎ合う年である。こういった存在になりたいと言う理想を抱きつつ、(社会に出る準備として)こうならなきゃいけない。(だから理想を持っている奴はイタい。でも内心は自分も理想を追いかけていたい)こんな感じの感情が日々渦巻いている時期。それが中学2年生だ。

そんな人間からして、円堂守という男はどう見えるだろう。実質一人しかいないも同然のサッカー部で、全国大会優勝を目指し、馬鹿みたいな練習を延々と続けている。彼に世間の目を気にしている素振りは微塵もない。そんな姿を見ているうちに、アイツの情熱は一体どこからくるんだ?と言う疑問が生じ、やがてそれは羨望と尊敬に代わり、仲間が一人、二人と増えてくる...中学2年生こそが、円堂守を最も輝かせるために必要なのだ。

サッカーバカ VS 手段としてのサッカーの行使 

サッカーバカ円堂守は、サッカーをただ好きだからやっている。そんな彼の敵、つまりイナイレにおける悪役は、権力を得る”手段としてのサッカーの利用者”、サッカーが好きというより、力、権力を得たいがためにサッカーに情熱を注ぐ人間だ。この設定自体には別に驚きはないと思う。しかし、この手段としてのサッカーの利用は、視聴者の想像を超えるものだ。

サッカーを破壊の道具とし、全国の中学校を瓦礫の山にする謎めいた存在、エイリア学園もすごいが、シリーズ全体(ここではシーズン1から3まで)を通しての敵は、なんといっても影山だ。

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この影山という男、エヴァンゲリオンに出てくるシンジの父、ゲンドウの5倍権威的な男だ。自分がサッカー界の頂点に立つためなら手段を選ばない。ドラッグ使用、ライバル選手やその家族を生死の境に陥れ、自分の選手を権力を得るための道具として扱う。

彼らのような存在に、力を求めて数多くの人間が引き込まれていく。そんな人間をサッカーを通じて解放し、自己目的化に導く。それが、イナズマイレブンというコンテンツなのだ。

補論


その他、イナイレについてのいろいろ

一番好きな技は?

ファンの中でもだいぶ好みが分かれるだろうが、僕の中では皇帝ペンギン2号一択だ。

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まず、普通に強力なシュート技であること。そして作中一の頭脳派である天才ゲームメイカー鬼道有人が指揮するにも関わらず、ちょっと可愛いというギャップ、鬼道が口笛を鳴らしたと同時にキッカーの二人が前方に走り込み、鬼道が引きの絵になるという巧みな演出、初見者に与える、なぜ皇帝ペンギン”2号”なのだろう?という疑問と、後にシーズン2で回収されるその伏線...と、めちゃくちゃいろんな要素がこの5秒間の中に詰め込まれているからだ。

一番好きな回は?

ファンの中で一番声が上がるのは間違いなく「復活の爆炎」、つまり炎のエースストライカー豪炎寺のカムバック回だが、敢えて他の回を紹介するとしたらやはり、「帝国の逆襲」だろう。

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アフロディにボコボコにされた帝国学園の仲間の復讐を果たすため雷門にやってきた鬼道だが、皮肉にも彼の仲間は真・帝国学園を名乗り鬼道に勝負を仕掛けてくる。決別したはずの悪魔、影山総帥に導かれ...

命を懸けて勝利を掴みにくる闇堕ち佐久間にヒヤヒヤさせられる緊迫した試合展開に加え、先ほどの皇帝ペンギン2号での違和感は、この回で回収される。また、試合が終わった後の鬼道と影山の会話が印象深い。「私が手がけた最高の作品を教えてやろう。それは鬼道、お前だ」という影山の言葉は、サッカーをする上での宿命かの如く影山的存在はついて回ることをも連想させる。さらに後の展開に続く伏線ありのシリーズ最強のトラウマ回だ。

一番好きなキャラは?

人気投票の結果を抜きにして、(イナイレの人気投票はネット民の中では伝説となっている。よかったら調べてみてほしい)冷静に考えれば豪炎寺か吹雪じゃないかと思うが、やはり自分は鬼道が好きだ。

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シーズン2の前半は、謎と不安に包まれた暗い雰囲気が常に漂っている。そんな中で円堂のポジティブさだけで難局を乗り切る展開では、やはり軽薄で説得力に欠けると思うのだ。そんなシーズン2前半において鬼道は、冷静な判断力でチームを牽引し続けたし、彼がいたからこそ、先ほどの「帝国の逆襲」という話ができた。(今気づいたけど、好きな技も回もキャラも全部鬼道絡みやんけ...)


イナズマイレブンはシーズン3の後どうするべきだったか?

リアルタイムで見ていた人は何となくわかると思うが、イナイレはシーズン3から人気に翳りが見えてくる。

今振り返ってみると、シーズン3の世界編には絶望感が大幅に薄まり、基本的に平和な世界でサッカーをやっているだけ。そこに緊迫感はない。もっと代表メンバーの入れ替わりが激しかったり、チーム内での不和が生じたらよかったのでは?と今は思う。

その後も新たなシーズンがたびたび放送されるが、その人気が戻ることはついになかった。しかし、そもそもイナズマイレブンというコンテンツの性質上これは仕方のないことでもある。なぜならイナイレは”手段から自己目的化への移行”という精神の動的イメージに終結する大前提に設定が作られているからだ。

だから結局”大人たちの呪縛から逃れ純粋にサッカーを楽しむようになった少年”的なエンディングに終着する他ない。そうしない場合は馬鹿げた必殺技も陽気なオープニングもただ空回りする一方である。(実際シーズン3以降は空回りしていた)

このような”〜〜な未来へと向かっていく”的な、精神の動的イメージを大前提に置いた作品はどれも終着点が定まらない。代表例が涼宮ハルヒであろう。オカルトや超能力的な世界観から日常の享楽へと向かっていくという同じく動的なイメージを核にしたこの作品も、そのさきに解決するべき問題はないのに未来に開かれているためにその終着点を見失っている。


個人的に勿体無いのは、魅力的なキャラクターがいるのにも関わらず、日常系をやらなかったことだ。マネージャーと選手のラブコメとかギャグ要素を盛り込んだ二次創作がたくさん作れそうなのに、無理して次の戦いを用意する必要はなかったのでは?と今更になって思う。

とまあ、こんな感じで僕のイナイレ愛を存分にぶつけてみた。こういった子供向けのコンテンツを大真面目に解説する記事ってのはなかなかnoteでは見かけないため、好評であれば同じような記事を書こうかなと思う。

最後まで読んでくれてありがとう!

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