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痛快なまでの「天才」論!

■ショウペンハウエル『知性について』


ショーペンハウアー先生(なぜか先生をつけたくなる)の著作はこれまでに『読書について』『幸福について』を読んだけれど、それらと大きく変わらない、相変わらずのキレキレな口調。

「先生……凡人からよっぽどひどい仕打ちを受けたのですか?

と聞いてみたくなるくらい、とにかく凡人蔑視が強烈。笑 あまりにも潔く差別しているのでもはや腹も立たず、一周回って笑ってしまう。どのくらい強烈かというと、

過去や同時代の偉大な精神たちの傑作というものは、実は彼にとってのみ本当に存在しているのである。通常の頭脳、すなわち劣等な頭脳の持ち主は、偉大な精神の所産を推薦されて胸をおどらせてみても、それは痛風患者が舞踏会の招待を受けて悦ぶようなものである。痛風患者は儀礼上出席し、そして平凡な頭脳も遅れまいとして傑作を読むであろうが──。ラ・ブリュイエールが、「世界中すべての精神も、精神なき人には無用である」と言っているのは、至言である。(P.138)

そして「凡人と交流するぐらいなら犬のほうがマシである」とか言い出す始末。


『幸福について』を読んだときは、この激しい“知性崇拝”に疑問を抱いてしまったわけだけど、もう今となってみては「ショーペンハウアー先生はたぶん何か嫌な過去があるんだな」と(勝手に)納得してしまった。

もちろん、私だって「天才」は存在すると思っている。自分とアインシュタインが同等の頭脳を持っているなどとは夢にも思わない。

しかし、ショーペンハウアー先生の言葉を鵜呑みにすると「天才は生まれつき天才、凡人は生まれつき凡人」となってしまうから、やる気が失せる。そこまで区別せんでもよかろうに、というのが素直な感想である。

・・・

それはそうと、いくつか哲学書を読んできた中で、ショーペンハウアーの言葉がもっとも「読みやすい」と感じるのは事実である。浮世離れていつつも、ほどよく現実を見ている。彼は、過度に抽象的な言葉で煙に巻くタイプではない。言っていることの是非はともかくとしても、文章としてのキレは素晴らしく、尊敬に値する(とかえらそうに言うと怒られそうだけど)。

哲学上の著作は案内人であり、その読者は旅行者である。ともどもに目的地に着くつもりならば、まず何をおいても、相携えて出発しなければならない。すなわち著者は、双方が確実に共有している立場の上で読者を迎えなければならない。しかるにこの立場とは、われわれ万人に共同の経験的意識の立場以外のものではありえない。(P.15)

というように、彼は自分の立ち位置を正確にわきまえている人だ。彼は自分で自分を「天才」とみなしているようだけど、同時に、この本の読者が「凡人」であることを意識している。だから読みやすい。

今回個人的に一番面白かったのは、最後の「汎神論」の章だ。

「汎神論」というのは──私もよく知らないけど、万物がすなわち神であり、神と世界を一体のものとして見る、という感じの思想らしい。日本人はアニミズム的思想をもっているので、比較的理解しやすい価値観ではないかと思う。

しかし先生は「汎神論」を論破する。ここが面白い。

世界を神と名づけてみても、それは世界を説明したことにはならない。ただ、国語に、世界という単語の余分な同義語をひとつふやしただけのことである。「世界は神である」と言っても、「世界は世界である」と言っても、帰するところは、同じである。(P.171)

「世界は神である」という言葉は何も説明していない、という。その説明はさらに以下のように続く。

もっとも、そのさい神から出発して、神を説明さるべき所定の主題としてみなすならば、従って「神とは世界のことである」と言うのならば、これは「未知のもの」を「よりよく知られているもの」へ引きもどして説明していることになるので、ある意味で一種の説明を与えたことにはなる。だが、それも言葉の上の説明にすぎない。

──ところがその逆に、現実に与えられて説明を要するもの、すなわち世界から出発して、「世界とは神のことである」と言うとすれば、これが無意味な説明であることは、あるいは少なくとも「未知のものを一そう未知のものによって説明する」ものであることは、明らかである。

つまり、

○「世界(既知)」を用いて「神(未知)」を説明する
✗「神(未知)」を用いて「世界(既知)」を説明する

「何かを説明するのなら、より低次の用語を用いなければならない」とも言いかえられるだろうか。

これには「なるほどぉ!」と感じた。

(実は、哲学書ってそんなに難しいことは書いてなくて、当たり前のことをもったいつけて書いているだけだったりする。いや、正確には、当たり前のことすらも実は私たちは気づかずにいるから、それをきちんと論理的に説明するだけで、ちゃんと哲学になるのではないか。と思う。……というわけで、私は別アカウントで「当たり前のこと」をたくさん考えるという試みをしている

さらにまだこの議論は続くのだが、かようにまず「世界は神である」を否定したのちに先生は、「そもそも汎神論を唱える人はすでに『神』という概念を知っているから『世界は神である』などと言えるのであって、『神』という存在を認めている上でそれを『世界』にあてはめているのだ。彼らはただ『神』の置き場所を見失っただけだ」とキレキレの論破をする。ここ、めちゃ好き。笑

・・・

……というわけで、私は、思想としてはしっくりこない部分も多いけれど、一人の人間としてのショーペンハウアー(ショウペンハウエル)先生の著作に興味があります。哲学史のことは知らないので、先生がどういう位置づけの存在かはわからないけど、読んでいて面白いです。

そのうち『自殺について』も読みます。


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