マガジンのカバー画像

【読書】のマガジン

147
読書感想文、読書に関連する投稿のみを集めています。読書の記事のみにご興味のある方はこちらをフォローしてください。
運営しているクリエイター

#哲学

読書感想文一覧【随時更新】

noteに投稿した読書感想文が増えてきたので、自分の整理も兼ねて一覧にしてみました。随時更新します。脱線している場合も多いですが、気になる本があればぜひ読んでみてください。 2022年■アミール・D・アクゼル『「無限」に魅入られた天才数学者たち』 ■有元葉子『レシピを見ないで作れるようになりましょう』 ■ジョージ・オーウェル『一九八四年』 ■ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』 ■日高敏隆『ネコの時間』 ■加藤文元『人と数学のあいだ』 2021年■志賀直哉『暗夜行路』

読書を始めた夫、その後

「読書を始める夫へ」。この記事に対して思いの外たくさんの方からスキをいただき嬉しかった。──のだが、後日談がある。 夫は結局、この本をほとんど読まなかった。 「読まなかった」と「読めなかった」のどちらも50%ずつという感じだが、いずれにしても、数ページしか読んでいない。 ・・・ 私がこの本(ショーペンハウアー『読書について』)を夫にすすめたのは以下のような理由からだった。 1.「読書」をテーマにしており、読書習慣の入りとしてふさわしいから 2.文体がそこそこ読みやす

痛快なまでの「天才」論!

■ショウペンハウエル『知性について』 ショーペンハウアー先生(なぜか先生をつけたくなる)の著作はこれまでに『読書について』と『幸福について』を読んだけれど、それらと大きく変わらない、相変わらずのキレキレな口調。 「先生……凡人からよっぽどひどい仕打ちを受けたのですか?」 と聞いてみたくなるくらい、とにかく凡人蔑視が強烈。笑 あまりにも潔く差別しているのでもはや腹も立たず、一周回って笑ってしまう。どのくらい強烈かというと、 過去や同時代の偉大な精神たちの傑作というものは

〈興奮〉ではなく〈退屈〉から幸福を得るという生き方

■バートランド・ラッセル『幸福論』 以前読んだショーペンハウアーの『幸福について─人生論』と比べると、同じ幸福論でも大きな思想の違いが見てとれた。 一言でいえば、ショーペンハウアーの幸福論が「(やや)ネクラで知識層向け」であるのに対し、ラッセルの幸福論は「ネアカで一般大衆向け」である。 ショーペンハウアーの主張は「他人との関わりを断ち、一人で精神的思索に没頭する喜びを追求せよ」だった。一方でラッセルは「意識を外に向け、他人と友好に関わり、考えすぎるのをやめろ」という主張

「苦悩と死とが意味をもつならば、私は私の苦悩を苦しみ、私の死を死のうと思った」

■ヴィクトール・E・フランクル『死と愛──ロゴセラピー入門』 「私は私の人生が意味をもつときにのみ生きることができたのである。そしてまた苦悩と死とが意味をもつならば、私は私の苦悩を苦しみ、私の死を死のうと思った」(P.144) 今回はかなり長く、個人的な体験や考えを書いています。例によって本の内容とややズレるかもしれませんがご了承ください。 ◎ 二週間ほど前だろうか。ある人の死を知った。 その人とは面識などまったくなく、Twitterで一方的にフォローしていたのみだ

ダイダロスの比喩と太陽の比喩

■プラトン『メノン─徳(アレテー)について』 光文社古典新訳文庫では、アリストテレス『ニコマコス倫理学』とセネカ『人生の短さについて』を読んだことがあり、哲学書を読むなら光文社!というぐらい気に入っている。なので、プラトン入門も当然光文社から。 さてさて、この『メノン』。翻訳のおかげかもしれないし、対話形式だからかもしれないが、とても読みやすい。 しかし──「読みやすい」のと「理解している」のは、違う。と今回、強く感じた。 ……というのも、光文社古典新訳の特徴の一つに

言葉というメディウムをもつ盲目の人

■ホルヘ・ルイス・ボルヘス『七つの夜』 ボルヘスが七夜にわたって講演を行なった記録。以前書いた『語るボルヘス』と似た形式だ。七つのテーマは以下の通り。 「神曲」 「悪夢」 「千一夜物語」 「仏教」 「詩について」 「カバラ」 「盲目について」 (『語るボルヘス』よりも全体的にややとっつきにくいテーマかもしれない) ボルヘスは、自他共に認める「記憶の人」である。多読な上に記憶力がとてもよく、様々な作家や作品を脳内にストックしているようだ。 私は記憶力が非常に悪い人間な

ダイナミックな数学|「正しさ」は絶対か?

■加藤文元『数学の想像力 正しさの深層に何があるのか』 「論理」は必ず「流れ」を伴って現れる。いや、それだけではなく、そもそも論理と流れとは同一のものだ。 素晴らしかった。 加藤文元さんの本をこれまでに(ガロアの伝記も含めると)3冊読んで、その面白さと読みやすさに疑う余地はないと思っていた。 で、4冊目に読んだこの本。私にとっては最も興味深く、なおかつ最も完成度が高いと感じられる1冊だった。 これまでの『数学する精神』『数学の歴史』と根本的にスタンスが同じで、内容も

では、私たちのモラルの正体はなんなのだろう

■梶井厚志『戦略的思考の技術』 自分にはあまりない(と思う)「戦略的思考」とやらに興味をもち、読んでみた。 「ゲーム理論を実践する」とサブタイトルについているが、ゲーム理論の面白さが感じられるのは第一章のみ。第一章はいくつかの例を用いてゲーム理論に基づく戦略的思考が説明されており、なかなか頭をつかう。けれど、第二章以降はあまり難しくなく、誰もが日常的に経験していることを経済学用語で説明されているだけ、という感じ。 よって、ゲーム理論を本気で実践したい人には若干物足りない

論理学という厳しくて寛容な体系

■野矢茂樹『入門!論理学』 「私」について書いた以下二つの文のうち「論理的に正しい推論」はどちらだろうか。 (1)彼は酒豪だ。私は彼の娘である。よって、私は酒が好きだ。 (2)私は男である。男はみな酒が好きだ。よって、私は酒が好きだ。 まず(1)について。「彼」が私の父を指すことは二つ目の文からわかる。父は事実、酒豪であった。 次に(2)について。そもそも私は男ではない(女である)。さらに、男が酒好きとは限らない(酒が嫌いな男だっている)。 そして、どちらも導かれた

数学という玩具

■加藤文元『物語 数学の歴史』 数学するという行為においては、直観の重要性はいくら強調しても強調しすぎることはない。数学の進化とは、正しさの直観能力の進化である。それは人間の悟性が、より抽象的な世界の中に新たな正しさを見出すことである。そして数学における抽象化とは、対象やパターンに対する意図的な健忘を通して、人間の感性を洗練することに他ならない。 ー 34ページ 一つ前に読んだ岡潔『数学の歴史』に比べて、10倍ぐらい読みやすかった。ほとんどの人にはこちらをお勧めしたい。

「二人ならば一人でいるより、考えることも行為することも、いっそうよくできるものだからである」

■アリストテレス『ニコマコス倫理学(下)』 二人ならば一人でいるより、考えることも行為することも、いっそうよくできるものだからである。 ー 186ページ 善き人々は互いに自分自身のゆえに友人となることができる。なぜならかれらは、善き人であるという点で友人だからである。 ー 208ページ この『ニコマコス倫理学』は、私がこれまで「哲学」というものに対して抱いてきたイメージを変えた。 そもそも哲学書なるものをほとんど読んだことがない。苦手意識があって避けてきた。記憶にある

アリストテレスの慎重な「倫理学講義」の価値|地から図を描くこと

■アリストテレス『ニコマコス倫理学(上)』 この本を読む上で、一つだけ念頭に置くべきと思うことがある。それは、ここに書かれた内容は、アリストテレスが(ギリシャの)若者に対して行った倫理学の講義である、ということだ。 「タイトルを読めばわかる」と思われるかもしれない。……がしかし、必要以上にそのことを意識したほうがいいと私は感じた。 つまり、これはアリストテレスといういち哲学者が世間一般に対して書いたものではないし、「私はこう思います!」と声高らかに伝えたいわけでもない。

タイムイズマネー、人生は有限なり。

■セネカ『人生の短さについて 他2篇』 手の中にあることが確実なものなら、それがいかにわずかでも、やりくりするのはたやすい。しかし、いつ尽きるともしれないものは、より慎重に守らなければならないのである。 ー 43ページ 「人生の短さについて」「母ヘルウィアへのなぐさめ」「心の安定について」の三作が収録されている。 ストイックの語源ともなっている「ストア派」に属するだけあって、禁欲的な思想のセネカ先生。全体として素直な感想は、「そこまでストイックになれないかな〜」でした。