読書を始めた夫、その後
「読書を始める夫へ」。この記事に対して思いの外たくさんの方からスキをいただき嬉しかった。──のだが、後日談がある。
夫は結局、この本をほとんど読まなかった。
「読まなかった」と「読めなかった」のどちらも50%ずつという感じだが、いずれにしても、数ページしか読んでいない。
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私がこの本(ショーペンハウアー『読書について』)を夫にすすめたのは以下のような理由からだった。
1.「読書」をテーマにしており、読書習慣の入りとしてふさわしいから
2.文体がそこそこ読みやすいから
3.ショーペンハウアーの哲学には切れ味があり、わかりやすいから
これは3つとも的外れだったかもしれない。もっと言えば、傲慢だったかもしれない。と反省している。
1:「読書」というテーマ
私が「読書」をテーマにした本に惹かれて楽しめたのは、自分が読書家だからかもしれない。
初心者向けに書かれた本ならいざしらず、この『読書について』はどちらかといえば批判的な内容だ。自分がある程度読書してきた/しているからこそ、読書批判が身に沁みたしワクワクしたのだ。
例えば「料理を始めたい」と思い立ったときに、昨今の料理家は云々とか、料理の心構えは云々などとくとくと語られたら、嫌になってしまうかもしれない。めんどくさ、と思うかもしれない。たぶんそういう感じの内容なのだ。
2:文体が読みやすい
私はそれなりに難しい文章を読むことに慣れているから、この文体が読みやすいと感じた。しかし評論文のような長文を読み慣れていない夫にとって、この文章は硬かったようだ。
例えるならば離乳食の食材の柔らかさを間違えて、気が急いて次のステップに進ませてしまったようなものだ(伝わる…?)。なんだか申し訳なかった。
3:ショーペンハウアーの哲学の切れ味
確かにショーペンハウアーの哲学は切れがよく面白い。これは間違いない。しかし夫はそもそも哲学を求めていなかったのだ。
では何を求めていたかというと、彼の言動から推測するに、知識を得たかったのだと思う。
私は、哲学のような抽象的な思考が好きだし、それが読書の醍醐味だと感じている。しかしすべての人がそうではない。どちらかといえば読書量=知識量と考えて読書に魅力を感じる人が多いと思うし、夫はまさにそのタイプだった。
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何度読んでも数ページで止まってしまい、好意であげたはずの本が「読まなきゃ」という義務感を生んでしまっているのを見て、「これはやっちまったなぁ」と思った。
最初は「大丈夫、読むよ。俺にはこういう本が必要なんだ(?)」と頑張っていたのだけれど、「読みたい」という感情が全く沸いてなさそうだった。「面白そう」とも思っていないようだった。だから「読書は無理するもんじゃないよ、読みたいのを読んだほうがいいよ」とズバッと言ってしまった。
夫はとても心が優しい。「人からもらったものを使わないなんて失礼だ」と考える性格だ(そんなに無理しなくてもいいのにと常々思うが、その優しさに私は日々救われているのだろう)。
仕事が忙しすぎるせいもあって、結局その後、夫は読書をしていない。「おすすめされた本を読まなかった」という事実が、彼の心にわだかまりを作ってしまったのかもしれない。出鼻をくじかれたのかもしれない。
そのせいで読書できていないのだとしたら、本当に申し訳なかった。
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そして、もしかして私の投稿がきっかけで『読書について』を買って、「なんか想像と違う」と思った方がいたら、この場を借りて謝らせてください。
(でもこの本は面白いと思います。本当に。)
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人にプレゼントをしたり作品を薦めるというのは本当に難しい。私は視野が狭く、いつも人の視点に立てない。物を贈るのが上手な人はきっと推理も得意だろうし、人を騙すのも上手いかもしれない。
かなり昔に書いたものだが、以下の投稿を思い出した。
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