台湾人のわたしが新潟県五泉市で地域おこし協力隊になった話
2023年5月の大型連休に初めて、東京から新幹線で新潟駅まで来ました。
趣味の端唄三味線の師匠が新潟出身で、その繋がりで新潟で田植え体験をすることになりました。車に乗せてもらうがまま、外の風景の田んぼの割合が徐々に増えた。師匠の家で一泊した翌日に田植えのお手伝いをする農家に行くと、そこが五泉市の米農家でした。
きっかけは、五泉市での田植え体験
想像していた手で苗を植える田植えと違って、間隔が均一で綺麗にできる田植え機がやってくれた。私たちの仕事はというと、田植え機に載せる一枚一枚になっている苗を、あらかじめ田んぼの周りに置いて行くことだ。
青空の下で慣れない肉体労働で疲労がたまり、汗がぼたぼた流れてきた。「やはり農家は大変だ」と汗を拭いているうちに、お昼の時間がやってきた。農家さんがふるまってくれてご馳走を食べながら、色んな話に花が咲いた。
そのなかで「こんな募集がありますよ!」と差し出されたのは五泉市地域おこし協力隊の募集情報だった。「いいんじゃない?」「Qちゃんにぴったりだ!」と周りは盛り上がったが、私はそこまで乗る気がなかった。
ただ、東京に戻って、「今後の人生どうするか」を考えていたことを思い出した。
応募から結果が出るまで、約二週間だった
締め切りまで時間がない。「地方生活もいいんじゃない?」「師匠も近くにいるし」「相談だけでも」と、自分を説得する言葉を並べ、オンライン相談を申し込んだ。相談は双方緊張していた。
締め切りに間に合うには、翌日に応募書類を郵送しなければいけない。「市役所の人よさそう」と理由がもうひとつ増え、急いで応募書類を出した。
書類選考の結果は合格、次はオンライン面接だ。「落ちたらどうしよう」というより、「受かったらどうしよう」の気持ちの方が大きかった。
「地方での生活に慣れるだろうか」、「東京の生活が恋しくならないか」、「ペーパードライバーだけど大丈夫か?」不安な気持ちに溺れそうになったが、面接の数日後に届いた五泉市役所の封筒には採用通知が入っていた。応募から結果が出るまで、約二週間だった。
7月の着任に向けて、急ピッチに用意を進め、もともといた職場に退職する旨を伝えた。6月上旬にアパートの下見で五泉市に訪れると、「ああ、本当に行くのね。」と現実味が帯びてきた。
ついに来ました、五泉市
不安ゆえ、東京のアパートも残すことにした。一部の荷物をヤマト運輸の単身向けの引っ越しプランで新潟に発送して、新幹線で東京を後にした。五泉市での住まいは市役所から2㎞圏内のアパート。
いくつかある候補の中で、決め手は駐車場に消雪パイプが完備であること。アパートの徒歩圏内にスーパーとコンビニがあること、そしてポケットWi-Fiの電波が悪いわけでもないようでほっとした。
6月30日に移動、7月1~2日は土日休みで7月3日が初出勤。日曜日の夜は、初出勤日に着るスーツのシワをのばすのに精一杯だった。
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