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両親が共働きだったので、小学校に入る前は保育園に通っていた。

イマイチなじめなくて、結局途中で退園してしまうことになるのだが、その保育園での嫌なことの1つが

真冬の乾布摩擦。

聞いたことがある人は多いだろう。

肌を乾いたタオルでゴシゴシこする。一種の健康法?なのかな。

私は小さい頃から、何かをしろと強制されたり、集団で何かをさせられたり、理由や根拠のないことが嫌いだったが、この乾布摩擦はその最たるものだった。

まず、冬にシャツ1枚になるのだから寒い。当たり前だけど。なんでわざわざ寒いカッコにならなあかんねんって思う。

次に、保育士の先生たちはあったかそうな服を着たまま。なんで子供だけせなあかんねんって思う。健康にいいなら先生もしたらええやんって。

さらに、そもそもこれほんまに健康にいいの?どんな効果があるの?って思う。

そして、その説明がないことに、なんで理由話してくれへんのって思う。大体、人に何かをさせる時に、理由がないというのは納得いかない。相手が幼児でも子供でも、理由を話すのは当然だと思う。

というわけで、理不尽だらけの乾布摩擦に、心の中を不満とモヤモヤでいっぱいにしながら、私は渋々やっていた。

特に身体によかったのかどうかは分からない。ひたすら「寒い」「いやだ」と思ったことだけが記憶に残っている。

最近、ふと思い立って乾布摩擦の科学的根拠について調べてみたけど、特にこれというものは見つからなかった。実際、昔は良く行われていた乾布摩擦は近年ではほとんど行われていないらしい。

結局、科学的根拠がなかったのか、なにかを強制させるのはよくないという風潮が高まったのか、子供を冬に肌着一枚にさせるという点に批判があったのか、原因は定かではない。

しかし、科学的根拠がどうであれ、健康法というものは、それを実行する本人が信じて納得していないと全く意味はないと思う。いや、むしろ害ではないか?

病は気からというくらいだから、ある健康法が効果があるのかないのかは、気の持ちようがかなり影響あるはずだ。猜疑心だらけ、不信感だらけでイヤイヤやっていた乾布摩擦に効果があったとは少しも思えない。

もちろん、命に係わる処置だとか治療に関しては、患者本人が納得していなくても、必要な場合があるだろう。しかし、健康法に関しては、科学的根拠を確認してから、それに納得してからするべきだと思う。

そして、ちょっと話がとぶようだけど、自分のこの経験から、子供になにかを強制することは決してしないと決めている。特に、中学受験の勉強をしている長男については、勉強のやり方について、きちんと理由と根拠を示した上で、話し合って、本人が納得して進めることが大切だと思っている。

親がどんなに「この方法がいいよ!」「このやり方があってる」と言ったって、それに根拠がなかったり、それに子供が納得していなかったら、意味がないのではないだろうか。

「朝、早起きして計算と漢字をやると頭に入りやすいからやろう!」と言ったって、それがその子のベストかは限らないし、子供が納得しなければ、その効果はほとんどないのではないかと思う。むしろ、押し付けてしまったら、それに反抗したくなるかもしれない。

こんなふうに子供と話し合おうと思えることは、あの保育園での乾布摩擦の経験があったからだとすると、少しはあの経験は私にとって意味があっとたと言えなくもないか。身体とか健康とは全然違うけど。そしてもう二度とやりたいとは思えないけど。


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