本と美容院と大切にしたいこと

気になる本はブックカフェ(購入していない本を読める、カフェ併設の書店)で読んでしまうことがほとんどだが、唯一、村上春樹さんの本だけは、新刊が出たら買うことにしている。

買ってきたら、まず中身をパラパラめくって、まえがきがあれば読む。それがなければそのままいったん本棚にしまう。

私にとって、本は、特に村上春樹さんの本は、「一刻も早く読みたい!」のに「読み終わりたくない!」という、なんとも悩ましい存在だ。新刊を買った時点から読み終わるまで、毎回、この葛藤が続くことになる。

エッセイの場合は、空いた時間にコーヒーやワインを飲みながら、1編1編ゆっくり味わうように読む。デパ地下で買ったちょっと高級なお菓子のように1口ずつじっくり味わうのだ。

小説の場合は、普段の生活では読まずにとっておく。じわじわ募る読みたい気持ちを抑えながら。

なんのために?

答えは、美容院でじっくり読むため。

エッセイみたいにちょこちょこ読むのもいいけれど、小説は集中してグッと読みたい。ふだんは3人の子供達がなんやかんやと話しかけてくるし、家事もあるし、どうも細切れになってしまう。子供たちが寝静まったあとは、もう疲れてしまって長時間集中できないのだ。(←年ですね)平日は、エッセイとかショートショートとか、そういうライトなものだけ読むことにしている。

そうして、読みたい気持ちをためてためて、久しぶりの美容院の日。ずっと待ち遠しかった美容院の日。

席に座って、施術がはじまったら、後はもう読書の時間。美容師さんと世間話をすることもほとんどない。私の中では「美容院 = 読書できる時間」という図式なので、話しかけられるのはちょっと困る。そのため、既に私のことを「この人は本を読む人」とインプットしている同じ担当さんにお願いしている。

昨日はちょうど久しぶりの美容院の日だった。朝からウキウキだ。髪がどうのこうのじゃなくて、本が読めるから。ずっと読みたかった村上春樹さんの新刊「一人称単数」を持ってでかけた。美容院が終わった後は、なんとも言えないスッキリした気持ちになる。

そういうわけで、美容院は、私にとってはかけがえのない大切な時間だ。はたから見れば、不要不急の外出だろうか?

誰もが、様々な時間と場所に、それぞれの意味を持っている。それは、単純に人と比較できないし、客観的な指標で計ることもできない。もちろん、周りに迷惑をかけることはダメだけど、そうでなければ、誰もが誰かに「それはダメ」「こうしろ」なんて指図はできないんじゃないだろうかと思う。

でも、ここ最近の世の中は、自分のものさしで周りを計って批判する人が増えてきたような気がする。落ち着かないですね、なんだか毎日ざわざわした気持ちを、自分も含め、みんなが抱えているような感じだ。これからも、自分の大切なものを大切にし続けることができるのだろうか。

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