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少しの不思議をあなたに/『家守綺譚』

それはいつの時代のことなのだろうか。

現代なのか。少し前のことなのか。

それともずうっと昔のことなのか。



亡くなった友人・高堂の実家に住むことになった物書きの主人公は、その家を中心に起こる、不思議な現象の数々に出会いながら過ごしていくようになる。

ーーサルスベリのやつが、お前に懸想をしている。
ーー……ふむ。
先の怪異はその故か。

そして、亡くなったはずの高堂も時折ふらりと出てきては、主人公に助言をしてくれる。

普通、幽霊というと恐怖か、もしくはしんみりかどちらかを与えるものだと思うのだが、高堂はあまりにも自然体であるし、向こうの世界できちんと忙しそうに過ごしていることがわかる描写が、読んでいてとても気持ちが良い。

出てくる「不思議な現象」も河童、人形、竜をはじめ、空想上の生き物だと言われているものや、草花の気持ちが大々的に現れたものなど、少しでも考えてしまうと受け止めきれなさそうなことばかり起こる。

しかし、一話一話が非常に短くふわっと通り過ぎて行ってしまうところも非常に読みやすくてお気に入りだ。

一つの物語が短いと2ページほどで終わってしまうものだってあるのだ。

けれど、短編集というブツ切れになるような印象は全く与えず、全てがさらりさらりとしている。

驚くのも主人公ばかりで、隣の家の奥さんも仲良しの和尚も「はあ、まあ、そういうものですから」と動じない。

犬のゴローでさえも異常に物分かりが良いのである。

なのでひとつひとつに驚き反応し、でも決して拒絶しない主人公に読んでいてまたじんわりと暖かくさせてくれる。

特に「ああいいなあ」と唸り、その場ですぐに読み返してしまったのが『ホトトギス』の話。

主人公は山中で苦しんでふらついている人に出会い、介抱するのだが、背中をさするたびにどんどん違う風体に変わっていく。そこで化け物だ!と逃げることは容易いのだが、主人公はしない。

これは人間のはずがない。しかしいかな化け物であっても、このように目の前で苦しんでいるものを、手を差し伸べないでおけるものか。

介抱し続けたおかげで歩けるようになったそれは礼をし、去っていく。そして気がつくとお礼の品がどっさり入り口に置いてあるのだ。

私はなんだか胸をつかれたようだった。回復したばかりのよろよろの足取りで律儀に松茸を集めてきたのか。何をそんなことを気にせずともいいのだ。何度でもさすってやる。何度でも称えてやる。

この部分を読んだときにわたしこそ胸をつかれたようだった。

人も草木も化け物も気にせず、対応する主人公の人間としての懐の深さがよく表れているはなしだと思う。


この本を久しぶりに手に取って読んでいた頃、わたしもたまたま木造の一軒家に住んでいた時期だったものだから、わたしにも何か出会いが訪れないだろうかと、小さな庭を眺めて草木の手入れをしながらよくぼんやりしていた。

結局何も起こらず、わたしは家を去ることになったが、小さな夢を与えてくれるくらいわくわくをくれるお話であった。

何度でも読み返した、梨木香歩の作品の中でも特別お気に入りの作品。


ちょっとした不思議と、素敵がほしい人に読んでほしい一冊。

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