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僕が夏を嫌う理由

僕は、青さを瓶詰めにして海へ流した。
ぽっかりと穴が空いたような夏だった。

黒髪ツインテール、純白のワンピース
ツインテールと麦わら帽子は相性が良くない。
そう言って微笑んだ少女は髪をおろす。
丁寧に編み込まれた手提げ鞄から桃色の香水を取り出して、半径80センチメートルに振りまく。
植物性の心地いい匂いが風に乗ってやってきて鼻をくすぐる。萎れた向日葵畑で向かい合って、見つめ合って、笑い合う。そんな夏への憧憬。

朝、窓を開けると武道館ライブのロックスター並にまくしたてる蝉の喧騒が部屋を覆い尽くす。
部活動の朝練に励む生徒の団結しきった掛け声と一緒くたになって僕を世界の外側に押しやる。
清涼飲料水のコマーシャルを模倣したような青春の塊は、とうに手の届かない地点へ遠去かる。

死にたいよ。

気温が35度を超えているにも関わらず、adidasのトラックジャケットを羽織る。痛々しい暑さに被せるようにして乾いた熱のベールに身を通す。ハイネックの最高地点までファスナーを閉め切り、6月にバイト代で買ったAir Podsを装着する。
首筋を伝う汗が背中を滑り落ちて、家から出て数分で神経が目紛るしく廻りだし吐きそうになる。

アスファルトから湯気がたつ。何週間ぶりの外だろう、夏休みに入って既に5日が経過している。
1学期の終業式さえ行けなかった僕にとって普段と相も変わらず、見境なく刹那的に過ぎ去る日々はじわじわと健康な脊髄を蝕んでいく。まっすぐに照り込む外気とは裏腹に僕の体内の血と肉は冷えきっている。そんな気がしてならなかった。

プラスチック製の、少年漫画のキャラクターがデザインされた下敷きを団扇代わりにして夏期講習の塾へと歩いていく小学生。この住宅地一帯はファミリー層の転居に伴い最近になって個別指導塾が格段に増えた。ラメが輝く透明なビニールバッグを片手に赤信号を待つ中学生。僕が通っていた中学は夏休み中もプールの授業があった。25メートルプールの端から端まで1度たりとも底に足をつけず、バタフライの測定をした去年の夏を自然と思い出す。波に浮かぶ蝶の鱗粉はすかさず水中に溶けだし塩素と融合して化学反応を誘発した。

肌をレーザー光線で引き裂かれてしまうような強烈な体感温度に耐えきれず、コンビニに逃げるように駆け込み、陳列棚で大量に配置されていたドリンクから烏龍茶を選んで購入し、即刻喉に流し込んだ。前髪から止めどなく滴る汗が、まるでディズニーランドのスプラッシュマウンテンの直後みたいで、ここ数年行っていないあの夢の地へ微かなる思いを馳せた。今頃クラスメイトが楽しげなストーリーを投稿しているだろうか。そんな邪念が入り込んだ暁にはなんだか妄想も馬鹿馬鹿しくなり心臓の柔らかい部分を取り除かれたみたいな気分になってしまった。

ペットボトルの半分ほどを飲み干すとコンビニを出て駅に向かうことにした。10分ほどして四ツ谷駅に到着する。これといってあてもない。

雑念を忘れるためにスマホで昼前のワイドショーを見る。明日は今日よりもいちだんと暑さが増すでしょう。今年の異常気象にお天気キャスターは呆れた顔を見せる。壊れた体温計の水銀みたいに留まることを知らずぐんぐんと上昇していく最高気温。スクリーンに渋谷のスクランブル交差点が映し出される。むさ苦しいほどにごった返すカラフルな蟻の大群が白線上を縦横無尽に入り乱れて、目がまわりそうだ。この茹だるような暑さのせいでハチ公さえも若干のぼせている。

様々な思索に耽っていると、黄色いラインの列車がホームに滑り込むようにしてやってきた。
日本に生息する虫のほとんどが、黄色を好むらしいとどこかで聞いたことを不意に思い出す。

僕も、飛んで火に入る夏の虫になってみたい。

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