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キラキラな春が苦手だった理由

小さい頃から、春がどうしても苦手だった。

空気があたたかくなってきて。街が賑やかになって。

外に出ると、春は特別な匂いがした。


花が咲き始め、服装だって軽くなる。周りのみんなの顔がキラキラしてみえた。


友だちに「何で春になると、みんな嬉しそうなんやろ」と聞いてみたことがある。

友だちは言った。「何で春が来たのにうれしくないの?」と。


新しい季節の訪れにみんなが浮かれているその雰囲気に、いつも取り残されたような気持になって。

私は、毎春、どうしようもなく落ち込んでいた。


高校入学のその年にも、当然のように春がきた。入試の成績が良かったようで、首席入学を果たした。入学式では、新入生総代として1000人近くが集まる体育館で挨拶をすることになった。


入学式の当日は、受験勉強してきた日々が報われたようで、とてもすがすがしかったのを覚えている。


入学式の翌日から私は「優秀な新入生」という看板を背負うことになった。

春だけがもつあの独特の空気と、この看板は、私には重たすぎた。


廊下を歩いているだけで、「入学式で喋ってた子やんね?すごいね!友達になろうよー!」と声をかけられた。

自分が知らない誰かが、自分の名前を知っていて、「すごい子」と思われているその状況が、とても息苦しかった。


毎日、誰かが自分の話をしているようで、怖かった。なんとも大きなプレッシャーが自分にのしかかっていた。


葉っぱ


今になってその頃を思うと、もう少し上手な生き方ができれば、少しは楽な気持ちになれただろうなぁということ。



そして、今年もまた春が来た。いつからか、春が少しだけ好きになっている自分がいた。それに気が付いた時、「春が好き」と言っていた人の気持ちに触れられたようで、少しだけうれしかった。


多分だけど当時は、周囲の目を気にしすぎて、自分がどんな風に在りたいのかを自分の手で見えないようにしていたのかな、と思う。

自分がより楽に生きられる方法をまだ知らなかったんだよね、きっと。


誰にでもできないことはあるんだから「私は○○は得意だけど、△△は苦手だよ!だからみんなフォローしてね!」と言えれば、そんなに苦しまなくていいんじゃない?と言ってあげたい。


でもなんだか、自分の中の大きくて小さな尖ったプラドが捨てきれなくて、そんな不器用な生き方をしてたんだなぁ。


今年もまた、毎年のように花が咲き始めて、みんなの服装が軽くなってきた。外出自粛もあって、街に出る人は少ない。私も、おとなしく家にいる。


だけどまた外に出られるようになったら、買っておいた新しいメイクを試したいと思う。

新しいスニーカーも買って、ジムに履いていって、ウキウキな気分でまたトレーニングできる日が、とっても楽しみだ。


みんな春が好きっていうのが、最近分かった気がするよ。春はありがたいよね。あたたかいし、気分も前向きになって、自分が何をしたいと思っているのかをじっくりヒアリングしたり、そこから実際に何かを始めるのには、ぴったりな季節だと思うようになった。


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あの頃とても嫌いだった春が教えてくれたことは、

「周りがどうあれ、自分の気持ちはどうなの?」という問いだったのかもしれないね。

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