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ニューヨークという新天地へ

高校2年生の頃、テレビで見たあの衝撃的な映像は今でも忘れられない。テレビをつけたとき、片方のタワー上層部がすでに激しく燃えている最中、突然、もう一方のタワーに飛行機が突っ込んだ。

僕が初めてニューヨークに来たのは大学生の時、あの同時多発テロが起きてからちょうど5年が過ぎた頃だ。

飛行機がJFK空港に近づいてきた頃、窓からマンハッタン島の摩天楼がうっすらと見え始めた。

それが僕にとって、初めてこの目で見たアメリカだった。

本来なら、高さ400mを超すあのツインタワーがシンボルとして堂々と建っていたはずの場所だ。

それはアメリカに来たという興奮を湧き上がらせたと同時に、内心では震えるような恐怖も襲ってきた。

JFK空港で、僕は大柄な黒人の警備員に道を尋ねた。これ以上ないほどゆっくりで丁寧な英語で教えてくれた。とても親切な警備員だった。

一人でヨーロッパを旅した後とはいえ、イギリスから大西洋を越えてきた。右も左もよく分かぬエトランジェに対して、親身に寄り添ってくれる人に出会うと心が癒される。

電車に乗り込んだ時、車両の中はまだ空いていた。僕が日本で乗っていた列車と同じ、縦長の対面ロングシートの車両だ。

僕は、まだ一人も座っていないベンチシートに座った。疎らだが、適度な間隔を開けて乗客が座っている。

列車はしばらく地上を走ったが、僕はすぐに新鮮な感覚に包まれた。

どこを見渡しても黒人しかいなかった。しかも、みんな若い男たちだ。

もちろん、ヨーロッパでも黒人はたくさん出会ったし、話す機会もあった。しかし、たまたまとはいえ乗り込んだ列車に黒人しかいない空間は初めてだった。

列車の中で、僕の黒人観察が始まる。

ニット帽を深くかぶり、サングラスをかけ、無表情で微動だにしない男が座っている。体格がまるでボディーガードのように逞しい。いや、この表情や風体からしてボディーガードであってもおかしくない。

赤いキャップを後ろ向きに被り、ダボダボのジーンズをはいている男がいる。ウォークマンで音楽を聴きながら身体を弾ませ、口ずさむ。今にも立ち上がり、ヒップホップダンスでも踊り始めそうな勢いだ。

隣の車両に目を向けた。そこにも男が一人いる。

組んだ足がすらっと長く、革ジャンが様になり過ぎている。モデルなのかと疑った。

そして僕のちょうど真向かい、一番近い場所にも男が座っている。

顔が丸くてクリクリの大きな目。その目でただ遠くを見つめている。この列車に乗っている黒人のなかで、一番親しみを感じる表情をしている。この人とならすぐに友達になれそうだ。

列車が駅で止まるたび、黒人の男が一人ずつ列車に乗ってきた。僕はそんな車内の状況に、一人でただただ興奮していた。

やがて、列車は地上から地下を走り始めた。

両側のベンチシートも埋まり、車内はすっかり混み始めた。さすがに黒人だけではなくなった。ヨーロッパ系も、アジア系もミックス状態だ。

(あぁ、アメリカに来たんだな)

肌でそう感じた瞬間だった。

乗り換えのため、一度ホームに降りた。

さすがに人が多い。時々、ホームに生暖かい風が強く吹き抜けていく。同時に、アンモニアのツンとした臭いが鼻にかかった。

ニューヨークといえば、昔はアメリカの都市の中でも犯罪の巣窟だったという。昔といっても決して大昔でもない。

特に1970年代から80年代頃、街全体があらゆる犯罪にまみれていた。地下鉄もその場所の一つだ。車両の窓などには落書きが当たり前、車内にはゴミが散乱していたという。

殺人、暴行、破壊行為、騒音、盗難、無賃乗車など...

そうした治安の悪化に目を向け、1994年に当選したNY市長ルドルフ・ジュリアーニが全面的な美化政策宣言を打ち出した。

「家族連れにも安心できる街に」

街中のあらゆる落書きを消した。地下鉄も車両や駅ホームのゴミを徹底的に減らし、パトロールにあたる警備員も一気に増員させた。こうした大規模な美化活動が実施され、ニューヨークの犯罪率は大幅に低下した歴史がある。

2006年、僕が乗ったニューヨークの地下鉄は、既にあらゆる点で改善されていた状態といっていい。

環境の変化が、いかに人間の心理や行動に影響を及ぼすかを物語っている。

ニューヨークの地下鉄には、日本には見られない景色がある。

多くの人が行き交うホームから、いつも様々な音楽が聞えてきた。いわゆるストリートミュージシャンは、地下鉄のホームでもたくさん見かけた。

打楽器を巧みに操り、リズムカルな音を奏でる男性。マイク片手に大熱唱する女性。その多くが黒人だった。

地下鉄という空間もあって、その迫力に圧倒されることもあった。彼らの歌声や音楽は、このニューヨークの地下鉄には不可欠だ。

今、ニューヨークの地下鉄で彼らの音楽は聞こえているだろうか。あの歌声は駅を行き交う人たちに響いているだろうか。

ニューヨークの地下鉄からようやく地上に出た。もうすっかり夜になっていたが、空気が澄んでいて気持ちが良かった。

空港で黒人の警備員があれだけ親切に教えてくれたにも関わらず、一つ手前の駅で降りてしまったことに気が付いた。

不穏な雰囲気が漂うセントラルパークを右手に見ながら、一人歩き始める。

11月末、感謝祭が数日後に迫っていたニューヨークの夜。

ヨーロッパから相変わらず無計画で旅を続けていたこの時の僕は、そんなことも知らなかった。

ただこの日、凍えるほど寒かったことだけは鮮明に覚えている。

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