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ヨーテボリでの一期一会

 ある日、ジミーが「今晩大学の友人たちとお店で集まるから一緒に来ないか」と誘ってくれた。これは北欧の金髪美女に出会える絶好のチャンスだと思い、僕はありがたく同行することにした。

 夜、お店には10人ほど集まっていただろうか。ただ、スウェーデン人の学生はジミー以外に2人だけで他は日本人の留学生たちだった。
 当初、僕の存在は謎であっただろう。自分でもそう思った。実際、ジミーの友人たちは「二人はどこで知り合ったの?」と不思議そうにしていた。

 スウェーデン語と日本語の両方が使われたが、会話の大半は日本語だったように思う。なぜなら、ジミーを含めスウェーデン人の彼らは日本語が流暢だったからだ。

 鮮やかな金髪をしたエマという女の子は、ジミーと同じように京都に交換留学していたことがあるらしく、

 「あぁ~、京都に戻りたいわぁ~!」
 
 と、しみじみ嘆いた。トミーは、10年以上も日本で育ったということもあって、おそらく僕よりもよっぽど“まともな”日本語を喋っていたように思う。彼は、エマのボーイフレンドでもあった。終始、彼らは肩を寄せ合いながら座っていた。

 色んな話が飛び交う中、トミーは“最新”の日本語電子辞書をポケットから取り出し、皆の前で得意げに披露しはじめた。が、そばにいた日本人の女の子がそれを見るなりすぐさま言った。
 
 「あっ、その辞書を使っている人よく見る!けど、もうすぐ後続モデルが発売するって」
 
 やや釘を刺されたトミーは、驚いた表情になってこう嘆いた。
 
 「えっ!もう新しいのが出るの?あぁ~、日本は本当に“はやい”なぁ~」

 その瞬間、一同がみんな笑った。

 一応、この時の僕も彼らと同じ大学生である。が、正直なところ、この時ほど自分が大学生であることを忘れていた時期はない。

 彼らは、まるで先生が生徒に教えるようにスウェーデンという国の事情について話してくれた。

 例えば、スウェーデンでは高校を卒業してすぐ大学に進学する者は少数だとか、我々は高校を卒業するとすぐ選挙権を与えられいるから高校卒業と同時に多くの者は親元を離れて自立するといった話だ。

 世界で有名な”福祉国家”といえば、誰しもがこの国を思い浮かべる。

「スウェーデンの所得税はすごい高いよ」と、話していたトミーだったが、その代わり政府が育児、教育、介護といった分野への援助や制度を充実させている印象がある。

 じつはこの日の前日、僕はジミーが学校に行っている最中に世界文化博物館という所へ行ってきた。彼が勧めてくれたのだ。

 いかにも北欧らしいモダンな建物もさることながら、館内のロビーや中階段、カフェスペースなどの設計の仕方やデザイン、空間がとにかく洗練されていている。

 4階建ての館内には、名前の如く世界各国の文化や民族をテーマにした展示物を目にすることができるが、その展示物の量や質のいずれを見ても入場無料とは思えない博物館だ。

 館内は子どもたちで溢れていた。もちろん、世界文化の一つとして日本のことを取り上げられているブースもあった。

 ちなみに、その日本文化を紹介する展示コーナーの一角には、“日本のヤクザ”についても取り上げられており、それもそうかとつい笑ってしまった。

 ジミーは「あの博物館もいずれ有料になってしまうかもしれない」と神妙な面持ちで言っていた。

 数日滞在しただけの旅の者にとって、この国の詳しい事情について知る由もない。

 ただ、これは世界共通の永久的なテーマなのかもしれないが、”福祉国家”の裏では若者の“自立”がより強く求められるのは確かだろう。

 彼らとレストランで過ごした翌朝、僕はジミーにデンマークへ行って旅を続ける旨を伝えた。彼ともう少し一緒に過ごしても良かったと思うが、旅人は旅人らしく旅を続けるべきだ。

 翌日、ジミーは朝から変わらず座禅を組み、机に向かって黙々と日本語の勉強をしていた。その隣で、僕は彼のノートパソコンを使ってゲームをしていた。ふと、自分の置かれている状況がおかしくなった。

 「今がなんだか不思議で仕方ない」と、ジミーにつぶやくように言うと、彼は顔をノートに向けたままこう言った。
 

 「一期一会やなぁ~」


 ジミーは、日本語でこの言葉が一番好きらしい。


 
(2006年10月 ヨーテボリ滞在)

※この旅行記は、2006年当時の視点で自身が一度まとめたものを投稿しています。

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