アクロポリスの丘でみる栄枯盛衰
僕がアテネを旅した約3年後、2009年に”ギリシャ危機”が起こった。
ヨーロッパの国で裕福な国はどこか、と聞かれてギリシャだという人はいないだろう。真っ先にイギリス、フランス、ドイツ、そして北欧などの国々を思い浮かべる人が多いと思う。
世界でみればギリシャは先進国に属するのかもしれないが、ヨーロッパの中では経済的に貧しい、貧乏国というイメージが少なからずある。
実際、ヨーロッパをイギリスから北欧を経て東欧、南欧と旅して回った時、僕はギリシャで初めてそれまでにない”貧しさ”や”格差”のようなものを感じた気がしている。
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アテネの街中では、クルーリと呼ばれるドーナッツ型のパンをワゴンにどっさり積み重ねて商売する男たちを多く見かけた。
彼らの朝は早かった。僕がサントリーニ島へ行くために朝5時頃に起き、駅へ向かって歩いていた明け方の薄暗い時間帯に、彼らはもう商売を始めていた。
日中には、街中に点在する広場で日用雑貨を並べる商売人の姿も多かった。日本でいうフリーマーケットの光景に似ているが、みすぼらしい身なりの者も多い。一枚の布切れの上に、雑多なものを並べている。
僕は、決して穏やかではない光景も目にした。
彼らの商売の姿を遠くからしばらく座って眺めていたら、20代から30代くらいの女性が肌着のような商品を手に取って見ていた。女性は直立した状態のまま、地べたに座っている乞食のような風体の男と何やら会話をしている。女性が男に何かを聞き、男がそれに答えている。
買うのかなぁ、と思いながら眺めていると、女性は直立した状態からその”商品”を手からぱっと離した。無情にもそれは男の目の前に落下し、女性はもう用なしと言わんばかりに無言で立ち去った。
たまたまそんな光景を目にした時、僕は心が痛んだ。
だが、そうした商売人はまだいいほうかもしれない。
地面にうつ伏せになったまま動かない物乞いは、ギリシャに限らずヨーロッパの国ではどこでも見かけた。ただ、アテネは僕が見て回った都市のどこよりも多いと感じた。個人の商売人も多いが、物乞いも多い。
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アクロポリスの丘から谷一つ隔てた場所に、ムーセイオンの丘がある。
アテネ滞在中、僕はこの丘に二回登った。一回目は日中、二回目は夕方から夜にかけてだ。アクロポリスの丘はそれは大勢の観光客がいるが、この丘はそれに比べて人が少ない。
夕刻から夜にかけて登った時、頂上は僕だけしかいなかった。
頂上に登った時、ピレウス港の遥か向こう側に夕陽が沈んでいく頃だった。まもなく、街中の教会から一斉に鐘が鳴り始めた。
僕がこのアテネに初めてやって来たあの夜の騒がしさを忘れさせるほど、それは心地の良い響きだった。
日が沈んだ後、僕は大きな岩の上に座った。
そして煌々と光を放って浮かび上がったパルテノン神殿をしばらく眺めた。
アクロポリスの丘に登り、近くで眺めるパルテノン神殿も確かに迫力があった。だが、こうして少し離れた場所から全景を眺めるのもいいものだ。
今に崩れかねないその神殿の遺跡は、疑いなく彼らギリシャ人にとって、さらに大きく言えば人類の功績であり、栄光だ。
もし西洋の原点というものを考えるなら、このギリシャという国の存在意義は計り知れないほど大きいかもしれない。
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ただ功績や栄光はずっと続かない。いつかそれらも過去になり衰える。
ギリシャの場合、観光やオリンピックという現在にも世界に影響を与え続けているものもあるが、それも未来永劫に続くものだと誰も言えない。
それを誰よりも身に染みて感じているのは、きっとギリシャ人である彼らであるに違いない。
日本もそれは同じだ。100年後、1000年後に同じように日本が存在しているのかどうかは、今を生きる我々には分からない。
ヨーロッパという大きな土地の歴史を振り返ると、こうした栄枯盛衰を繰り返しながら現在に至っているように思う。
大航海時代、大国といわれて世界をリードしていたスペインやポルトガルといった国も、やがては衰えた。
ギリシャ危機を何とか乗り越えられた大きな要因として、EU連合などによる国際救済措置があったことは事実だ。そして何よりも、この国の観光産業が重要な基盤であり続けている。
今、再び世界はコロナウィルスという大きな壁に立ちはだかっている。ここ10年にわたって、幾度となく経済的困難と闘い続けてきたギリシャに対してまさに追い打ちをかけるような危機だ。
ギリシャは、6月中旬まで非EU諸国民の入国禁止処置を延長したという。ただ、少しずつ飲食店などの規制緩和も始めている。(在ギリシャ日本大使館HP)
数値的なデータを見ても、同じ南欧のイタリアやスペインといった国より感染の封じ込めに成功している印象が強い。
「栄枯盛衰」
この言葉の並びだけを見ると、負のイメージを連想させてしまうが、僕はプラスの意味にも捉えることができると勝手に思っている。
たとえ衰えたとしても、再び光を放つ日が必ず来る。
太陽が地平線の向こうに沈んでも、必ずまた昇ってくるように。
彼らの国にふたたび観光客がたくさん訪れ、活気が戻る日を祈っている。
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