ひとりぼっちの旅へ
ダブリンの魅力
2006年秋。僕は、リバプールへ向かうフェリーのデッキにいた。
早朝に乗船手続きを済ませ、もうじきリバプールへ向けて出航する。空は黒いどんよりとした雲が覆っていて風も強く吹いている。突然雨が降ったりする。
思えば、アイルランド・ダブリンに滞在中の2週間はこんな天気がずっと続いていた。毎日にように雨が降った。一日を通しても、止んだと思ったら、またすぐ雨が降る。また止む。また降る。ダブリンの人たちは、こうした天候の変化には慣れてるから、雨が降っても傘をさそうとしない。せいぜい小走りをするくらいだ。
まだ船は動かない。やがて、顔面に雨粒が突き刺さってきた。これが旅の幕開けか、と思った。それでも僕は船内には入らなかった。船に乗るとやっぱり外のデッキに出たくなる。どうせすぐ止むだろう、と出航までそのまま立っていた。
ようやく大きな汽笛が鳴り響いた。胸が熱くなった。と同時に、このアイルランドを去らなければならない寂しさを感じた。
わずか2週間ほどの滞在であったが、アイルランド人の音楽好きというのは本当かもしれない。ダブリンの街中には無数に酒場(パブ)が存在するが、たとえば夜そこに行けば彼らの伝統的な音楽とダンスに出会うことができる。滞在中、僕はすっかりアイリッシュ・ミュージックの虜になってしまった。酒場には、彼らのとてつもなく悲惨な歴史を感じさせない陽気な雰囲気がある。
ステージの最前列で曲に合わせながら足踏みをする老婦人、その隣で子どもたちが腕を組みながら踊っている。外国からやってきた観光客たちはお互いに肩を組み、そして酒場にいる人たちみんなで「カントリーロード」を歌う。酒場は、彼らにとって日常から決して切り離せない場所だ。
スイス人の女の子
2時間ほど船がアイリッシュ海を航海すると、リバプールの街が遠くに見えてきた。僕は再びデッキへ出た。
船内にいた僕と同年代くらいの女の子が僕の後を追いかけるように外に出てきた。ふと彼女と目が合うと、にっこり微笑んでくれた。彼女はスイス人の学生だった。夏休みの間、一人でアイルランドへ旅行へ来ていたそうだ。彼女はスコットランドの大学に留学しているそうで、リバプールに着いたらそっちへ戻るらしい。
僕も、今後のことを話した。これからリバプールに行ったら世界を旅するのだと話すと、彼女は「Fantastic!!」と目をキラキラ光らせながら驚いてくれた。
彼女は親切だった。彼女の故郷スイスという国を、僕はこの時は全く知るよしもなかったが、きっと素敵な国なんだろうなと思わせてくれるような愛想の良い子だった。
「このサイトでいいホテルが見つかるわよ。料金も安いわよ」
と、リュックから裏紙を出すなりその情報を書いてくれた。
リバプール到着
まもなく、船がリバプール港に到着した。僕の荷物はバックパックひとつだけだったが、彼女の荷物が尋常な量ではなかったのがこの時判明した。
バックパックを背負い、巨大なスーツケース、巨大なハンドバック、黒い円柱型の図面ケースを持っていたのだ。近くにいた僕ともう一人のイギリス人のおじさんは、その荷物の量に感心しながらも船を降りるまで荷物を持ってあげた。
しかし、僕は巨大なスーツケースを持ったことに少し後悔した。大きさも尋常ではないが、重さも尋常ではなかったのだ。おまけに上り階段まで現れた。いったい、何を詰めればこんなに重くなるのか。階段の上で彼女が「重いでしょう、ごめんなさいね」と言いながら見守っている。手伝った側としては、ここで挫折するわけにはいかない。血管が切れてでも離すものか。結局、僕は階段を登り切った。荷物の中身については今も謎のままだ。
船から降りると、10人くらいの徒歩組は大きなバンに乗り込んで入国審査をする場所へ向かった。先ほどのスイス人の女学生やおじさんも一緒に乗っていたが、アジア系は僕だけだった。少しだけ嫌な予感はしていたが、まぁ何も悪いことはしていない。怪しい恰好をしているわけでもない。パスポートを見せればすぐに終わるだろうと思っていたのだが、その嫌な予感はまんまと的中した。
スイス人の女学生やおじさんたちは、すいすいと入国を許可されてゲートを通過していく。まるで駅の改札口のように。そして、僕の番になった。
「君はちょっとこっちへ来なさい」
と、僕だけは別室に連れていかれた。そして、いつのまにか5人ほどのポリスマンに取り囲まれ、怪しい人間でないかを判断するための取調べが始まった。
「君は学生なのか」
「イギリスに知り合いはいるのか」
「なぜここに来たのだ」
「これからお前はどこへ行く予定なのだ」
「お金はあるのか」
「英語は話せるのか」
「航空券は持っているのか」
当然ながら、入国許可をするにふさわしい人間かどうかを判断するために、彼らは次から次へと質問をしてきた。パスポートと僕の顔をちらちらと見比べながら、周りのポリスマンたちにも目配せしている。やがて、僕と対面していた一人のポリスマンが言った。
「No Problem!!」
僕はようやく解放された。この一件以来、僕はヨーロッパやアメリカなどでの出入国審査の度に憂鬱なったものだ。僕が旅をしている間、入国審査官たちは僕のようなアジア系、もしくは中東系などの人間には特に厳重な注意を払っているようだった。2002年に起きたニューヨーク同時多発テロ以降、それは明らかに差別的と思えるような態度の審査官もいたものだ。
僕は欧米人に比べて10分も20分も余計に入国審査を受けることが多々あった。後にアメリカでは、その厳密な入国審査のために飛行機のフライト時間に遅れそうになり、空港内のアナウンスでから「急いでください」と名前を呼び出しされたこともある。遅れたくて遅れたわけでないのに。
ついに、僕はイギリスへ入国した。ロビーへ出た時、僕は少しだけ期待した。あのスイス人の彼女が、「あら?随分と時間がかかったわね」と、笑いながら待ってくれているシーンを。
外に出た。が、もちろんそんな感動的なシーンはさっぱりない。待っているはずがない。むしろ、そこには誰一人としていなかった。相変わらず、空は黒い雨雲で覆われている。しばらく立ち尽くしていると、先ほどのポリスマンたちが中からぞろぞろと出てきた。
「道が分からないだろう。パトロールに行くから、駅まで一緒に乗せて行ってやるぞ」
と、僕を8人乗りの大きなパトカーに乗った。助手席には、婦人警官も乗っている。英国ポリスマンたちが5名、そして日本人の小僧が1名。
人生初めてのイギリスなのに何だか妙な気分になったが、彼らは入国審査の時はまるで違う穏やかな表情をしていた。一人のポリスマンは、「君が羨ましいよ」と、ぼそっと言った。とても親切なポリスマンたちだった。”悪意のない純粋な旅人”であることをやっと認められたのだ。
「気をつけてな!良い旅を」
リバプールから少し離れた郊外の駅前で、僕は彼らに礼を告げて別れた。
ぽつぽつ、黒い雲からまた雨が降り始めた。僕は小走りで改札口の方へ向かった。
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