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音楽と旅で結ばれた友情

2006年の11月末、僕はニューヨークで1人の日本人と会った。

親父の大学時代からの友人Mさんだ。当時、Mさんはニューヨークに海外赴任していて、もしニューヨークへ行くならと親父から連絡先を教えてもらっていたのだ。

僕は、ニューヨークに着くとすぐMさんにメールを入れた。するとすぐに返信がきた。

「Welcome New York! さっそくですが、明日のランチを一緒にどうですか? 何が食べたいですか? とんかつ、魚、肉、天ぷら、遠慮なく!」

この一文を読んだ瞬間、僕の心が躍ったのは言うまでもない。

翌日、五番街にあるとんかつ屋で待ち合わせをした。

店の前で立っていると、店内から白髪頭の優しそうなおじちゃんが出てきた。

「外にいたのか! ほら、寒いから入って入って!」

これがMさんとの初対面だった。

僕の目の前にはトンカツ、白飯、味噌汁が並ぶ。外国で食べる日本食の味は格別だ。

昼時の店内は、スーツを着たニューヨーカーの姿が目立つ。

Mさんとの会話は、僕の親父の話になった。

2人は大学時代に出会った。といっても同じ大学ではなく、中学時代の共通の友人を通して知り合った。今からもう半世紀近く前の話だ。Mさんも親父も同じ大阪出身である。

当時流行していたフォークギター、外国に行くことへの憧れといった共通する趣味や夢があった。

親父とはよくギターを片手に歌を歌っていたらしい。夜の公園で2人で大きな声で歌っていると、近隣の家からヤジ(苦情)が飛んできた。

「それでもお構いなしに歌い続けたなぁー! お父さんとは、ええ青春時代を過ごしたわ!」

と、Mさんは僕に懐かしそうに語った。

やがて2人は一緒に船に乗って旅に出る。大学3年時、商工会議所が主催していた「青年の船」に乗った。

アジアの国々の若者たちとの異文化交流を目的として、台湾、香港、フィリピンを周遊した。その航海中、2人には重要な”任務”があった。

それは、船に乗り合わせた外国の青年たちとバンドを組み、デッキで音楽を演奏して雰囲気を和ませるというものだ。

もともと夜の公園でヤジが飛んでくるほど歌うのが好きだった2人だから、格好の舞台だっただろう。

またこの船旅は、Mさんと親父にとって生まれて初めての外国だった。

船から遠くに台湾が見え始めたとき、隣にいたMさんと一緒に声を上げて感動したという話を親父から聞いたことがあった。

話は逸れるが、僕は今年の夏から秋にかけてnoteで人生初の小説を書いた。

じつは第1話で、さりげなくこのMさんを登場させている。主人公の男(この時点で誰なのかバレバレだが…)と一緒に「青年の船」に乗ったという下りがある。

さらにこの旅で、Mさんの人生を変える出来事も起きた。

この船で、Mさんは今の奥さんと出会ったのだ。

親父は、Mさんとの旅がきっかけでもっと外国を見てみたいと強く思い立ち、今度は1人でヨーロッパ放浪の旅に出る。

ニューヨークのとんかつ屋で、Mさんはその時の心境をこんな風に話していた。

「あいつがまた外国に行くって言ったんや。それを聞いて僕の気持ちは複雑やった。1つは、自分を置いてまた外国へ行くのか。しばらく会えへんなぁという純粋な寂しさ。もう1つは、俺も外国にまた行きたいのに、あいつ先に行きやがったなぁ! 俺もいつか絶対に行ってやるぞー! っていう気持ちやね」

初めての海外を一緒に経験した友人だからこそ、思うことがあったのだろう。

とはいえ、この頃すでにMさんはニューヨークに海外赴任して6年が経っていた。ニューヨークに海外赴任する前は、イタリアにも長く住んでいたことがあるという。

「イタリアは僕の第二の故郷や」と、言っていたくらいだ。

Mさんは若い頃に憧れた外国で今まさに生活しているのだ。Mさんの表情は終始穏やかで生き生きとしていた。

仕事の合間に来てくれていたMさんがそろそろ職場に戻らねばならない時、Mさんは最後に僕にこう言った。

「ニコタロー君ね、今はまだよく分からんかもしれんけど、自分の親友の息子がこうして訪ねて来てくれるっていうのは不思議なもんやでー」

もうじき、ニューヨークから毎年恒例のクリスマスカードが届く頃だ。

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