甥っ子の「自由ノート」と「筆写」
最近、1歳2か月の息子の成長ぶりには感心するものがあるが、小学5年(まもなく6年)の甥っ子の凄まじい成長にも驚くばかりだ。
僕は、男3人兄弟の三男だから、甥っ子にしてみれば僕を年の離れたお兄ちゃんのように思っている節がある。
以前、我が家に遊びに来た時、「おじさん、この本貸してー」と、本棚から一冊の本を借りて行った。何の本かと気になって見る。
なんと、稲盛和夫氏の著書「考え方」であった。
その瞬間、僕は思わず笑ってしまった。もうこんな本を手に取るのかと。
まぁ僕の本棚には児童書があまり置いてないので、仕方ない部分はあるのだが。
僕は、当然ながらこの甥っ子を生まれた頃から知っている。
よく離乳食を食べながら、「このオッサン誰だ?」と言わんばかりに僕のことをじーっと見つめてきた。そうかと思えば、ニヤッと笑っていつのまにか眠りこける、という可愛げな一面もあったものだ。
それが、今となれば偉人が書き綴る「人生」という壮大なテーマの本を手にするまでに成長したのだ。それだけでも感心するのだが、義姉から後日さらに驚くべき事実を聞くことになる。
本の中の文章を自分の「自由ノート」に黙々と筆写しているという。
あっぱれ、そこまでやってしまうか。
* * *
福沢諭吉の「福翁自伝」には、幕末・明治維新の蘭学書生たちの学問に励む姿がありありと描かれているが、筆写する場面もでてくる。
大阪・適塾の塾頭も務めた福沢諭吉は、ある日、師の緒方洪庵からワンダーベルという珍しい原書を見せてもらう。最新の英書をオランダ語に翻訳した原書であったが、当時のエレキトルに関する新しい言葉や情報が詳らかに書かれていることを知るやいなや、ぜひ塾の者たちにも見せたいと懇願し数日間だけ持ち帰る許可を得た。塾生たちに原書を見せると、
塾じゅうの書生は雲霞(うんか)のごとく一冊の本に集まってきた
この状況では、この貴重な原書をまともに読めず終わってしまう。そこで、福沢は思い立つ。
「この本をただ見たってなんの約にも立たぬ。見ることはやめにしてサァ写すのだ」 数千ページにおよぶ原書の重要な箇所だけ、塾生たちで手分けをし飲まず食わずで書き写した。
福沢は、この一件ついて最後にこう言っている。
「私などが今日でも電気の話を聞いておおよそその方角のわかるのは、全くこの写本のおかげである」
筆写は、とても地道な作業だ。何にせよ労力と時間がかかる。この頃の蘭学書生たちは、蘭語のまま筆写してそれから日本語に翻訳しそれを理解していくのだから。
一事を成した偉人や作家の文章を手で書き写すことは、とても意義があることだと思うし、大きな達成感を得られるのではないだろうか。
あれからまた親戚一同が集まった。僕は、甥っ子への称賛を込めてみんなの前でこう言った。
「おじさんなんか、小学生の時に本なんかほとんど読んでなかったし、まして自由ノートなんか持ってなかったで!」
甥っ子は少しだけあざ笑いをした。すると、僕の目の前に座っていた父親が間髪入れずに大阪弁でツッコミを入れてきた。
「今でも持ってへんやんけ!」
そういえば、確かに持っていない。しかし、じつはここ2週間ほど前から僕も「自由ノート」を持っている。
それはまさしくこの「note」である。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?