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外国人に伝える日本の歴史あれこれ➖飛鳥時代 前編➖

こんにちは!全国通訳案内士のリサです。

京都を拠点に関西地方で外国から訪れる観光客のプライベートツアーガイドをしています。

「外国人に伝える歴史あれこれ」シリーズでは、外国人ゲストに日本の歴史をどのように伝えているのかをお話ししています。

今回は、6世紀から7世紀の日本で仏教を信じることが国の方針となっていった時代を、英語でどのように説明するのか書いていきます。

現代の日本では、町内に1つはお寺があるというほど、お寺であふれていますよね。
お寺とはもともと、仏教の仏様(ほとけさま)を祀(まつ)ったり、仏教徒が修行をしたりする場所です。
このような仏教やお寺は日本に初めからあったわけではなく、国の方針として外国から「輸入された」システムなんです。
どうして仏教やお寺を取り入れることにしたのか?誰がそれを決めたのか?
ひとつずつ見ていきましょう!

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そもそも仏教って何?

そもそも仏教ってなんなのでしょうか?
仏教とは、インドで釈迦(シャカ)が「この世の苦しみから逃れる方法」について説いたところから始まりました。
それが仏教という教えになって中国や朝鮮半島を経由し、日本にもたらされました。
仏教は英語でBuddhism(ブディズム)と言います。
キリスト教、イスラム教と並び、世界三大宗教の一つとされているので、外国人ゲストにも聞き馴染みのある宗教と言えると思います。

Buddhism was born in India (仏教はインドで生まれ、)
and imported to Japan through China and Korea(中国や朝鮮半島を通って日本へもたらされました)
in the 6th century. (6世紀に)

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外国人に伝える仏教伝来のポイント

ところで、一般的には、新しい宗教を取り入れるということには、破壊的な威力があります。
なぜかというと、宗教は個人の心や家庭の習慣に根差していたり、地域のコミュニティの土台をになっていたり、また政治と密接に関わっていたりするからです。
古来の宗教を否定して、明日から違う宗教でやっていきます!ということは、人の心や家庭の習慣、地域コミュニティ、政治までも変えてしまう破壊的な行為とも言えるのです。
実際、過去の歴史では、新しい宗教が古来の宗教を破壊しようとする行為や、古来の宗教を守ろうと反発する行為は世界のあちこちで起こりました。
もちろん、信者の布教(ふきょう)によって、平和的に宗教が広がることもあります。
でも、「国の方針として新しい宗教を取り入れる」ということは、破壊的なリスクと引き換えにしてでも実現したい政治的な思惑(おもわく)があることが多いです。

日本に仏教がもたらされた時のことを外国人ゲストに話す時は、破壊行為があったのかどうかや、どんな政治的な思惑があったのか、ということに重点をおいて話すとわかりやすいと思います。

その話に入る前に、まず仏教がもたらされた時代の舞台と、登場人物たちをご紹介します。

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仏教伝来の舞台、飛鳥京(あすかきょう)

皆さんは東京の前に奈良や京都に日本の首都があったことをご存知だと思います。
「なんと(710年)りっぱな平城京」
「なくよ(794年)うぐいす平安京」
と覚えましたよね。

では、平城京より前の首都って、どこにあったかご存知ですか?

平城京の前、6世紀末から7世紀末にかけて、現在の奈良県明日香村という場所に首都があり飛鳥京(あすかきょう)と呼ばれていました。その後、奈良県橿原市に藤原京(ふじわらきょう)という首都ができ、平城京に至ります。
この飛鳥京は日本が仏教を外国から輸入した時代の舞台です。

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「飛ぶ鳥」と書いて「あすか」と読むなんて、なんだか素敵じゃないですか?
そんな名前が都市についていたなんて、なんだかロマンチックな時代だなぁと、小学生だった私は初めて遠足で訪れた飛鳥の地で思っていました。

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日本で一番古い仏像「飛鳥大仏」

そんな飛鳥京の地には今でも、飛鳥寺(あすかでら)というお寺があります。
仏教という概念がまだあまり知られていなかった6世紀、飛鳥寺は初めて建設された仏教寺院の一つです。

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ここには飛鳥大仏という8メートルもの高さのある仏像が祀(まつ)られています。この飛鳥大仏は日本で一番古い仏像で、飛鳥寺が創建された当時から補修を加えながら原形をとどめているものです。

Asuka temple is one of the oldest Buddhist temples in Japan. (飛鳥寺は日本で一番古い仏教寺院のひとつです。)
There is a great Buddha statue called Asuka great Buddha. (飛鳥大仏と呼ばれる大きな仏像があり、)It is the oldest existing Buddha statue in Japan.(日本に現存する一番古い仏像です。)

それまでお寺を建てたことがない日本人たちは、朝鮮半島からお寺建築の専門家を呼び寄せていろいろと教えてもらいながら、このお寺の建設プロジェクトを進めていきました。
このお寺の建設は、日本が「仏教を信じることを国の方針とします!」ということを内外にアピールする最初のプロジェクトでした。
一体誰がそれを進めていったのでしょうか?ここからは登場人物の紹介です。

仏教伝来の重要人物、蘇我氏!

飛鳥京の時代の重要な登場人物は、蘇我氏(そがし)、聖徳太子(しょうとくたいし)、推古天皇(すいこてんのう)、などです。
これらの人々はみんな蘇我氏の息のかかった勢力です。
6世紀から7世紀の前半は、この蘇我勢力によって政治が大きく動かされた時代でした。
飛鳥寺はこの蘇我氏が仏教を広めるプロジェクトの一環として建設されたお寺でした
今後、もう少し歴史が進むと、天智天皇や天武天皇など、蘇我氏に属さない権力者たちが力を盛り返すストーリー展開になりますが、
飛鳥時代前半ではこの蘇我氏が物語の主役です。
この蘇我氏とは一体誰なのでしょうか?

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蘇我氏ってなにもの?

蘇我氏は、天皇家の周りに複数いた「有力な豪族」のうちのひとつです。
豪族とは血縁関係で結ばれた一族のことです。「蘇我ファミリー」です。
蘇我ファミリーは、天皇のファミリーとは別のファミリーなのですが、天皇と婚姻関係を結ぶことで、政治に影響力を持つことができました。
推古天皇と聖徳太子はふたりとも、蘇我ファミリーの出身なので、彼らが政治の中心だった時代は、蘇我氏が勢力を握っていた時代と解釈することができます。

Soga family was one of the most powerful clans (蘇我一族は豪族のひとつで)
in the late 6th century to the early 7th century. (6世紀後半から7世紀初めにかけて力を持っていました。)
The Soga family increased its influence by marrying their daughters into the imperial family. (娘を天皇家に嫁がせることにより、影響力を拡大しました。)


反発勢力との戦い

蘇我氏が仏教を日本に持ち込もうとした時、「仏教」を知らなかった当時の多くの人は、「日本古来の宗教」を守ろうとして反発しました。
「日本古来の宗教」とは、自然の中にいろいろな神様を見出すという考え方で、現代の神道(しんとう)の源流です。

日本古来の宗教を英語で説明する時はnative Japanese religion (ネイティブ・ジャパニーズ・レリジョン) と言うことができます。 
また、少し詳しい外国人ゲストだと、日本には仏教と神道があることをご存知の場合も多いので、神道という意味のShintoism(シントイズム)を使ってもいいと思います。

ここで、「仏教」vs「日本古来の宗教」の争いが起こります。
どんな戦いだったかというと、ライバル勢力が蘇我氏の持っていた仏像や仏殿を焼き払ってしまったり、「仏教を支持する派」と「日本古来の宗教を支持する派」で武力闘争に発展して兵隊同士を戦わせたりしました。
この戦いのゴールは、トップである天皇に「日本はこちらの宗教でやっていきます!」と言ってもらうことですので、天皇を味方につける戦略も大切になってきます。
蘇我ファミリーは最終的に「日本古来の宗教」を支持する天皇を殺し、蘇我ファミリーの血縁者でもある推古天皇を即位させることによって戦いに勝利します。
推古天皇は「日本は仏教でやっていきます!」という国の方針を決めました。

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なぜ、蘇我氏はそこまでして新しい宗教である「仏教」を広めようとしたのでしょうか?

蘇我氏が仏教を広めようとした理由1「外交」

理由のひとつは、外交です。
当時の先進国である中国や朝鮮半島の国々が仏教を政治に取り入れていたので、
日本もそれに習った方が国同士のお付き合いや交渉がうまくいくと考えたからです。

外交のことを英語でdiplomacy (ディプロマシー)といいます。
国際関係という意味のinternational relation (インターナショナル・リレーション)と言ってもいいと思います。

One of the reasons that the Soga supported Buddhism was diplomacy.(蘇我氏が仏教を広めようとした理由のひとつは外交です。)
The Soga tried to adopt Buddhism in order to succeed in international relations with the advanced countries such as China and Korea that were utilizing Buddhism as a way of politics. (蘇我氏が仏教を指示したのは、仏教を指示していた当時の先進国との外交をうまくいかせるためでした。)

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蘇我氏が仏教を広めようとした理由2「日本国内の政権争い」

理由のふたつめは、日本国内の政権争いです。
仏教のお寺作りや仏像作りには時間もコストもかかるので、国家レベルの大変な建設プロジェクトです。
それだけの労働力、お金、時間を「仏教」に使うということは、「日本古来の宗教」に使わないということでもあります。
蘇我氏は「仏教」という建設プロジェクトを使って人やお金を動かす影響力を持ったことになります。
「仏教支持」という旗を掲げて、「日本古来の宗教」を重んじるライバル豪族たちと戦った蘇我氏。
その戦いに勝つことにより、他の豪族の中で抜きん出た影響力をもつことができました。

By adopting Buddhism, (新しい宗教を採用することにより、)
the Soga clan succeeded in developing immense influence in politics (蘇我氏は大きな政治的影響力を持つことに成功しました)
over the other clans who supported native Japanese religion. (日本古来の宗教を支持していたその他の豪族たちよりも。)

仏教輸入に破壊行為はあったのか?

さて、ここで最初の疑問の答えを探してみましょう。
日本に仏教がもたらされた時のことを外国人ゲストに話す時は、破壊行為があったのかどうかや、どんな政治的な思惑があったのか、ということに重点をおいて話すとわかりやすいと言いました。政治的な思惑は前述の通りとして、破壊行為はあったのでしょうか?
「仏教」vs「日本古来の宗教」の争いでは数百人の人々が命を落としたと言われています。つまり一時的に大きな争いはあったと言えます。

There was a conflict between the two political powers (二つの政権の間で争いがありました)
that supported Buddhism and those who were against it. (仏教を支持するか反対するかを巡って)
The battle resulted in several hundred death. (戦いでは数百人の死者が出ました。)

争いはあったのですが、日本の仏教輸入はかなりスムーズに進んだ方だと言えます。
死者の数が数百人で済み、争いも数十年で決着がついています。
世界の宗教戦争での「破壊行為」と比べると、はるかに少ない死者で、一時的な争いだったと言えます。
その理由の一つとして、「日本古来の宗教」と「仏教」にある共通点が挙げられます。
それは「他の宗教と対立しにくい性格」を持っていたことです。
どちらも一人の神様を絶対視する宗教ではないため、両方あっていいよね!という考えが成り立つ性格を持っていると言えます。
推古天皇は「日本は仏教でやっていきます!」という国の方針を決めましたが、それでも「日本古来の宗教」を完全に排除したわけではありません。
日本国内の政権争いは別として、民衆のレベルでは仏教という新しい宗教と日本古来の宗教を混在させる形で自分たちの生活に落とし込んでいくことになります。
これって、現代に生きる私たちにも思い当たる節がありませんか?
あなたの生活にも仏教と神道の両方が浸透しているかもしれません。

Both religions do not exclusively worship one god (どちらの宗教も一つの神を絶対視するものではなかったので)which allowed Japanese people to incorporate Buddhism into their native religion (日本人は仏教を日本古来の宗教の中に組み込むことができて、)resulted in the co-existence of multiple gods in one religious system. (一つの信仰体系の中に複数の神仏が混在することになったのです。)

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いかがでしたか?

蘇我氏の息のかかった勢力が強い力を持ち、仏教を信じることを国の方針とさせた時代の話をしました。次回は、仏教と天皇を中心に新しい国づくりを率いていくリーダを紹介します。お楽しみに!





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