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外国人に伝える日本の歴史あれこれー古墳時代編ー

こんにちは!全国通訳案内士のリサです。

京都を拠点に関西地方で外国から訪れる観光客のプライベートツアーガイドをしています。

「外国人に伝える歴史あれこれ」シリーズでは、外国人ゲストに日本の歴史をどのように伝えているかをお話ししています。

みなさんはグーグルマップで日本を上空からじっくり眺めてみたことはありますか?
関西地方に目をやると、奈良盆地と大阪平野の南部ににたくさんの鍵穴の形をした緑地が見えます
これは、古代の権力者のお墓で、古墳(こふん)と呼ばれています。
3世紀後半から、関西を中心に増えていき、400年ほどかけて日本全国に広まりました。
日本では「古墳時代」として知られ、3世紀半ばから7世紀半ばごろまでをさすことが多いです。

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この時代の面白いところは、
日本の成り立ちに関わる重要史跡が多数あるにもかかわらず
謎だらけで、しかもあまり調査ができないというところです。
どうして謎が多いのに調べられないの
そして、それを英語でどのように説明すればいいでしょうか?
一つずつ見ていきましょう!

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そもそも古墳って何?

古墳は古代のお墓です。
大きな土地を使い、お棺の上に盛り土をして高さがあります。

古墳は英語でburial mound(ベリアルマウンド)といいます。

また、お墓という意味の英語で tomb(トゥーム)という言い方もあります。
tomb だけでは、宮殿のようなお墓や石碑(せきひ)を想像するかもしれないので、盛り土という意味のmound(マウンド)を使って、
large mounded tomb (大きな盛り土のお墓)と説明するといいと思います。

There are large mounded tombs all across Japan (大きな盛り土のお墓が全国にあり、)
that were built between the 3rd and the 7th centuries (3世紀から7世紀の間に建てられたものです)

古代のお墓といえば、外国人ゲストには何が思い浮かぶと思いますか?
ものすごく有名な古代のお墓。・・・それはエジプトのピラミッドです!
理解しやすいようエジプトのピラミッドのイメージに寄せながら、大きさや形など、古墳独特の部分を伝えるといいと思います。

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古墳の「かたち」を英語で説明してみよう

日本の古墳には円形や四角形など、いろいろな形がありますが、
日本で最大級の古墳たちはみんな「鍵穴」のような形をしていて、とてもユニークです。

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この「鍵穴」の形は、前が長方形、後ろが円形で出来ているので、
A square front and a circular end、または a square front and a round backなどと表現してもいいですし、
そのまま「鍵穴の形」という意味の keyhole-shape (キーホール・シェイプ)と表現してもいいと思います。

エジプトのピラミッドは「クフ王」のお墓として知られるものが最大で、146mも高さがあるそうです。
古墳はそんなに高くありません。高さは最大でも35mくらいなのですが、全長が長いのが特徴です。
全長が200m以上もあるものが全国に40基(き)ほどあって、一番大きいものは486mもあります!
クフ王のピラミッドの底辺は230mなので、その倍以上の長さがあります。面積でいうと甲子園球場12個分だそうです。
なんでこんな大きなものを作ってしまったのでしょうね?それはこの後改めて検証してみたいと思います。

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There are about 40 large keyhole-shaped tombs (大きい鍵穴の形のお墓が約40基あり、)
with a side of 200 meters or more. (全長が200メートル以上あります)
The largest one is 486 meters long.(一番大きいものは全長486メートルです。)

大きな古墳はお堀(ほり)に囲まれている場合があります。都市や城壁の周りに掘られたお堀(ほり)のことを英語でmoat (モート)と言います。

Some are surrounded by moats. 古墳は堀に囲まれているものもあります。The biggest burial mound is enclosed by three moats. 一番大きな古墳は3つの堀に囲まれています。

古墳に埋葬(まいそう)されているのは誰?

この全長486mある日本で1番大きな古墳。
周りを三重のお堀に囲まれていて、そこも合わせると全長850mにのぼります。
大阪堺市にあり大仙古墳(だいせんこふん)または仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)と呼ばれ、世界遺産に登録されています

外から見た感じは、ただの森のように見えるのですが、中は土が三層に積み重なっています。人力でものすごい量の土を運んだはずです。
この古墳が作られた5世紀の技術力では、1日1500人が働いても15年以上かかったと考えられています。

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こんなにたくさんの時間と人手がかけてでも、お墓を作ってあげたい人物、または、作らせることができた人物。
一体誰なのか気になりますよね?
めちゃくちゃ気になるのですが、これが誰のお墓なのか現在のところ不明です。

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え?別名「仁德天皇陵(にんとくてんのうりょう)」なんだから、仁徳天皇のお墓じゃないの?と思うかもしれません。仁徳天皇とは、4世紀末から5世紀前半に実在したと考えられる第16代天皇です。
宮内庁は大山古墳を仁徳天皇のお墓だとしていますが、どちらかというと言い伝えのようなもので、それが考古学的に正しいと確証を得たわけではありません。

We don’t know who is buried in this tomb for sure. (誰のお墓かははっきりわかっていません。)
The Imperial Household Agency of Japan treats it as the tomb for one of the early emperors called Nintoku, (宮内庁は初期の天皇の一人、仁徳天皇のお墓だと言っていますが、)
But it is not archeologically or scientifically verified.  (考古学的にも科学的にも検証されたわけではないんです。)

調査できない大山古墳

誰のお墓なのか分からないなら、調査すればいいんじゃない?って思いますよね。
大山古墳の中には石でできた部屋があり、その中に石のお棺(かん)があることがわかっています。
じゃあそのお棺を開けて、骨や髪の一部が残っていないかとか、人物の名前の入った出土品がないか、見てみればいいのでは?

今から150年ほど前、明治時代に石室の調査が行われたそうで、
その時の記録によると石室からは甲冑や鉄の刀やガラス容器などが見つかりました。
でも肝心のお棺は蓋を開けなかったので 、中に何が入っていたのかは今もわかりません。
この時のお棺の外観スケッチは残っていて、堺市博物館が複製を展示しています。

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蓋を開けなかったんかい!とツッコミたくなるのは置いといて…
そればかりか、江戸時代の資料には盗賊が盗みに入ってお墓の中は空っぽだったという記録もあるのだそう。
何やら雲行きが怪しくなってきました…

じゃあ、もう一度石室に入ってお棺の蓋を開けてみればいいのでは?
と思うのですが。
それが、できないのです!
大山古墳は宮内庁の持ち物で、立ち入りを厳しく規制していて、考古学者などが調査することが原則できません。
年に一度、森の部分など限定的に立ち入り調査する場合はあるようですが、石室に入ったり、お棺の中を見たりすることはできないのです。


なぜ調査が禁止されているの?

なぜ古墳の立ち入り調査ができないのでしょうか。
理由の一つとしては、「お墓を大切に守るため」だと言われています。
お墓は神聖な場所なので、調査目的といえども簡単に立ち入るべきではないという考えがあるようです。これを疑問視して、「何か知られたくないものがあるから、隠しているのでは?」という声も一部あるそうです。

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この他に、「今は調査する必要がない」という声もあります。
古墳を発掘するとなると、お堀の水を抜いたり、木を伐採したりする必要があり、古墳にダメージを与える上、予算も時間もかかります。近い将来、巨大レントゲン写真のようなもので古墳に触れずに調査する技術ができることを期待して、今は調査せず、その技術革新を待っているということです。

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それでもやっぱり知りたいという気持ち

確かに、お墓は神聖な場所という考えは分かります。真実を科学的に証明することが最上の正義だとするのは傲慢(ごうまん)なのかもしれません。しかしながら、私はやっばり誰のお墓なのかちゃんと知りたい!という気持ちが強いです。
もしも古墳の中から昔の王様のDNAが見つかったりしたら!なんて考えるとワクワクします。

みなさんがもし古墳の責任者だったらどうしますか?
考古学のため、歴史学のためという名目でお墓の調査をしてもOKにしますか?それともお墓を守ることは伝統を守ることだと考えて、絶対に発掘は許されないと考えますか?

調査にGOサインが出て、歴史を覆すような発見が出る…いつかそんな日が来るでしょうか?

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ところで、外国人ゲストにツアーをするとき、「日本の国としての姿勢や決まりごと」とそれに反する「ガイドの個人的意見」を両方伝えることは、私の場合よくあります。
例えば今回だと「宮内庁は調査を規制している」という日本としての姿勢を伝える一方で、
個人として「本当は誰のお墓なのか知りたいと思っている」という思いを両方伝えるということです。

全国通訳案内士は国家資格なので、あくまでも「国を代表したことだけをいうべき」だと先輩ガイドさんに教えてもらったこともあり、それも正しい意見だとわかるのですが、一方で事実の羅列だけではgoogle検索やwikipediaと同じになってしまいます。
ゲストに日本を紹介するとき、ガイドのパーソナルな体験や感想を共有することで、ツアーに付加価値を与えることができると思います。
もちろん、政治や宗教にかかわる話はあまり偏った意見をいうと楽しくない方向に行きがちなので、あくまでも楽しく面白く伝えることを心がけています!

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古墳時代は「中央集権の始まり」の時代

鍵穴の形をした古墳は、九州から東北まで全国に広がっています。これは特別な力が働いたことを意味しています。
古墳は作るのに人手もお金もかかるので、「わざわざ全国でおなじことをする」には特別な理由が必要です。それはなんだったと思いますか?

それは権力です!

大山古墳は誰のお墓か分からないのですが、日本一大きなお墓ということは確かです。
当時一番権力や財力を持っていた人、つまり「王様のような人」のお墓だろうと考えられています。
このような巨大なお墓が、奈良盆地や大阪平野にたくさんあることから、関西に「王様」のような権力者がいたのではないかと考えられています。

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関西ではこの「王様」のような人をトップに、有力な豪族(ごうぞく)たちが集まって連合政治を行っていました。
この連合政権のことをヤマト王権(やまとおうけん)と言い、トップはのちの天皇に当たる人物だと考えられています。

日本中にヤマト王権と同じ「鍵穴の形をした古墳」が点在していることから、ヤマト王権が日本各地の豪族にも政治的な影響力を持っていたと考えられています。古墳を見ることで、日本が徐々に中央集権国家(ちゅうおうしゅうけんこっか)になっていったことがわかります。

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この時代のヤマト王権のことを、英語でどのように説明できるでしょうか?
ポイントは、関西地方をベースに全国的に大きな影響力を持っていた政権であったと同時に、
これが王様や豪族(ごうぞく)による連合政治だったことです。

ここではヤマト王権をYamato kingship(ヤマトキングシップ)
豪族をpowerful clan(パワフルクラン)と訳して次のように説明してみました。

Between the 3rd to the 5th centuries (3世紀から5世紀にかけて、)
the largest burial mounds were made (最大級の古墳が作られました、)
in the modern-day Nara and Osaka prefectures then known as Yamato province.(当時ヤマト地方と呼ばれた現代の奈良県や大阪府に。)
It means that there had been a powerful authority in this region (この地域にで大きな権力があったことを意味していて、)
known as the Yamato kingship (ヤマト王権と呼ばれ、)
and it later became the Imperial court.  (のちに天皇を中心とした朝廷となります。)
Yamato kingship was a confederation of many powerful clans who had autonomies over their lands.  (ヤマト王権は自治権を持つ有力な豪族たちと連合関係にありましたが)
but it increased its influence over time,(その影響力をだんだん強めていき、)
by for example letting the others make the same key-hole shaped burial mounds. (例えば同じ鍵穴の形の古墳を全国的に作らせたりしました。)

ところで、ヤマト王権にはいろいろな英訳が可能だと思います。以下に思いつくものを載せておきます。皆さんはどの英語訳がしっくりくると思いますか?

・Yamato state(ヤマトステイト)
state(ステイト)には国政・国家という意味があります。

・Yamato court(ヤマトコート)
courtとは王宮という意味があり、ヤマト王権がのちに天皇を中心として朝廷(ちょうてい)、imperial court (インペリアルコート)になるので、この言い方もありだと思います。

・Yamato kingship (ヤマトキングシップ)
kingship (キングシップ)とは王権という意味なので、「ヤマト王権」という日本語に一番近いのはこれです。

・Yamato hegemony (ヤマトヘゲモニー)
hegemony(ヘゲモニー) とは、連合国内の主導権という意味です。ヤマト王権は直接日本全国の政治を行っていたわけではなく、各地方にいる有力な豪族(ごうぞく)たちにある程度の自治を任せていて、でも大きな影響力は持っていた、という状態をこの hegemony(ヘゲモニー) で表現することができます。

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古墳とセットで伝えよう!「はにわ」の魅力

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古墳からは多くの場合埴輪(はにわ)が出土します。
埴輪とはねん土を素焼きして作る人形で、筒型のシンプルなものから、人や動物や家や船まで、様々な形があります。
お墓の周りや上などに置いて、死者の魂をとむらう儀式に使ったり、
たくさん並べることで神聖な領域とそうでない領域を分けていたとも考えられています。


大山古墳からは、埴輪が三万体以上出土しています。
古墳時代は謎に包まれていることが多いのですが、
人物型の埴輪や、家型の埴輪のデザインから、当時の人の服装や暮らしを想像することができます。

埴輪(はにわ)は英語でclay figure (クレイフィギュア)といいます。「素焼きの土」という意味のterracotta (テラコッタ)を加えてterracotta clay figureと言うこともできます。

Around the mounds they placed hundreds of clay figures called Haniwa. (盛り土の周りに、何百こものはにわが並べられていました。)

東京国立博物館群馬県立歴史博物館を始め、
全国多くの博物館で埴輪(はにわ)が展示されているので、ぜひ見てみてください。

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いかがでしたか?
謎の多い古墳時代の面白さが少しでも伝わったら嬉しいです。

古墳は大小を含めると全国に16万基以上あるそうです。
あなたの自宅の近くにも古墳がある可能性は高いです。
大きな古墳がある自治体では、市役所や地域の博物館などに出土品が展示されていることも多いです。
ぜひ一度見てみてください。





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