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日本一周バンライフに行くまでのお話

初めまして、ちか といいます。50歳です。
ハイエースで日本一周中でございます。(免許更新と冬季のため一時帰宅中)

この度、ご縁がありまして、こちらに旅の記録を綴らせていただくことになりました。乱文はご了承ください。

さて、その前に旅に出る前の私の話をさせてください。


自由への迷走期

東北の片田舎で、生まれました。
幼いころから、ここじゃないところに行きたいなあ、
と漠然と考えていました。
友達がいないわけでも、家族が嫌だったわけでもありませんが、
鳥はいいなあ、自由にどこでも行けてと、
よく空を見上げて思っていました。

高校を卒業してすぐに東京に出ました。
でも、自分が考えていた自由はありませんでした。

組織の中にいるからだ、と勘違いし、
仕事を辞めてフリーターになりました。
フリーターという言葉が流行りだしたころです。

会社の綺麗な社宅も出て、当時の彼の近くに引っ越しました。

なんだか、流行ってることをして、生活をしてるなんて、
イケてんな(←死語) 私!もう、自由だ!早起きしなくていい仕事にしよう!
飲み会にだってすぐ行ける!タバコもかっこいいからはじめる!

もう、勘違いのミルフィーユです。

当然、そんな生活は長くは続かず、
生活が苦しくなって何個もバイトを掛け持ち、
電気も止められたこともありました。
蚊取り線香を買うのに、できるだけお得なものをと
何周巻いてあるか内容量は、とウロウロしすぎて
万引きと勘違いされたこともありました。
(エアコンも網戸もない借家に住んでて、蚊がすごかった)

そのころには、食事はバイト先のまかないだけで、
家ではお菓子を何日かに分けて食べていました。
そんな、生活をしている私が嫌になったようで、
彼も去っていきました。

それでも、それなりに楽しかった。
いろんなバイトして経験して、いろんな人に会えて。

でもやっぱり、思っていた自由とはなんか、違うな…

ちょうどその頃、母から、車の免許くらい取らないと将来困るよ!
としつこく言われていました。
生活に限界も感じていたので一回田舎に帰るかっということに。

でも、またお金を貯めて東京に戻る気満々でした。

まさかの・・・

田舎に帰り、なんとか免許も習得し、近くのスーパーでバイトを
始めました。
目指すは、東京で返り咲き❀!

と言っても、田舎は足がないのはなにかと不便なので、
免許を手にした私は、20万で車を買います。
当時レギュラーガソリン100円しなかったし(田舎だけ?)、
無敵の実家暮らしなので、十分遊べました。

あら?田舎でも自由になれたかも?

車があるとそんな感じがしてきました。

そんなとき、彼氏ができました。
東京にもう一回いくつもりだったのに、
もう、毎日楽しいが勝っちゃいまいしたね。

そして、あれよあれよという間に、まさかの結婚!
21歳でした。

まさか、田舎で結婚なんて、東京にいたころは
想像もしていませんでしたが、
楽しいし、ずっと一緒にいられる!と、浮かれていましたね。

お金の心配もしてませんでした。
彼は、田舎でも有名な企業で働いていましたし、
私も働いてるし、家賃が安い団地にも入れたし。

でも、彼には借金がありました。車にお金をかける人でした。

ローンは男の勲章だ

と言っていたこともあります。
その分働くから、と残業したりバイトをしてくれていました。

とにかく貧乏でしたが、3人の子供にも恵まれて、幸せでした。

人生最大の絶望

あの日のことは、20年以上経った今でも、鮮明に覚えています。
ですが、詳細は控えます。辛くなるので。

土砂降りの春の日、仕事に行った彼は、遺体で帰ってきました。

仕事中の事故でした。

あと一週間で、長女の小学校、長男の幼稚園の入学式、
次男は二歳になる少し前でした。

その日から、毎日、会社の人、友人、親戚、葬儀屋が
ひっきりなしに、団地に来ました。
家に人を入れることが基本嫌だった私は、ストレスでしか
ありませんでした。
悲しいのに、悲しめない。
喪主って、なんなんでしょうね。
悲しみに浸らないように、
わざと、やることがいっぱいあるって感じでした。

子供たちは、毎日人が来ることが楽しいらしく、
無邪気にはしゃいでいました。

バタバタと葬儀も終わり、日常に戻り始めると、
急にぽっかりと胸に穴が空いたような状態になり、
強烈な寂しさが襲ってきました。

そんな中でも、
長女は小学校、長男は幼稚園に元気に通ってくれて、
新しいことができるようになってくる子供たちを見ていると、
悲しんでばかりはいられないなと思うようになってきました。

でも、学校や幼稚園で何か言われたのか、

どうして、うちはパパがいないの?
〇〇ちゃんちは、新しいパパが来たんだって、うちはいつ?

なんて言ってくることがありました。
特に、長男と次男はよくわかっていないようでしたね。
子供は残酷なことを言うなと思いましたが、
悲しんで病気になったりするよりは、ましだと思うようにしていました。

ただ、パパがどんな人だったか、お前たちのことをどんなに想っていたか、写真や動画を見せながら、よく話して聞かせる日々でした。

彼は一人っ子だったので、義父母のことも
私の肩に重くのしかかってきました。

翌年あたりから、なぜか義父母が代わる代わる病気やケガで
入退院を繰り返し、さらに義父母が子供のようにかわいがっていた
愛犬まで亡くなってしまいました。

その度重なる不幸のせいか、義母は60歳という若さで、
アルツハイマーになってしまい、施設の入居を余儀なくされました。

一人残された義父は、何年も前から半身が不自由でしたが、
とんでもない頑固者で、絶対、人様の世話にはならん!と、
一人で家事をこなしていました。

たまに、様子を見に行くと、私に料理を教えるほどでした。

しかし、その義父も胃がんで、検査だけだからと入院して、
そのまま亡くなってしまいました。

その翌年に施設に入っていた義母も亡くなりました。
義母は、10年間、毎年施設を移り替わり、最後には
歩くことも、食事を取ることもできなくなっていました。
恐ろしい病気です。

義父母には、ほんとにやさしくしてもらいました。
大変なときもありましたが、感謝しています。

気が付けばアラフィフ

その後も、相変わらず自由とは縁遠い日々を暮らし、なんとか子育てもひと段落したころで、同級生との何気ない会話で、ハッとしました。

あら?もう45歳だっけ?アラフィフ?

なんだか、急に焦りが出てきました。

20キロも太った体に、毎日すっぴんで仕事に行っていたので、黒くシミだらけの顔、乾燥もして、ファンデーションは全然のらない。
薄毛にもなってきた!
あぁ、このまま女として終わって一人で死んで行くのかと考えたら、悲しすぎる。
そのころ、独り身の叔父さんが孤独死したこともあって、余計に考えるようになっていましたね。
もう一回、あの楽しかった日々を!と思うようになりました。

そして、次男が大学進学で家を出たのをきっかけに、パートナー探しを
することにしました。

八方塞がり大殺界の年

女性ばかりの職場でしたので、こちらから行かないと、
出会いはゼロです。

意を決して、独身の友達とともに、あちこちの街コンに参加することに
しました。
婚活だと、結婚目的の人ばかりになるので、あえて、街コンを狙いました。
結婚相手ではなく、パートナーが欲しかったので。

しかし、現実は甘くないです。
どこに行っても最年長の私は、完全にアウェイでした…
さらに、子持ちだと話すと、表情が引いていくのがわかりました。
子供と同じ年の人もいて、

無趣味はだめだよ。話が広がらないじゃん!

なんて説教までする始末…

それでも、いろんな人と話すのは、いい刺激になりました。
自分磨きをしようって気にもなるし。

何回戦もチャレンジしましたが、どうにもならないので、
占いにも行きました。

大殺界!八方塞がりの年だよ!何やってもダメな年だから、
大人しくしてるのが無難だよ!

とはっきり言われてしまいました。

マジかー…(-_-;)

ならば、あと一回行ってダメだったら、もう辞めようと決めました。

やっと出会えた

日曜の真昼間の街コン。
最後だと思うと気合が入ります。

どう見ても、女子の方が人数少なめ。
で、一人オバサン…
申し訳ない…

またもやアウェイ感漂う場でした。
今日も、最年長かなと、男子側を見ると、
私より年上なのに、一番楽しそうにしている人がいました。

めちゃめちゃ笑顔で、盛り上げて、とにかく楽しんでいる
その人に、思い切って、声をかけてライン交換をしました。

こんなに明るい人なら、きっと友達も多いだろうから、
最悪、脈がなくても、友達を紹介してもらえるかな?

という下心付きです。

でも、それから何度か連絡をとって会うようになって、
結果、付き合うようになりました。
後から聞いたんですが、そのときは、転勤してきたばかり
だったので、友達は一人もいなかったそうです。

それから、四年後、次男も無事卒業!!
ガッツポーズしましたねー。
単位、ギリギリだったんで。
最後の成績表が出るまで分からなかったんです。

あぁ、これでほんとに、ほんとに、
自由な人生が始まる!
やりたかったことを片っ端からやろう!
まずは、旅だ!遠くに行きたい!
彼も同意見でした。

ちょうど、彼の仕事もパソコンさえあればOKになり、
いい感じのハイエースのキャンピングカーもみつかりました。

これは、今しかない!今、日本一周に出ないで、いつ行くんだ?
もう行こう!行っちゃおう!

そうして、50歳の大冒険をスタートさせたってわけです。

あとがき

この話いる?と思った方もいると思いますが、
ただ旅がしたくてとか、子育て終わったから、とか、
一言では、表現しきれない想いで、旅に出たんです。

幼いころから思い描いていた自由、
それを求めて迷走していた若い頃、
ひたすらやった育児、
大事な人たちとの別れ。

もちろん、書いてないとんでもないことも沢山ありました。

その都度、今、がんばろう、きっと自由はくる!
これが終われば、きっと自由になる!
と呪文のように、自分に言い聞かせて、乗り越えてきました。

子供たち、両親にも、彼のこと旅のこと、ちゃんと話ました。
みんな、よかったね!と言ってくれました。
それが一番嬉しかったですね。

ありがたい、ご褒美旅なんです。
自由への第一歩です。

長々と失礼いたしました。
今まで読んでくださった方、ありがとうございます!

続きは、旅ブログへ・・・🚙



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