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男には歌わねばならない時がある。

男には歌わねばならない時がある。
と言ったのは大隈先生だっただろうか、福沢先生だっただろうか。いや、大隈先生であれば「男には歌わねばならない時があるんである。」と、そう言ったはずだし、福沢先生だったら「男は歌うものだ。」とか「男歌のすゝめ。」みたいなもっと断定的でスカした三田的な言い方をしていたはずである。

近現代の大先生であればそもそも「男には~」のような限定的で非上島千鶴子的な書き方はお茶の子さいさい大炎上まっしぐらだし、さだまさしの関白宣言を令和の時代に歌おうもんなら洒落の通じない新宿よりも青山とか表参道とか麻布台ヒルズが大好きな貴婦、、、、、まあそういった考え方の皆皆様から盛大にバッシングを受けるだろう。(関白宣言はそういうボケだっつーの。)

いずれにしても、男には歌わねばならない時があるのだ。異論は認めない。
その時は、20代前半くらいに、音もたてずに突然、そして確実にやってくる。上司か先輩か、はたまた顔が可愛い女の後輩が自らの保身のために「〇〇さんの十八番入れてください~」なんてお茶目にぶっこんできたり、連れていかれるときはウキウキ幸せ絶頂のキャバクラかクラブかスナックとかで隣に座った女の子に突然デンモクを渡されたりするのだ。かっこつけるのが生きがいの男たちはもちろん断れない。

その時になって、なぜ今まで十八番を練習してこなかったのか、もっとラフに歌える時や一人でドライブしてる時に他人の目を意識して練習してこなかったのか、と後悔をするのだが時は既に遅し。

うまく歌えるかどうか以前に、そもそも何を歌えば良いかが分からなくてデンモクの履歴とかランキングとかを漁りながら変な汗をかいて、この場合水ではなく完全に汗の方なのだが、挙句、いつもよく聴いている流行り歌などをいれるのだがこれが意外と難しかったりするというのが男の初体験だったりする。

そして高鳴る心臓が高鳴りすぎて飛び出て落っこちて椅子の影に素早く隠れているのを目で追いながら、泳ぎまくるつぶらな瞳孔で髭ダンの繊細な1言目を盛大に外すのだ。そして、顔は赤面、汗は止まらず、人生で最も長い、2023年カタールアジア杯の「なぁなふんっ!?」よりも体感的にはさらに長い3分間を過ごすことになる。笑ってもらえればいいものの、静まり返った日にはもう目も当てられない。上司は慌てて横の女の子に話題をフリ、デンモクを渡してきたあのおなごは誰も飲まないグラスの汗を拭き始めるのだ。歌ヘタ男の汗なんか誰も拭いちゃくれない。

そして、男の苦ーい経験として脳裏にこびりつき、次の日慌てて一人でカラオケボックスに駆け込み自分が歌えるちょうどよい音程の歌を練習するのだが、大体3~4回歌った後に、この曲はあまり盛り上がらないなとか、サビの音程が高いなとか、別の曲を探して結局スマップとかセカオワとかちょっと古いけどみんな知ってて歌いやすい曲に落ち着く。だから名曲は強いしコアなファンから絶大な人気があるのだ。

ちなみに、学生時代から合コンの二次会でカラオケにいってきたからといってこの限りから外れるわけではないということは皆様ご存じの通りである。何を隠そう学生時代のカラオケなんていうのは、仲間うちの慰め会か、ただなんとかしてこの子をもうちょっと飲ませればなんかわんちゃんあるんじゃねと思ってご指名するためのコール合戦か、大体大分するとこのいずれかだ。そんな下世話でスタバの新作フラペチーノのように甘々な場で歌ってきた歌など、歌ではないのでござるよ。ちなみに後者をやるやつは大抵嫌われるというマックのハッピーセットのおまけもついてる。

そうじゃないのだ。社会人になって男が歌わねばならない歌というのは、カラオケボックスじゃなくて、夜のお店とか、会社の忘年会やら打ち上げやらの二次会で歌いに行く時の歌というのは、

人を感動させなければならない。

これは国語辞典にもウィキペディアにも古典の辞書にだって現代的仮名遣いを用いて解説が載っている真理だ。

モテたくてかっこつけたくて馬鹿でしょうがない単純で純粋な男たちはみな、自分の上司がクラブで女の子のために歌う尾崎豊とか、サザンとか長渕とかを聴いて、歌というものを知る。綺麗に歌えばいいのではないのだと知る。その歌の裏に、物語を見せなければならないのだ。その物語に人間は感動する。下手でもいいから、自分の気持ちが乗った歌は、それはそれは綺麗なのだと知る。

それでもやっぱり素人の歌で涙は出ないわけなのだけど、「そうか、そうやって頑張ってきたんだな」とか「故郷のママが忘れられないけど一生懸命やってるんだな」とか「失恋の1つや2つ、ちゃんと乗り越えてきたんだな」とか、そうやってお酒の力を借りながらも権力や人と距離を詰めていくものなのだ。



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