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ネコとの年月が私の歴史 (8)

Chapter 8 最終章 
ネコ#13 & 14  ジセラ と ミニヨン

こうしてこの2匹が今現在最後の(そしてこれ以上はもうできない)新入りとなる。
 その時我が犬猫家屋は、米国東海岸沿いにあるマサチューセッツ州から、大陸を尽きるまで走ると辿り着く西海岸へ引越しすることが決まっていた。またこの時も寒い2月のある晩、裏口のドアを叩く音があった。裏から来る人間は決まっていた。または夜間は表玄関を叩いても私がドアを開けないので、裏から来るようになったのかもしれないが、その時もやはり隣人のアルという人だった。彼は牧場を継いで仕切っている男で、とてもいい人なのだが何しろ寡黙で、都会によくいる社交的でおしゃべり好きなアメリカ人ではない。何か話しかけても何も言わないことが多く、最初は面喰らったが、そのうちそういう人なのだとわかってきた。その時もドアを開けても何も言わない。なので私が一人で何か言うことになる。彼は目に見えることはわざわざ口を使わないのだ。

すると彼の足元を子猫が2匹、うろうろしている。私が大きくうろたえていると、何者かが彼の牧場の納屋に置いていったということだった。これもよくあるパターンだ。はっきり言わせてもらうとこれは卑怯だ。
「この人なら、牧場なら、なんとかしてくれるだろう、寒くないだろう。」という希望的観測から自分のプロブレムを他人に押し付けて、更に都合よく想定し勝手に安心を得て、
「もう私の問題ではない ♪」
ということだ。ともすればシェルターなどがどこも一杯でどうしようもなかったのかもしれないが、それにしても他人の状況を全く知らずに、傍から
「優しそうな人だから」
「ネコが既にたくさんいそうだから、ネコ好きだから飼ってくれるだろう」
と勝手に子猫が幸せになるだろうと決めつけて、置いていくのだ。これは産まれたばかりの赤ちゃんを捨てるのと同罪だと私は思う。実際、アルは聖人のような人だ。なので捨てた人間が彼を知っていた事はほぼ間違いない。こんな2月の連日終日氷点下の中、一晩でも外で過ごせば子猫は凍えて助からないかもしれない。そこで私の所へ持ってきたのだ。

彼の言い分は、
「うちにはキャットフードがないから。」
というものだった。。もちろん私のうちにはキャットフードはあったが。。彼は反対隣に住んでいる彼の兄夫婦にも、明日(育てられるか)聞いてみると言ったが、答えは聞かなくてもわかった。そんなに簡単に子猫を引き取ってくれるなんてことはないのだ。ましてや彼らは共働きだし、飼える人は既に飼っているのが常だった。

「うちにはネコが4匹もいるのよ。」
と言うと、
「あと2匹増えたって同じじゃないか。」
と彼。正確な彼の言葉は、
〝What's two more?”
という寡黙な男の短いコメントだった。

彼はまた、もし誰も飼えなければアニマルコントロール(保健所のような所)を呼ぶとも言った。

「じゃあ、今夜は私が預かる。」
と言ったが、もうそう口に出した時点で8割がたは飼うことになるだろうと思っていた。しかし数ヶ月後に控えた大陸横断の移動には、ネコ4匹と6匹では大きな違いだった。。

子猫達は生後約1-2か月で、人には懐いていたものの恐ろしく飢えていた。夕食時で私はキッチンでキャベツを切っていたところだったが、いきなりカウンターの上までジャンプして来て、キャベツの芯を見つけて2匹でウーウー唸りながら取り争いを始めた。(この2匹、今ではもちろんキャベツの芯どころか葉も、どんな野菜にも興味を示さない。) 更には炊く準備をしていた生の玄米を見つけておもむろに食べ出した。これはあまりに消化が悪いので、何より先にディナーを供すこととなった。恐らくえらく競争の激しい環境にいたと思われた。数匹でネコ缶1缶、一日一回の食事、とか。。幸い彼らはその日以来二度と飢えることはなく現在に至っている。

こうして当初の予想通りに新たなメンバーとなったのが、最後の子猫の姉妹のジセラとミニヨンである。

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私はこのように何度も何度もネコや犬に見つけられ、少しずつ優しく少しずつ強くなっていった。人間の子供には恵まれなかったものの、それを寂しいとか感じる暇はなかった。彼らは必死で生き延びようとした。産まれてくる生命体にはそれが備わっているようだ。どの動物もどんなに苦しくても自ら命を投げ出してしまうことなく、生き延びようとする点では人間より強いのではないかと思う。私自身もこの大きな任務のため、どうにか生き延びて彼らを食べさせるしかなかった。それが結果として私自身を延命したと言えるかもしれない。

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この背景に関わらず、犬と猫をたくさん飼っているということでどれだけ差別され中傷されてきたか知れない。思い出すのも嫌なことはわざわざ書かないが、動物にいろいろなことを教えられる一方、人間は徐々に嫌いになっていった。自分と同じ考え方や行動をしないと許せないかのように、その相手を攻撃せずにいられない一定数の人間がいるが、私を惨めにする人間だけでなく、人間を一緒くたに嫌いになっていった。それが少しずつ緩和し始めたのはそう遠い記憶ではない。

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先月、長寿だったタイガーベルが、19歳に達する一歩手前でその長い生涯を終えた。この note にも幾度か登場させて読んで頂いた。その最期は今まで何度も経験したように、回を重ねても慣れることはなく難しいものではあったが、大往生には違いないだろう。
「うちのネコ、そんなに手をかけてないのに20歳まで生きたのよ。」
とかいう話をわりとよく耳にする。いつか終わりが来るのは仕方ないが、一度でいいから20歳以上まで生きてくれないかと密かに願っている。こんなに多くを育てて来たのに未だかつてその望みは叶っていない。

✴︎


動物達からは様々なものや時間をもらったので、そのお返しとして、精神的に余裕がある時には色々なボランティアをやって来た。シェルターからファームまで、いろんな土地に住んだのでいろんな施設を視察できた。

寄付もいくつかの団体に毎月少額ながら20年くらい続けてきた。またフェイスブックでバシバシ叩かれながら、人に知られず人間に虐待を受けている世界中の動物達の叫びを記事にもしてきた。しかし画像などは勝手に削除され、アカウントもバンされた。今でなく何年も前のことだ。虐待をしても殆ど裁かれないのが、その事実を広めようとすると裁かれる。動物は世界中で虐待を受けている。精神異常者の場合もあるが、多くは人間の利益の追求のためだ。そしてそれは人間の社会では許されるものらしい。。
その後は少し疲れて、今はあまりやっていない。
 
でも私としてはこれだけの数の犬とネコを引き取って、一人でやってきたことが一番大変なボランティアだった。もちろんネコも犬もかわいいし癒されることもあるが、私は生活力のある方ではないので本当に大変だった。それなのに天は次から次へと行き場のない動物を私のところによこした。実際にはその間働き手が他にいた時期もあるが、精神的にはいつも一人で闘ってきたという感じだった。動物達はわかってくれているので、今は随分まし。これもまた運命なのだろう。

私にとっては本当に行き場のない動物を助けることは、自分で引き取って飼ってあげることしかなかった。以前、犬が6匹の子犬を出産した時に、広告を出して子犬をもらってもらったことがあった。なんとなく腑に落ちない点がいくつかある譲渡だったが、もらってもらうので仕方がなかった。するとそれからほんの数週間後に、同じ新聞にその犬を高額な犬種と称して売りに出している広告を発見した。。。。そんなこともあり、その後は私を見つけてやってきたものは誰の手にも譲らず、引き取って育てて来たのだった。

これが私の家族だ。世話をしてきたとはいえ、彼らからもらうものは大きい。動物が好きな人は誰もが知っているだろうが、動物には人間やモノからはどうやっても得られないものがある。それを知る事のできた私の人生は豊かなものとなった。

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ここまで読んでくださった皆さま、私の記憶の旅にご同行頂いてありがとうございました。世の中の変わり目に、生き残りゲームの最中、バーチャルにでもお知り合いになれた縁を感じます。どうぞくれぐれもお気をつけてお過ごしください。

もしもサポートを戴いた際は、4匹のネコのゴハンやネコ砂などに使わせて頂きます。 心から、ありがとうございます