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真鯛と防波堤

 膨大な工業力によって作られた全長数kmにも渡る巨大な沖防波堤。それは太平洋が作り出す波の巨大な力を鎮め、船の安全を確保するために必須の港湾施設だ。海辺のほとんどが外洋に面するこの土地では、かつて海運はおろか漁業に従事することも多大な苦労が伴った。港のない砂浜で船を出すためには、枕木を設置し船を上げ下ろしする「沖出し」が必要となる。上半身を水につけて行うその作業は、特に厳冬期には多大な苦痛を肉体に与えた。その苦痛、そして台風や高潮などの悪天候に伴う船の喪失、避難港が存在しないことによる難破の悲劇。そうした暗い歴史は、この土地の人々をして巨大な沖防波堤を作らしめるに至った。それは人口の入江だ。湾や浦などと呼ばれる、天然の入江がある土地においては所与のものとして与えられている「凪」を、ここでは人の手で作らなければならなかった。そしてこの開発は、岩礁の破壊や漂砂による埋没、それによる海洋生物の生育環境の変化などをこの海へもたらすことになる。今、私たちが見ている海はそのような膨大な工業力によって大きく改変された海なのだ。

 これは「自然破壊」なのだろうか。
 釣り場へ赴く車の中で、私は考えあぐねていた。確かにそうかもしれない。ある特定の時期における海の状態と、開発後のそれとを比べれば、悪くなるか否かは別に間違いなく「変化」が起きている。それを「(既存の自然の)破壊」と捉えても不思議はない。自然保護運動黎明期のアメリカにおける保存主義の立 注1を思い起こせば、太平洋に築かれた防波堤のごときは美しく純粋なキャンパスに打たれた醜悪なモノリスだ。美しい渚に見え隠れする人工物――巨大な防波堤、消波ブロック、工業地帯の温排水――が、このような見方を不快にさせるのも無理はない。しかし実際に世界的な自然保護の運動はそうした見方が先導してきたし、その運動が――完璧ではないにせよ――今日の姿を守ってきたとも言え 注2
 ただこの見方は、あの沖防波堤とそれに付帯する諸工事がこの海域において、水深が深く、水温が安定し、餌も手に入りやすい新たな魚の居場所を提供したことをうまく捉えることが出来ないのではないだろうか。確かに全ては変わった。もしかするとそれは悪い方向に変わったのかもしれない。しかしこの海を生きる命は、それを所与のものとして新しい生活を始めている。嘆いているのは「かつての」「自然」なるものに自己同一性を投影している人間たちだけだ。魚は涙を流さない。

 まだまだ梅雨明けには遠い頃だった。
 私はこのようなことを考えながら、車から小さなカヤックを降ろし、海へと漕ぎ出した。沖防波堤に着く真鯛に会うためである。先日から続いている南東からのうねりはまだ残っているが、あの構造物のおかげでカヤックを漕いでいくのに苦労はない。この季節、小雨混じりの曇の天気になると、彼らはこのあたりを徘徊しながら獰猛な捕食活動をする。彼らにとっては、この時期、この場所で生活することが理にかなっているのだろうと、私は考えている。
 なんとか大鯛を釣り上げると、一息ついて眼前を見る。太平洋の巨大な波のエネルギーを防ぎ続ける巨大な構造物の姿は、築堤からたかだか数十年でもはや老兵の佇まいだ。この人工物がこの環境を作り、私とこの魚を邂逅させた。魚を抱えて家路に着く中、私はもう一度このことの意味を考えていた。

 生み出されたものは、生み出したものの意思とは関係なく、別個の道を歩む。確かに人間の都合によって生み出された巨大な建造物は、自然にとって異物だ。潮の流れも変わり、漂砂もある。しかしそこには、その人工物を所与のものとした生態系が新たに、そして確かに生まれている。私が今日釣り上げた大鯛も、そんな環境だからこそあの場所で邂逅し得たのだ。自然を善とし人工を悪とするような、素朴でわかりやすく対立的な立場をとることは「自然」というものをノスタルジックな過去の一地点に封印してしまうことだ。この立場にとって「自然」はいつまでも変わらず「あの頃の美しい姿」を保っている。そこに「変化」は存在しない。
 このように考えると、初めて「環境」という言葉の持つ広がりを理解することになる。「自然」という言葉は、少なくともその保護や保存を考える限りでは「人間」の対概念だ。注意しておかないと、そこには先のように素朴な対立が入り込み、ややもすると双方のイメージを永遠に固定化してしま 注3。「環境」という語も、確かにもはや手垢にまみれた言葉ではあるが、「環――めぐる、境――さかい=かこう」という言葉の本位に立ち返れば、この私や大鯛をめぐり/かこう外界すべてを指す言葉として理解する事ができるだろう。そこにはノスタルジックかつ対立的に固定化されたイメージは存在しない。
 この意味で私は「変化」という概念を含めて外界を考えるとき、「自然」よりも「環境」という語を採用するのがふさわしいと考えている。それはとりも直さず固定的なイメージとしての「自然」を捨て去り、変化を起こし続ける現在を認めるという態度の表明でもある。

 沖防波堤という人工物がつくる環境――かつてのそれからは徹底的に変化してしまった――において、大鯛と私という二点は交わった。小さなカヤックを紐帯として。
 真鯛の瞳に添えられたアイシャドウ。その外側を急勾配な額の曲線が走る。その美しさに見惚れ、私は考え事を中断した。改めて見ても良い鯛であった。「自然」や「人間」、「環境」と「変化」。そんなことは気にせずに太平洋を駆け続ける一個の命がそこにはあった。そしてその生命を奪ったものは私であった。それも変化と言えばそうなのだろうか。魚に涙はない。そして言葉もない。彼らの声を聴く、などということは人間の傲慢に過ぎない。しかしもしかしたらその断絶を飛び越えるすべがあるのではないか? そのことを私は今も考え続けている。
 そうすればきっと、私をめぐり/かこみ、そして今も変わり続けるこの環境のことについて、あるいはもう少し何かが理解できるかもしれない。


  1. アメリカの自然保護運動黎明期における環境思想についてはこちらを参照した。

  2. この列島における自然保護運動の源流は、アメリカの自然保護運動の輸入ではなく、公害反対運動にあるだろう。ただしバックミンスター・フラーの「宇宙船地球号」の比喩やローマクラブの「成長の限界」といったインパクトのある言説が今日の運動を支える背景の一端ともなっている。

  3. しかし次のような疑問も浮かぶ。「人間と自然の対立がないのならば、人間の諸行為は全て同時に自然な行為でもある。ではかつて、そして今も起こり続けている人為による環境問題すらも、自然的行為として免罪され得るのか」と。無論そうではないだろう。自然保護主義の立場が、かつてそして今も闘う深刻な環境問題への姿勢は間違いなく正しい。その正しさの源泉がどこからくるのかといえば、それはシンプルに自らが生きる場所を自ら破壊する愚か者はいない、ということではないだろうか。人為が悪で、自然が善、というような素朴な判断ではなく、そこに住まうものとしての当然の倫理として私達は少なくとも私達が明日も生きていけるよう、自らの場所を維持管理していく必要がある。確かに真鯛は自然保護活動をしない。もちろん蟹もだ。だから私もしなくてよいのか、と問えば住処――それがすなわち環境を意味するのだろう――を壊しかねない力を持つものとしての当然の倫理として、私は自らの力に一定の枷をはめなくてはならない。

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