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五感で感じ取った空気感を「思い出」に圧縮するため、私は写真を撮る。

五感で感じ取ったその瞬間の空気感を、写真という二次元のタイムカプセルに落とし込みたいから。なぜ私が写真を撮るかと聞かれれば、答えはこれに尽きる。

カメラを初めて手に入れたのは10年前。写真を本格的に撮り始めて3年。今回はそんな私がなぜ写真を撮るのかについて淡々と書かせていただきます。

この瞬間を写真に収めたい!

初めて本格的にこの瞬間を写真に収めたい!と思ったのは私がイギリスに住み始めて二年目のある日の朝。ロンドンの地下鉄の駅で電車を待っていた私。早く電車が来ないかと、トンネルの先を見つめる。

そんな瞬間にふと思った。モヤがかかったような霧がかったトンネルの先。

私はこの情景を私の目で見て、ロンドンの地下鉄の駅の独特な鼻につく埃っぽい匂いを鼻で感じ取り、遠く彼方から聴こえる次の電車のかすかな轟音を耳で聞き取っている。

そんな瞬間に私はかんがえた。五感で感じ取った情景、匂い、音、を5年後の私は思い出せるのだろうか?

もしこの瞬間を二次元の写真に収め、その写真を見返すたびに、その時私が五感で感じた刺激全てを思い出すことができたらなんて素敵だろうか?

そんな思いをもとに私は貯金から富士フィルムのスナップショットカメラを買い、将来の私が再び味わいたい情景や瞬間を「写真」に残す日常が始まった。

話を腰を折るようだが、未だに私はモヤのかかった地下鉄の駅の瞬間を納得のいくような写真には収められていない。まだまだ道のりは長い。

自分の体調を知るための写真

そしてもうひとつ私には写真を撮る理由がある。それは自分の体調を把握するためだ。

うつ持ちの私は、調子が良いときはカメラを持って散策すると色々な周囲のものが私のセンサーに引っかかる。要するに、自分が美しいと思う対象に出会う瞬間が多い。

対して調子の悪いときは、一日中カメラをぶら下げて歩いても、後で見返してみるとほとんど写真を撮ってないことがざらにある。つまり調子が悪く、うつフェーズに入っている、もしくは入りかけているときは、私の感性はしおれてしまっているので、撮りたいと思う対象に出会わない。

なので逆説的に、撮る写真が少なくなってきたとかんじたら、うつフェーズに入っているのかもしれない。と自分に対して問いを投げかけることができるようになった。

思い出深い写真たち

最後に、今まで撮った思い出深い写真を載せてみる。(もし好きな写真があれば、「みんなのギャラリー」に共有してあるので、#うつぬけサンダーバードで探してぜひ使ってください。)

直島 ANDO MUSEUMにて。うちつけのコンクリートに射し込む初夏の日差し。
ネパールのアンナプルナから。早朝マイナス気温の中、見下ろす雲の上。
週末のロンドンのSoho。渋滞にはまったバスの二階から。
京都、鴨川にて。飛び立つアオサギを見つめるコサギ。
アルバニアの山頂から見下ろす雄大な大地。
初夏のスイスの山々を飛行機から眺める

ここまで読んでいただきありがとうございます。サポートしていただいたお金は、うつを治すため色々と試し、記事にするための資金とさせていただます!