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グルグルと考えていたことをちょっと書いてみた。作品を生み出せる人は本当にすごいなという話。

昨日コロナのワクチン打ってきた。想像してたよりも副反応っぽい腕の痛みが強い。でもこうして無事ワクチンの1回目を打てたのは、今世の中を少しでも前に進めようと頑張ってお仕事している方がいるからなんだと思うと本当に頭が上がらない。ありがとうございます。
じゃあ私は出版社に去年新卒で入って、ひとことで言えばどんな仕事をしたんだろうと最近考えてしまうのだ。誰かを救う、誰かの役に立つ、そういうことを私は少しでもできたんだろうか。
「何もしてない。」
わりと小さい頃から、音楽か本を作る人になりたいなと漠然と考えてた。(この範囲の広さからもいかに”漠然”かわかると思う。)これは決して、「作ることが好きだから」とか「何か作ってると心が落ち着くから」的なクリエイターのインタビューによく書いてあるワクワクするような動機からではない。単純に「そういうの作ってる人ってなんかかっこいい。」から(笑)。あまりにも典型的な夢追い人で、自分で書いてて笑ってしまう。「好きなものに仕事で携わるとして、具体的に何をするのか。」をちゃんと考え始めたのは就活スタートの時期くらいで、気づいた頃にはだいぶ遅れを取っていた。周りのみんなは私を置いて、どんどん夢へのステージを駆け上がっていった。21歳にして初めて、頭の中で考えを巡らせているだけでは、自分の世界は何にも動いていかないことを知る。
ぼんやりと、でもぼんやり抱え続けるには大きすぎる変な憧れを捨てきれないまま、21歳の私は進路選択を迫られた。当時の私は今よりもっと自分自身への評価をきちんとできていなくて、実際よりも4割増しくらいすごい人間だと勘違いしていた。「特別なことをやれる人間なんだ」と冗談じゃなく、本当に思っていた。何者かになれるほどのことを別にしてないのに、だ。全く笑える話である。大学時代、シンガーソングライター育成コースみたいなのに何かの縁でお世話になっていて、そのコースには本当にすごい子がいっぱいいたから、その中にいる自分だってきっと何者かになれると信じていたのだ。でも曲を沢山作って挑戦し続けることができなかった。反応薄かったら怖いし、所詮そういうのって顔でしょ、だって顔が可愛ければ曲がクソでも売れるんでしょってその時は本気で思ってた。私はあの子たちより良いの作れるけど、顔があかんもん。頑張ったってしゃーない。そう思ってた。SNSで定期的にコンテンツをアップしたこともないのに、「そんなことをやってフォロワーを稼いでいる女なんて」、と嫉妬でどうにかなりそうな心を必死で守ってた。当時サウンドクラウドに7曲ほどアップしてから、それ以降今に至るまで何にもしていない、怠け女の戯言である。どうしたら宇多田ヒカルになれるのか、なんて考えてたって参考書はないわけだし、当たり前だけどこればっかりは本人が挑戦し続けないと見つけられない道なのだ。何もしていないうちは、頭でいくらスンバラしいことを考えていたって、「作る者」になりたい気持ちがあるのであればとにかく作らないと何も始まらない。全然ダメなのだ。至極当たり前のことではあるんだけど、私にとって「作って世の中に投げ続ける」ということはとっても難しいことだったのだ。
「作る」ことに命をかけられなかった私は就活を始めた。とりあえず全力で取り組めそうな興味のある業界の企業に片っ端から応募した。音楽業界は一切受けなかった。映画会社、出版社、映像制作会社、アニメ制作会社を中心に受けた。学生生活で人よりアピールできることは音楽しかなかったので、音楽活動のことを面接で言うものの、他業界の企業でそのアピールは、当たり前のように反応が悪かった。単純に私の話し方が下手だった説は置いておくにしても、人によっては「なんでじゃあ今ここで面接受けてんだお前?」とでも言いたげに露骨に嫌そうな顔をする面接官もいた。そりゃそうだ。中途半端な学歴に加え、自社にあまり関係のない分野での中途半端なクリエイター活動…。食いつく演技をする方が難しいだろう。私は就活にわりと苦しんだ。そもそも1〜3月あたりに選考が始まった大手出版社は筆記試験すら通らなくて、面接まで漕ぎ着けられなかった。面接も沢山落とされて、その時やっと「自分は何か特別に優れている」という勘違いを頭の中から吹き飛ばすことができた。
私は別にみんなと同じなんだ。悩んで、友達の進化に焦りながら自分も頑張って、後ろを向くこともある、そういうみんなと同じだ。だったら変なプライドは捨てて、できないことは素直に認めて、やりたいと思うことをこれからは全部行動に移していこうと思った。そんな風に思えてやっと今の会社から内定をもらえた。これは、今まで行動に移さなかった私を神様が試しているんだとすら思った。作りたい物を、絶対作ろう!と思った。
編集者というのは、中学生の卒業文集に将来の夢として書いていたほど、私にとって憧れの職業のうちの1つだった。作家との熱い思いのぶつかり合い、作品が世に出てベストセラーになった時の感動・・・。出版社が舞台のテレビドラマは毎年沢山あって、どれもそれは本当だと信じたくなるほど素晴らしい希望に溢れて、熱気がすごくて、早く働きたい!と入社前はAmazon Prime Videoで見返して意気込んでいた。でもその気持ちは、実際に働き始めて今年2年目に突入し、やっと担当本を無事発売できた今でも全然変わらない。むしろ、日本中にじわじわと本が渡っていく過程をわかったからこそ、「売る」ことの難しさを身を以て感じたからこそ、もっともっと頑張りたい!とムンムンしている。
『THE FACE』の著者であるChargaffさんは、私がちょうど「作る人」に漠然と憧れていた頃くらいの年だ。商業出版しているイラストレーターの中ではダントツに若いと思う。でも彼女は、あの頃の私よりも何十倍も何百倍も大人で、繊細で、そしてタフだった。まだ学生でありながらSNS上で自分の作品をアップして挑戦し続けている。自分のイラストを客観視して試行錯誤を続けながらさらにイラストをブラッシュアップしている。そんな人に仕事をお願いできるなんて、最高の仕事だなと実感した。カバーの最初の色校を見た時の感動は一生忘れないだろう。

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学生の頃からよく、「まず最初の作品を完成させられない」という話を聞く。それはとてもわかる。そりゃそうだ、0を1にするのは本当に難しい。正解がないし、その創作行為に意味があるのかと自問自答し始めると無意味な気がしてやめたくなってくるし。それは途中で作ることを投げ出した私だからとってもよくわかる。でも、今編集をしてみて改めて思うのは「やりたいという気持ちがあるんだったら、1秒でも早く世の中にそれを出した方が良い」ということだ。人間いつ死ぬかわからないのもそうだし、沢山作ってやっとわかることもあると思うのだ。林真理子さんが『小説8050』の発売に際して行われたどこかのインタビューで『まだまだ傑作を書ける気がする、もっともっと小説を書きたい。』という旨のことをおっしゃっていて、それが忘れられない。林真理子さんみたいに今まで何冊も”傑作”と呼ばれる作品を生み出した人が「まだ、もっと」と今日もきっとあくせく手を動かしているのだ。私なんて、まだまだこれから。今卵がやっと親鳥の中から出てきた感じだ。ピヨぴよ。
まあ最初の話に戻るが、私は今のところ、誰かを救える可能性のある仕事はしていない。自分を救い、自分が心からすごいと思うクリエイターに愛をいっぱい伝えるという感じだ。でも、多分これは間違いではないんだと思う。もっと難しい考えなければならないことって山ほどあるんだけど、今の私は色んな人の意見を聞きながら、でも自分に正直に沢山作ろうと思えば良いんだと思う。
ということをずっと頭の中で巡らせていましたが、文章で書いた方がスッキリすると思って書きました。完。

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ブログとnoteどうやって続けていくか今考え中ですが、書くことはスッキリするし好きなのでゆるく続けてみようかと思います。

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