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Yes! I am a REFUGEE

極めて力強く彼は言った。

僕はパレスチナ難民だ、と。

初めて会ったのはベツレヘムのマンガースクエアだった。
それから何度も見かけお互い顔見知りとなり友人となった。
今では親しい友人の一人だ。
難民と聞くと逃げてきたばかりの人を想像するが彼は生まれながらにして難民なのである。
パレスチナは70年占領下にある。高齢の人だと70年間難民である人もいればこの友人のように生まれながらに難民の人もいる。
彼はベツレヘムにある難民キャンプで生まれ育った。パレスチナ難民3世だ。

ここは貧しくて汚く見えるかもしれない、けど僕らにとってはスイートホームでホーリランドなんだ。

彼の先代、先先代は故郷に戻ることなく亡くなってしまった。
今はベツレヘムの分離壁そばの墓地で眠っている。その迫害は墓地にまで及ぶ。
分離壁にある監視台からゴミが降ってくるのだ。

ご両親から引き継いだキャンプにある家に暮らす彼だが1年の大半はフランスで仕事をしている。

フランスのパスポートも持っているよ。でもパレスチナ人だから。パレスチナパスポートは何があっても手放さない。ここは僕の家で僕の育った土地なんだ。

これ以上奪われたくないよ。

不在にしている間に破壊され占領された村もあった。
軍事訓練をするので2、3日避難しておいてください、と親切に言われた結果そのまま乗っ取られた村もあった。
不在にすることへのトラウマがあるのだろう。

彼はUNRWAの学校へ行き努力と運の良さの結果フランスへ留学することになった。

自分の家が好きだよ。ここには幼い頃からの友達もいる。
インシャアッラーって言葉が嫌いなんだ。ムスリムの家に生まれたけど、
僕はムスリムをやめたんだ。インシャアッラー、神様の思し召すままに

神の御心で70年の占領があってガザはあんな状況で神様の気持ち次第で自由がなかったり、また奪われたり人が死んだり・・・そんなの嫌だ。

インティファーダーのあとくらいだったかな、学校の帰りにパレスチナの旗を手に持ってたんだ。そしてらあっと言う間にイスラエル兵に囲まれたんだ。だから今でもエルサレムには行きたくない。チェックポイントでイスラエル兵に囲まれて尋問を受けるでしょ。

わたしもイスラエル兵が走ってきてわたしを囲んだことがある。その肩には自動小銃を携えて。大人のわたしも恐怖を覚えた。何も悪いことをしていないのにわたしの頭はフル回転して何て答えようかたくさんの言い訳が浮かんできた。
小学生の恐怖はいかばかりか。その恐怖心は今もなお彼の心に残っているのだ。


難民であることは恥ずかしいことじゃない。恥ずかしいのは難民を生み出してしまう政治だ。



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