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美味しい味、美味しい感情〜終結編〜

私ってガチのインドア派なのかなと気づいてしまったお正月です。こんにちは、Threebread店主です。
今回はずっと疑問だったテーマの終結編。店主の脳内整理にお付き合いください。


美味しいと言われること

私は食べ物を作っています。お客様から感想をいただく場面も多々あります。そこでいわれる『おいしい』という言葉。私は常々この言葉に疑問を抱いていました。

その言葉を疑っているのではなくて、色んな方から同じ言葉をもらうことへの疑問です。
…何言ってるか分からないですよね。

おいしいってかなり主観的な感覚です。
それを多数の方が同じ感じ方で『おいしい』という表現をしているのかという疑問です。つまり、美味しいってなんだという疑問。

何がどう美味しいとまでは伝えてもらえませんからね、随分長い間私の中でのテーマでした。


自宅で作った試作エピ


味覚としての美味しさ

みなさん、食べ物をどれくらい感じながら食べていますか?
私は味覚が鋭い方です。味による好みもはっきりしていますし、極端な味のものは好みません。

以前も記事にしましたが、私は素材の味のチャートみたいなものが頭の中に存在しています。
また、お料理というかそのお皿、そのシェフの味は、味覚から感じた印象を抱くことが多いです。例えば、物語を感じる味、元気になる味、プライドを感じる味、などです。

何が言いたいかというと、味覚による美味しさとは、種類が沢山あるということです。何がどう美味しいのか、それらを五感で感じた上で辿り着くのものが味覚による美味しさなのかなと、自分自身を踏まえると思います。

余談ですが、私は一度食べたパン屋さんのパンはその姿で分かることが多いです。小麦粉には特に敏感です。

年末、味噌を仕込みました


感情としての美味しさ

味覚のような五感の美味しさと相反するものとして、私は感情としての美味しさがあるのではないかと思い始めました。

お店の雰囲気、店員さん、サービスなど、商品を通して提供されるサービスは、商品のイメージを印象づける大切な要素だと思います。好みのサービスを受けたらやっぱり嬉しいですし、商品にも好印象を抱きやすいです。私もそうです。

あのサービスをしてくれたお店のものは美味しいに違いない、といった信頼による「おいしさ感情」は当然あると思います。そしてそれは間違った感情ではないとも思います。

勿論、商品のクオリティは問われますが、こういった感情による美味しさというのは、私たちが言葉として使う『おいしい』の中にかなり含まれるのではないかと最近気づきました。


初売りに出したい「Wベリー」

一つの言葉


私に寄せられる『おいしい』も、沢山のバックグラウンドから発せられる言葉だったという訳です。私はどちらかというと味覚を感じやすいので、感情からの『おいしい』に気づくまで時間がかかりました。

『おいしい』という一つの言葉に沢山の理由があることに気づいて、またそれが整理されてとても気持ちが良いです。
同時に、人というのは様々な感情や感覚を働かせながら生活しているのだとも思わされました。

これで私の『おいしい』への疑問は終結だと思います。

たった一単語ではあっても、言葉の深さを考えるには十分すぎるものでした。
そして、このテーマは自分自身を見つめるきっかけにもなりましたし、他人への感覚へ思いを巡らせる、大変難しくもあり、楽しくもある壮大なものだったと思います。


早く商品化したいイタリア


おいしいは主観であり総称です。私は自分のおいしいと思うものを作るしかないですし、そこに共感してくれるお客様がいることは大変ありがたいことだと思っています。

味覚もパン作りも経験に因る所が大きいです。自分の『おいしい』をアップデートしながら、これからもパン作りしていきたいです。

こんなお金にならない事を日々考えている店主ですが、今年もnote、お店共にどうぞよろしくお願いいたします。

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