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”意識高い系”という『マトリックス』のような世界観

 みなさんチームワークしてますか??
No.3代行を事業としてやっているthree.Tのウエツです。
最近読んでいる本に、「フロー(無我夢中状態)を作り出す」というものがあって、そのためには「Struggle(もがく)」を経て「デフォルト・モード(リラックス)」にすることが大切だと書いてありました。
そのデフォルト・モードは、SNSを見たりとかゲームをしたりする(退屈しのぎ)ことではなく、「特に何かに注意を向けていない状態」だそうです。
人によって様々違うとは思うのですが、ボクの場合はトレーニング中が多いのかなと感じています。
トレーニングの中でもランニングです。
あまり多くの情報を入れながら走るとツラくなってしまうので、基本音楽を聞きながら走ることが多いです。
そんなStruggleのあとのデフォルト・モードは、ひらめきを生みやすいとか。
この記事も、ほとんど走っているときに頭の中で整理したことです。
走りながら書けたら最高なんですけどね笑

辞めてどうですか?と聞かれることが少なくなった

 記事で何度も書いているけれど、ボクは大学を卒業して大手機械メーカーに就職した。
そこでは会社とは何たるか、営業とは何たるか、経営とは何たるか、を一通り大まかに学ばせてもらった。
どれも特段「学びたい!」という気持ちが強かったわけではないが、やはり社会人たるもの、そういったことを知らなければならないとは思っていたので、少なからず前のめりだったとは思う。

 ただ、毎日学んでいたという感覚はないし、それこそ基本的にきっちり就業時間内で仕事をしていた。
家に仕事を持ち帰ることはなかったし、土日も仕事がなければ仕事の将来とか未来とかを考えたりすることもなかった。

 ところがどういうわけか、ある時を境に、「これでいいのだろうか」という疑問が頭の中に浮かんだ。
学生時代は、勉強でもいい、スポーツでもいい、何でもいいのだけれど、成長しようという意欲が強かった気がする。
それに比べると、学ぼうという姿勢は弱くなっていた。
社内的な知識や経験値が上がっている自負はあったものの、それが外の社会に出て通じるものなのだろうか、果たして生きていけるのだろうか、と感じるようになっていた。
 そう感じることが幸せではないと思う。どの環境でどうやって生きていくのが幸せかは人によって違う。
少なからずボクは、そこに何か違和感のようなものを感じてしまった。

 とはいえ、会社や一緒に働いた諸先輩方、同僚、後輩が嫌になったわけではない。
そのときはなんとなく「このままだとマズイ」という気持ちが強かったように感じる。

そしてボクは会社を辞め、まったく別の業界に転職をした。

 すると、やはり外のことが知りたいと思う人たちは少なからずいて、その人たちがボクに連絡をくれた。

辞めてどうよ?楽しい?

そんな他愛もない会話だったのを覚えている。
ほとんどが同じような内容だったけれど、ボクはとても嬉しかった。
知らない業界でいっぱいいっぱいになり、日々闘っている。
成長している感覚はあったが、やはり辛い。
そんな中でエールを送ってくれるかのような、以前一緒に闘っていた方々の温かい連絡。
とても助けられた。
きっと真相は違うこともあっただろう。
心配されていた部分だってある。
嘲笑されていた部分だってある。
それでもボクにとってはとてもありがたいものだった。

 その後、もっと違う働き方を進めていく中で、「これは常に学び続けなければならない」とヒシヒシと感じるようになっていく。
勝手に朝早く起き
夜遅くまで働き
隙があれば学ぶ

そんな日々。
きっと久しぶりに連絡をくれる人たちは、なんだか考えが変わっていくボクを見て
あいつどうした?なんかちょっと変わったような…
と思っていたのではないだろうか。
ボク自身、急に変わったということはないし、以前とそんなに変化はない。
ただ、

頑張ってます!
なんとかやってます!

と答えることは少なくなり、

今はこんな感じですね
こういうことを始めようと思ってまして
こういう世界をつくりたいからそのために動いてます

と訳のわからないことを言うようになったやつ、という風に捉えられていることもあったのではないかと思う。

なんとなく、ボクのところに、仲良くさせてもらっていた先輩や後輩から連絡が来ることはほとんどなくなった。

マトリックスのような世界観

 あまりにも有名なのでご存知の方も多い『マトリックス』という映画。
少し難解で、初めて観たときは、衝撃と難しさで頭が混乱したのを覚えている。
けれど、そういった難解で頭を使うような作品は結構好きなので何度も同じものを観たり、シリーズ作品を通して観ていく中で、だんだんと作品の本筋が明確になっていった。

 ボクのところに連絡が来なくなったのはきっと、いわゆる世間でいう”意識高い系”のような発言だったり表現だったりが多くなったからだと感じている。
ボクはまったくそのつもりはないし、昔からの友人とも変わらずに仲良くしているけれど、社会人から一緒に活動してきた人たちにはそう見えているのかもしれない。

 他人の感覚なのでまったくわからないけれど、そんなこともあるんだろうなーと考えたときに、この『マトリックス』がフラッシュバックした。

ジブンが見ている世界は本物なんだろうか
目覚めたら実は全く違う世界なのではないだろうか

どちらが正解でどちらが不正解ということではない。
その世界にいる当人たちにとってはそこが本物の世界。
疑う余地はないし、疑う必要もない。
それでも、どこかに「あれ?なんだかおかしくないか?」と思う点があった人はそれを調べようとしてみる。
本来はどうあるべきなんだろうと学ぼうとしてみる。
すると違う視点や考え方が増え

あれ?なんだこの世界。

と感じたりすることがある。
マトリックスのように「目覚める」なんていうのは大げさ過ぎるけれど、世界観は近いような気がする。

”意識高い系”なんていうものはない

 いろんなところで同じような話を何度もしているけれど、
人それぞれ価値観や幸せの定義は違うのだから何が良くて何が悪い
ということなんてひとつもない。
”意識が高い”とか”意識が低い”とかもない。
ただ、学んだ方がいい、学んだ方がジブンの幸せに近づく、と考えている人たちが学んでいるだけであって、何も悪いことではない。
ましてや
オマエ”意識高い系”かよ笑
と揶揄されるようなことでもない。

いいじゃん、学びたいんだから。

逆に、そうやって揶揄する人(冗談ではなく本気で)を見ると
本当はアナタも学んだ方がいいとわかっているけれど、学んでいないジブンを正当化するために揶揄しているんだよね
と思ってしまう。(はい。黒ウエツです。)

マトリックスに出てくる人物の1人(サイファー)がエージェントに言ってマトリックスの世界に戻してくれるようお願いするシーンがあるけれど、それはそれでいいと思っている。
もうひとつの世界を知った上で、ジブンで選択したのだから。
(人を巻き込むのは良くないけれど)
ただ、もうひとつ(現実)の世界を知らないでそこに留まるのはもったいない。
だから、”意識高い系”じゃなくてもいいから、ジブンが興味のあることからでいいから、みんなにどんどん学んで欲しいと思っています。

ボクの周りには今、経営者の人たちが多いけれど、本当にみんな”意識が高い”
ボクが”意識高い系”なのかどうかは知らない。
きっと本当に”意識高い系”の人たちから見たらまだまだ”意識が低い”やつでしょう。
でもきっと、”意識高い系”の人たちには”意識高い系”という世界は存在しないんです。
そういう人たちばかりいる世界があり、特別変わったことではないということを知っているのだから。

 まあ、仮にそんな世界にいたとしてもボクなんて、ジブンのこどもたちから
パパは”意識高い系”だもんね笑
と嘲笑されて
いやいや、パパが”意識高い系”なんじゃなくて、君たちの”意識が低い”んだよ
と本気で小学生に反論するような”器の小さい”人ですけどね…


GOING MY WAY.

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