見出し画像

"推し"という言葉がなかった時代に


"推し" とは一体いつくらいから使われるようになった言葉なのだろうか。

そもそも「推し」一推しメンバーからきていて、「推しメン」がさらに略されたものだ。主に自分の好きなキャラクターだったり、実在の人物なんかに使ったりする。



最近、w-inds.のメンバーである緒方龍一のグループ脱退が発表された。

w-inds.は今年で結成19年の3人組ダンスボーカルユニット。急な発表と記念すべき20周年を前に脱退というなんとも残念な結果になってしまったことに、ファンの反応も様々なようだ。



彼らがデビューしたのはわたしがまだ小学6年生だった頃、2001年の話だ。

渋谷で路上パフォーマンスする彼らをものすごい数の人が囲っている姿が"めざましテレビ"でやっているのを見て、「すごいな〜」と漠然とした感想を持ったことを今でも覚えている。

わたしがそんな彼らを「推す」ようになるのに時間はかからなかった。

歌って踊れて、ちょっぴりやんちゃな3人の魅力にすっかり魅了されてしまった。わたしが生まれて初めて好きになった最初で最後のアイドルこそw-inds.なのだ。


当時まだ中学生だったわたし達の間に「推し」という言葉は存在しなかった。どうやらジャニーズ界隈では、自分の好きなメンバーに対して「担当」という言葉を使うらしいが、彼らに使うのは何か違う気がした。

あの頃の「怖いものなし」な女子中学生時代は、とにかく好きでいることを前面に出すことで"推しアピール"をしていた気がする。

学校のカバンに好きなメンバーの名前を書いたり、授業のノートの表紙に雑誌の切り抜きを貼ったりして。机には自分と好きなメンバーの相合傘なんか書いていた。(ちなみにわたしは涼平が好きだった)


雑誌も発売されると片っ端から読んで、テレビに出るときは必ずビデオに録画して。それを何度も何度も繰り返し見た。不思議と飽きることもなく。
彼らが出演するCMの商品はお小遣いが許す限り買い占めたし、たまに母親が買ってきてくれたときは泣くほど喜んだ。

彼らの活動を追うことこそが、あの頃のわたしの生き甲斐になっていったのだ。

もちろんCDも片っ端から集めて、何度も何度も自然と歌詞を覚えるほど聞き込んだ。リビングのテレビを占領してLIVEのDVDをいつまでも見ているもんだから、「いい加減にしなさい」と呆れられるほど怒られたと思う。

夜中のラジオもテープに録音して何回も聞いて、その都度笑って。
思春期の眠れない夜は彼らが支えてくれていたのだろう。
部屋の壁に貼った涼平のポスターは修学旅行の京都で買ったもの。中学時代の一大行事のさなかにいても、わたしの頭の中は彼らでいっぱいだった。
その横に貼ってあるのは、母親がわたしの誕生日にプレゼントしてくれたベストアルバムの特典ポスターで、これは当時の大切な宝物だった。


ただひたすら真っ直ぐ「好き」である自分の気持ちに忠実に、他人の目なんて関係なく愛を叫べていた時代。

何とも若々しく、痛々しいあの頃の少女がいまではたまらなく愛おしい。

全身全霊をかけて、まるであなたが世界の中心だと言わんばかりに「好きだ」と叫び続けていた時代。時に人はそれを"黒歴史"だなどと言うが、そうだろうか。

立派な"青春"じゃないか。

青くさくて、何だか見ている方が照れくさくなるくらい夢中で。
寝ても覚めても他のことが考えられないくらい恋に恋をして...。

「推し」とか「ファン」とか、そんな言葉じゃなくてなんかもっとこう、赤い血が通っているような泥臭くて細胞から溢れ出る愛情だった。それは

"いつまでも交わることのない、一方通行の大きな片思い" だったのだ。



あの頃のわたしは、わたし達は、きっと今よりもっと真っ直ぐで純粋だったはずだ。

好きなものを「好き」と伝える「勇気」を持っていた。

大人になると少しずつ憚られてゆくものだが、決して忘れてはならない大切な感情だったのではないかと今では思う。



あれからかなりの月日が流れたが、彼らの音楽はいつもわたしのそばにあった。

それこそ青春時代と呼べる日々に音楽を流せるのなら、どの場面を切り取っても彼らの曲が流れるはずだ。


やがてすっかり大人になってしまったが、つかず離れずな距離感のまま、今もまだわたしはここにいる。


今はもうあの頃のような「大きな片思い」な感情などどこかに置いてきてしまったが、だからと言って「推し」や「ファン」などといった単純な表現もなぜかしっくり来ていない。

19年というのはそれほどまでに長い年月なのだ。

赤ん坊が成人を迎えられるくらい蜜月なのだ。


他人なのに、どうしてか他人になりきれないなんだかむず痒いこの気持ちは、もしかすると「初恋の人」に抱く感情に似ているのかも知れない。

わたしの人生に彩りを与えてくれた大きな存在。

思い出すと甘酸っぱくて、恥ずかしい記憶が蘇るようなそんな存在。


「推し」という言葉ができた現代において、あえて言おう。

彼らはわたしの「初恋の人」なのだ。

いつまでも、離れても、幸せを願える...そんな存在。


これから先も彼らはずっと「初恋の人」で居続けるだろう。

1人減っても、2人になっても、3人に戻っても戻らなくても、どこに居てもきっと変わらずわたしの初恋の人たちだ。

ずっとずっとカッコイイわたしの理想の初恋の人。


19年分の素敵な思い出をどうもありがとう。







苦しいほど真っ直ぐだった青春時代を振り返って、ちょっぴり切なくなった、そんな夜でした。




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?