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やっぱり自分なんだな

考え方は自由


zoomでの認知症予防の講義で
講師の方が言った言葉

「私は絶対認知症になりたくない」
「家族に絶対認知症になってほしくない」
だから、認知症予防の講義をしていると

それを聞いた瞬間、
まだ講義も始まってないのに
zoom遮断してやろうかと思いました

認知症の方やその家族は
それを聞いたらどう思うだろう

私はとても気分が悪かったです
傷つきました
不快でたまりませんでした

一瞬でぷっちーんときました

1ヵ月経過して


ふとおりてきました

『それもありか 』

そういう気持ちを持つことも
自由でいいんだと

その時は本当に嫌な気分だったけれど

そうやって私の言葉にも
不快に思う人もいるかもしれない

捉え方も自由なんだと

共感する人もいれば
いない人もいて

私は共感を求めて
noteを始めたわけではありません

私の物語を残したい気持ちと
どこかで誰かのためになれば嬉しいなと
そう思っています


でもそれだけ言葉には意味があって
同じ言葉でも誰が言うかで意味が変わってくる



私はそんな風に思います


傷つくのか傷つけられるのか

その時は自分でも気付いてなくても

あとからじわじわ〜と
傷ついてたんだなって思うこともあります

あとになってから
あの時言われた言葉に引っかかってきて

振り返ってその言葉の意味を
聞いてみたくても
聞けなかったり

相手に悪気はなかった言葉だったり

私も友達から言われて気付いたのですが
光ちゃんから
傷ついたと聞いたことはあるけど
傷つけられたと聞いたことはないよね

確かにこれは大きな差だと思います

傷ついたは自分の問題で
傷つけられたは相手ありきの問題

だから自分の心の問題
今の自分の状況の問題
それが言葉の受け取る意味を変えることもある


誰が言うかで意味が変わる言葉
受け取る側で意味が変わる言葉

自分が言う言葉
自分が受け取る言葉


結局、自分なんだなってところに
落ち着きますね



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