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二回の北京五輪を振り返って~中国の国家戦略の観点から

史上初の夏冬同一都市開催となった北京オリンピックが閉幕しました。オリンピックを開催する国はどこでも、渾身の力を込めて開催にあたります。そこには当然ながら、様々な国家戦略的な思惑が見て取れるものです。ここでは、スポーツの観点以外の、そういった中国の国家戦略の観点から二回の北京五輪を振り返ってみたいと思います。

2008年と2022年の印象の違い

2008年の夏の北京オリンピックも今回のオリンピックも芸術面の総合演出は世界的な映画監督であるチャン・イーモウ監督でしたが、両者の印象はだいぶ異なるものでした。

(北京2008については、以下の記事も参照ください。)

もちろん、夏のオリンピックに比べて冬のオリンピックの方が全体的な予算も控えめということもありますし、特に今回はコロナ禍の中です。昨年の東京オリンピックと同様、観客入場から得られる収入も限られ、さらなる倹約が求められたことは事実でしょう。したがって、単純な比較はできませんが、「派手さ」においてのみならず、押し出されたメッセージの方向性もずいぶん異なっていたと思います。

08年のオリンピックは、中国での初めての開催ということもあり、世界における中国の存在感の誇示というものが強く感じられるものでした。開会式においては、いかに中国が世界の文化に貢献してきたかが強調されていました。

08年の開会式は、中国古来の打楽器2008台によるカウントダウンから始まり、孔子の言葉「朋有り遠方より来る。また楽しからずや。」の唱和により、世界からの「友人」を歓迎しました。

9歳の少女による中国愛国歌の独唱、中国各民族の子供たちと人民解放軍儀仗兵による中国国旗の掲揚へと続き、その後、中国の歴史・文化を象徴するアトラクションが行われました。そこでは、「紙」の発祥、古琴などの伝統楽器、山水画、論語、京劇、万里の長城、シルクロード、世界各国語の共通の語源となる「茶」、英語でchinaと呼ばれる「陶磁器」など、さまざまなモチーフが登場しました。

それらは、中国の伝統文化を表現するとともに、それが世界の文化の源となっているとのニュアンスを感じさせるものでした。

加えて、08年の聖火リレー(中国国内パート)では、ネパールとの国境にあるエベレスト山頂がルートに入れられ、世界最高の頂を中国が支配していることが強調されました。

それに対して、今回22年の演出では、そのようなニュアンスはほとんど感じられませんでした。聖火リレーについては、コロナ禍ということも大きく影響しましたので、何とも比較できませんが、開会式の演出も方向性が違っていました。

2022年の開会式の演出

22年の開会式は、中国伝統の二十四節気をモチーフにしたカウントダウンから始まりました。そして中国国旗の入場・掲揚の後、氷の塊からオリンピック・リングが登場します。続く選手入場では、各国が国名の書かれた雪の結晶を掲げて入場。これらの結晶が集まり、それが月桂樹の冠を模した枠に縁どられて、巨大な結晶になります。つまり、「栄冠はすべての国、すべての選手に」ということでしょう。

次いで、人々の日常生活と冬の競技(平昌五輪の映像)が連動する映像が流れ、「倒れても立ち上がる」美しさが表現されると、続く蔡奇北京2022組織委員会主席の挨拶で「人類運命共同体」が強調されます。呼応するかのように、バッハIOC会長は "Give Peace a Chance" を唱えます。それらを前座とするかのように習近平主席が開会を宣言し、ひとしきり花火が打ち上がります。

続いて、世界の様々な人種・肌の色の人が一列に並んで同じ方向に歩みます。その後には、改めて日常の風景の画像が映し出され、”Together for a Shared Future” の文字。ジョン・レノンの "Imagine" が流れる中、スケーターが模様を描き、"Faster, Higher, Stronger, Together" の文字に続くと、 レノンが "…And the World Will Live As One" と締めくくります。

続くオリンピック旗の入場・掲揚、オリンピックの誓いの後、星とも雪ともつかないものが空から降ってきます。光り輝く白い鳩(平和の象徴)を持った多くの子供たちが入場し、合唱しながら徐々にそれが全体としてハートの形となり、選手団によってつくられた巨大な雪の結晶を包みます。そしてこの巨大なモニュメントの中央に聖火が据えられます。平和のハートに包まれて、各国・各選手が競う、そこに月桂樹の栄冠があり、聖火が燃えるわけです。

中国政府のメッセージ

言うまでもなく、今回の開会式では、中国の存在感というより、人々の宥和・連帯が強調されていました。それは、各国のアスリートのみでなく、中国国内の市井の人々ということでもあり、世界各国の様々な人種の人々ということでもありました。それらすべての人々が、共に一つの世界で生きているということの強調でした。

08年の開会式でも、中国国内の各民族の子供達が合唱する場面がありました(実はすべて漢民族の子供が各民族の衣装を着ていたことが後に判明しましたが)が、今回はその視点を全面的に押し出した印象でした。オリンピック旗の入場の際、旗を持って入場したのは、過去のオリンピックなどで活躍した中国人アスリートでしたが、中国国旗の入場の際に旗を持っていたのは、ごく一般の中国国民でした。これは、オリンピックで活躍するのはアスリートであるのに対し、中国で活躍するのはごく普通の庶民である中国人だというメッセージでしょう。

また、開会宣言の後で、世界の様々な人種・民族を思わせる人々が一列に並び、同じ方向に歩む場面は、世界のあらゆる人々が平等であり、共に一つの方向に向かっているのだという強調でした。

中国国歌の斉唱などはもちろん今回もありましたが、全体として使われた音楽は、中国以外のものがほとんどでした。ジョン・レノンの "Imagine" は言うに及ばず、オリンピック旗の入場ではベートーベンの第九(『歓喜の歌』)が印象的に用いられ、これは閉会式の選手入場にも使われました。習近平国家主席の開会宣言直後の花火の際に流れたファンファーレは、ジョン・ウィリアムズの『未知との遭遇』を彷彿とさせるものでした。各国選手団の入場の際の音楽は、西洋のクラッシック音楽が使われていました(どうしてこの国にこの音楽?と思わせるものばかりでしたが・・・。日本の選手入場の時には、チャイコフスキーの『くるみ割り人形』が流れていました)。

また、冒頭、舞台上に巨大な氷の塊を模したセットが現れ、第一回の冬季シャモニー・オリンピック以降の冬季オリンピックの歴史を振り返る映像が映し出され、最後に氷の塊の中から五輪マークが現れました。過去の冬季オリンピックの歴史の上に今回の北京オリンピックがあるということ、それら先達の歩みに敬意を表するものと捉えることができ、個人的にはこの部分に好感を持ちました。

極めつけは最後の聖火ランナー。漢民族の若いアスリートとウィグル族の若いアスリートが二人で最後のトーチを持ち、それをそのまま聖火台に設置しました。「ウィグル族が虐げられていることなど決してない」「ウィグル族は漢民族と対等に中国をつくっているのだ」という主張が込められていました。

このように、今回の北京オリンピックでは、国としての威信というよりは、中国国内そして世界各国の人々の宥和・連帯・協力というメッセージを前面に押し出すものでした。

外交的ボイコット

中国の人権問題は今回に始まったことではありません。08年のオリンピックの際も世界各地で抗議活動が行われました。特に、聖火リレーが世界各地を回る先では、多くの都市でデモ活動が行われました。今回は、コロナ禍の影響で聖火リレーが世界を回らなかったため、かえってデモが目立たなかったような気がします。開会式当日に、各地でデモが行われましたが、それほど目立っていたとは言えません(決して中国の人権問題が改善したということではなく、そのようなオケージョンがなかったというだけのことだと思います)。

それに対して、今回は「外交的ボイコット」という動きがありました。アメリカ、オーストラリア、イギリス、カナダなど10か国が「外交的ボイコット」を宣言しました。そもそもこの言葉、今回のオリンピックで使われたのが初めてではないでしょうか? これまでは、選手も含めてすべて参加しないという「ボイコット」はありました(ソ連のアフガン侵攻を受け、80年のモスクワ・オリンピックを多くの国がボイコットし、これに対抗して、ソ連は84年のロサンゼルス・オリンピックをボイコットしました)。しかし、選手は参加するが政府要人は行かないという、微妙な匙加減の姿勢をとり、それに「外交的ボイコット」という名前をつけたのは多分初めてです。

しかし、「外交的」ボイコットというと、「国と国との関係としてはボイコット」つまり「国としては参加しない」という意味合いになると思います。モスクワ・オリンピックの際に、ヨーロッパやオーストラリアなどいくつかの国が自国旗を用いず、五輪旗を用いて参加したことに類似していると言えますが、今回は各国とも国旗を掲げていました。

今回ロシアが、組織的ドーピングとの関係で、国としての参加を認められず、選手は「ロシア・オリンピック委員会」の名のもとで参加しました。一方で、今回「外交的ボイコット」をしたアメリカやオーストラリアの選手たちは、それぞれの国の名前で参加しています。この違いは何なのでしょう。自主的に国として参加しない国は国の名前で選手が参加し、IOCから国としての参加を認められない国は国の名前を使えないということになるのですね。

逆に、ロシアは国として参加し得なかったわけですが、プーチン大統領は開会式に出席しました。習近平主席と会談し、ウクライナに関するロシアの主張への支持をとりつけました。今回の北京五輪はウクライナ情勢の極度の緊迫化が進む中で行われ、このことがひとつの特徴になってしまいました。

習近平主席はプーチン大統領の立場への支持を表明するにあたり、五輪期間中はウクライナに侵攻しないことを求めた可能性もあると思います。2008年の北京五輪の開会中に、ロシア・ジョージア間の南オセチア紛争が勃発したことが、北京五輪に水を差したと考えていたかもしれません。その再来はやめてほしいと思っても不思議ではありません。

それを裏付けるかのように、2月20日に今回の北京五輪が閉幕すると、その翌日21日に、プーチン大統領はウクライナ東部の独立を認め国家承認する大統領令を発し、同地域に「平和維持」のための派兵を行うことを命じました。ウクライナ東部におけるこの流れの可能性を危惧する趣旨の記事を以前書きましたが、残念なことにそれが現実になりつつあります。

世界における中国の位置づけと中国政府の狙い

前回の08年北京オリンピックは、中国が国際社会に受け入れられていくプロセスを象徴するものでした。89年の天安門事件で激しい国際的非難にさらさされ、90年から91年にかけて東西冷戦の終結、ソ連の崩壊と続き、中国としては羅針盤の無い荒海に投げ出されました。

しばらくはおとなしく様子を見る「韜光養晦」(とうこうようかい)の方針をとった中国は、我慢の時を過ごしました。それが21世紀に入ると、徐々に国際社会に受け入れられてきました。01年には、WHOへの加盟が認められるとともに、念願の08年夏のオリンピックを北京で開催することが決まったのです。

世界的な資本主義経済の恩恵を受けることとなった中国は、毎年10%以上の経済成長を続け、十分な経済力をもって08年のオリンピックを開催します。加えて、09年のリーマン・ショックの波に各国が飲み込まれる中、中国は国家的財政出動で影響を最小限に抑えて波をやり過ごします。

世界における存在感を増した中国は、13年に習近平国家主席が就任すると、「奮発有為」を表明します。「奮起してなすべきことをなす」ということを意味し、文字通り「大国外交」を宣言したのです。ここから、南シナ海における強硬姿勢、国際金融秩序の改変に向けた動き、「一帯一路」建設による各国の取り込みなど、一連の動きが強化されていったのです。

このように、08年の北京オリンピックは、中国が国際社会において抜きんでるための手段であり、実際にそのような効果をもたらしました。世界の他の国々からすれば、中国を国際社会におけるパートナーとして迎え入れるというのが、01年の中国WHO加盟及び北京オリンピック2008開催決定だったわけです。

しかしながら、パートナーとして迎えたはずの中国が、人権や民主主義、法の支配の考え方に理解を示さず、近年では香港、台湾、ウイグルなどで弾圧ともいうべき行動を繰り返しています。つまり、08年のオリンピックはいまだ国際社会における歓迎ムードが残っていたタイミングで行われたものであるのに対し、今回のオリンピックは、中国に対する懸念が非常に高まり、自由主義世界にとっての「競争者」(本心では「敵対者」)と捉えられている中で行われたということです。

そのような世界の世論を中国はよくわかっているのでしょう。今回のオリンピックでは、自らの存在感を誇示することは控え、人々の宥和と協力の価値を唱えるものとしました。これは、いかにして中国に対する国際的批判をかわすかという姿勢によって生まれたものでしょう。

北京2020で見られたこのような中国政府の演出ですが、これによって中国をめぐる各国の姿勢に大きな変化が生じるとは思えません。世界の人々による対中認識や親近感の変化については、しばらくすればいろいろな世論調査機関が調査結果を出してくれると思うので、それを待ちたいと思います。

いずれにしても、中国が世界においてどのように受け止められているのか、それが08年と22年とでどのように変化したのかということを、かえって強く印象づけるオリンピックとなりました。

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