ソ連崩壊30年~ロシアはどこに向かうのか
ソ連が崩壊したのが91年12月。それからすでに30年が経過しました。このタイミングをとらえるかのように、ロシアがウクライナとの関係で軍事的緊張を高めています。アメリカをはじめ、各国がロシア、ウクライナ両国と協議し、軍事的衝突という最悪の事態を招かないための外交努力が続けられています。この流れを見ると、ロシアにとっての世界の状況は、私たちにとっての世界の状況と随分と異なるものなのだとわかります。一体ロシアは、どのような国になろうとしているのでしょうか。
冷戦終結をどのように受け入れているのか。
この30年、米ソ(米露)関係を主軸とする東西対立の構造は崩れ、世界は多極化していきました。旧西側の自由主義経済のもたらしてきた発展が、世界へと広がり始めました。
旧東ドイツは旧西ドイツに合流し、完全に自由主義の国の一部となりましたが、それ以外の東欧諸国や旧ソ連諸国も先を争うように旧西側の国々との関係を強化し、政治・経済関係は拡大しました。特に、NATOは99年以降、EUは04年以降、ポーランド、チェコ、スロバキア、ルーマニア、ハンガリー、バルト三国など旧東欧・旧ソ連諸国を迎え入れました。ロシアも、旧西側諸国で形成されていたサミット(主要国首脳会議)に参加するようになりました。世界の主要な問題を話し合う「主要国」の会議は、それまでのG7からG7プラス1(94年~)、そしてG8(98年~)となりました。
旧東側の国々においては、未だ民主的な諸制度が必ずしもしっかりと根付いていないという問題はありますが、この30年で見られた大きな流れは、かつて世界を分断していた鉄のカーテンが完全に消え去ったと思わせるに十分なものでした。
しかし、ロシアにとっては、全くそうではなかったのです。そのことをはっきりと示したのが、ロシアによるクリミアの奪取でした。
クリミアの奪取
もともとウクライナの政治は、ロシアとの関係を維持したい親露派とヨーロッパとの関係を強化したい親欧米派の間で揺れ動いてきました。地理的に見ても、ウクライナの中で西側の地域ほど親欧米の傾向があり、東側の地域ほど親ロシアの傾向があります。そのような中、14年にウクライナが親欧米に大きく舵を切りそうな情勢になったため、ロシアは強硬手段に出たのです。
13年の年末に、親ロシアのヤヌコビッチ・ウクライナ大統領がEUとの連合協定交渉凍結を決めたことをきっかけに、首都キエフで大規模なデモが起き、それが翌年2月まで継続しました。これによりヤヌコビッチ大統領はロシアに亡命、ウクライナで親欧米政権が誕生しました。
この親欧米政権の成立と同日、武装勢力が南部クリミアの地方議会を占拠します。ロシア政府は否定していますが、この武装勢力はロシア軍であると見られています。その後、ロシア軍と見られる武装勢力が域内各地を占拠する中で、クリミア「新政府」が成立します。この新政府によって、3月16日、ウクライナ憲法に違反する形で住民投票が行われ、ウクライナからの独立とロシアへの編入が決定されました。ロシアのプーチン大統領は、これをクリミア住民の「自由意志」による決定であるとし、これを受ける形で、18日、クリミアのロシアへの併合を表明しました
冷戦を戦い続けるロシア
ウクライナ政府は、当然のことながら、これをロシアによる武力による違法占拠と非難し、承認しない立場を表明しました。欧米各国や日本も強く非難し、各国ともロシアに対する経済制裁を発動しました。この年にロシアで予定されていたG8サミットは開催せず、代わって7か国でG7サミットをブリュッセルで開催しました。以降、サミットへのロシアの参加を認めず、7か国のみでG7として開催することとなりました。つまり、サミットの形としては、あたかも冷戦時代に逆戻りしたかのようになったわけです。
クリミアはソ連時代の1954年に、ソ連という一つの国の中で、ロシアからウクライナに移管されたという経緯があります。それを踏まえれば、ロシア系住民が大多数を占めるクリミアは、そもそもロシアに属してしかるべきというのがロシアの考え方なのでしょう。
また、冷戦後、NATOがますます東側に拡大していく中、ウクライナが親欧米に舵を切ることになれば、クリミアにまでNATO軍が来るのではないかとの危機感を募らせたとしても不思議ではありません。プーチン大統領は3月18日のクリミア編入に際しての演説で、「クリミア編入は民族自決の原則に基づいたもの」「西側指導者らは何度も我々をだまし、我々の背後で決定を下し、我々に厳然たる事実を突きつけた。そのようにしてNATOは東方に拡大され、軍事インフラがロシア国境付近に配備された」と述べています。
ここではっきりしたのは、ロシアにとって、まだ冷戦は続いているのだということです。私たち旧西側の人たち、そしてその価値観に共鳴して旧西側と関係を強化してきた旧東側の大部分の国々は、東西という区別の仕方をとうの昔に捨ててきました。どちら側ということではなく、世界全体として自由で開かれた民主的な人間社会を築いていける、そんな未来を思い描いてきたのです。
しかし、ロシアにとっては、世界はそういう風には見えていなかったのです。EUやNATOに参加する国が増えることは、まさにロシアに対する軍事戦線が迫ってくることを意味していたのです。ロシアは、地図を広げ、かつて自分の国の色に染まっていた国々が、徐々に欧米の色に染まっていく様子を見ていたのでしょう。その境目が年々ロシアに近づいてくるわけです。そしてその境目がウクライナまで飲み込みそうになった時、ロシアは「待った」をかけたわけです。
ロシアはウクライナを再侵略するのか。
クリミア併合は、言ってみればロシアによるウクライナの侵略です。そして、今、さらなる侵略の可能性が出てきています。
ロシアがクリミアを併合した後、争乱はロシア系住民の多いウクライナ東部に飛び火しました。ウクライナ東部はロシアが影響力を及ぼす親露派武装勢力に支配されることとなりました。これを受け、ドイツ、フランス、ロシア、ウクライナの間で、その平和的解決のための協議が行われてきました。14年、そのための合意であるミンスク合意が結ばれ、15年には改訂されましたが、履行には至っていません。
そんな中、19年5月に成立した親欧米派ゼレンスキー政権は、クリミア奪還をはじめ、強硬な反ロシア政策を掲げました。NATOへの加盟をめざす同政権を前に、ロシアは再び軍事的手段に出る動きを見せたのです。昨年来、ロシアはウクライナとの国境付近の軍を増強し、威嚇を続けています。
これを受け、各国がロシアに対して自制を求め、米露外相会合が断続的に行われていますが、緊張緩和には至っていません。むしろ、ロシアによるウクライナ侵攻 → 欧米による対露制裁 → 露による報復 という流れを見越して、ロシアの天然ガス供給に依存する国々が困らないよう、天然ガス供給の代替ルートの準備が進められています。
緊張緩和に向けたロシア側の要求は、やはりここでも「NATOをこれ以上東側に拡大するな」ということです。クリミア併合の際に、プーチン大統領が「西側指導者らは何度も我々をだました」と言いました。どうやら、ロシアの認識では、90年代にNATOは東側に拡大しないと約束したということのようなのです。その約束を守れというのが、プーチン大統領の主張なのです。
当然ながら、NATOにどの国が入るかどうかは、その国の意思がまず第一で、その上でNATO側が求める基準をクリアできるかどうか、ということで決まるわけです。NATO側が拡張主義的にある国を飲み込んでいくわけではないのです。ロシアがそのような疑念を抱くことからすると、ロシア自身がとっている行動原理 ーつまり他国の意思を蹂躙してでも自国の安全や利益を実現するということー が見て取れるというものです。
しかし、実際問題、ロシアがウクライナに軍事進攻するとなると、どのような理屈をつけて、どのように侵攻するのでしょうか。クリミアの場合以上に、そのハードルは高いと思います。
ロシアがウクライナに工作員を送り込んで、偽装工作を始めているとの情報もあります。ウクライナ側から攻撃があったことを装い、それに対する自衛措置だとして攻撃に出るということです。世界各地で起きている対立国同士の武力衝突では、こういうことがよく言われます。「そっちが先に攻撃した」「それはお前がやった偽装工作だ」と。ただ、そういう場合も、大幅に相手側の領土を奪うことはできません。そんなことをする根拠にはなりませんから。
クリミアについては、もともと、ロシアはウクライナとの条約によりクリミア半島南西部のセヴァストーポリを租借し、合法的にロシア軍を駐留させていました。そのため、ロシア軍をクリミア半島の他の地域に動かしたとしても、あまり露骨な侵攻という形には見えなかったわけです。実際、14年当時、クリミアにおけるロシア軍人やロシア軍車両の目撃情報が相次いでも、ロシア政府は「ロシアの軍人は休暇を利用してクリミアに行っている。彼らはビーチに行くかわりに同胞ロシア系住民と苦難を共にすることを選んでいる。」といった言質を弄して、ロシア政府としては関与していないという姿勢をとっていました。
加えて、クリミア併合については、クリミア住民の「自由意志」で民主的に決められたことだという体裁をとりました。これをウクライナ全土に広げて実現することはかなり難しいと思います。ありうるのは、親露派武装勢力に実行支配されている東部地域です。この東部地域については、事実上侵攻して「自由意志」による併合もありえるかも知れません(いえ、あってはなりませんが)。
ロシアにとっての安全保障
ロシアがこのような安全保障の考え方をしているのはやっかいです。
私たち日本人は、他の国と陸続きではないので、価値観を必ずしも共有しない国がフェンスのすぐ向こうにいるという感覚は理解できないのかもしれません。また、ロシアのようにかつて「超」がつく大国であった国が力を失い、国際社会における影響力も低下していく。そういう国の心情というようなものも、十分には理解できないのかもしれません。かつて自分の盟友だった国が次々と去っていくことに、悲哀を感じるなと言う方が無理があるのかもしれません。
そういった国の安全保障の欲求を満たし、国としてのプライドを傷つけない方法を考えなければいけないわけです。そんなことは、ロシアの問題であって、我々の問題ではないと切り捨てたくなりますが、そういうことではいけないのです。そのあたりを解決する方法、つまり「落としどころ」を各国で協力して考えていかなければならない。それが平和実現への道なのです。
こう考えると、北方領土問題の解決の難しさが身に染みて感じられます。こんなロシアのすぐそばの土地を日本に返したら、すぐに米軍がミサイルを配備するのではないか。冷戦思考のロシアは、そう考えるわけです。
今や、世界はもっと良くなっている。それをロシアにわかってもらいたいですね。時間が必要でしょうか。30年では、まだ足りませんか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?