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『ゴジラ』VS.『ゴジラ-1.0』(2)

新作の『ゴジラ-1.0』では、1954年の第一作『ゴジラ』に対するオマージュが強く感じられるということを書いてきました。

今回は人間とゴジラとの戦いについて見てみます。ゴジラとの戦いは、その主体や手法において『ゴジラ』と『ゴジラ-1.0では』大きく違っていました。ですが、ゴジラ水没の場面など、映像としてオマージュを感じさせるものがありました。
(以下、ネタバレがありますので、ご了承ください。)

第一作初公開時('54)のポスター(筆者蔵)。「ゴ・ジ・ラ」という意味不明のカタカナ三文字の登場に、当時の日本人はどう思ったのでしょうか。タイトルの前に「水爆大怪獣映画」とつけた意味がよくわかります。志村喬(下左手前)は、この年、『七人の侍』と『ゴジラ』という歴史的映画二本への出演を果たしました。

『ゴジラ』(及びその後のシリーズのほとんど)では、国(国会、政府、自衛隊)やその意思決定のもとで動く対策組織がゴジラとの戦いの主体でしたが、『ゴジラ-1.0』では、民間組織が主体となります。これは、日本の統治機構がアメリカ占領下にあり、また、アメリカはソ連を刺激することをおそれ、ゴジラ対策に及び腰だったため、退役軍人たちが立ち上がったということです。

正直なところ、このような未曾有の怪獣出現なのですから、アメリカ軍が軍事力をもって対処することには、ソ連も十分に理解を示したのではないかと思います。これを放置していたら、次はソ連がゴジラの標的になる可能性だって十分あるわけですから、その手前の日本で食い止めてもらいたいと思ったはずです。そこは、ちょっとひっかかりました。

もしかしたら、アメリカ軍が行動を起こせば、ソ連も「共同で対処すべき事案である」と言い始め、ソ連軍が行動を起こす(=日本に進軍する)口実を与えることになりうる。アメリカはそれを恐れたと理解することもできるかもしれません。

『ゴジラ』第一作で、国会報告を行う古生物学者山根(志村喬)。これまでのゴジラでは、国会や政府、自衛隊がゴジラ対策の主体でした(第一作パンフレットより)。

次は戦い方について。

当初、主人公敷島(神木隆之介)らが、地雷撤去・処理船にてゴジラを阻止するところでは、回収した地雷が使われます。地雷をゴジラに咥えこませ、そこを機銃で掃射し爆発させました。これは、スピルバーグ監督の『ジョーズ』での、サメとの最後の戦いを彷彿とさせます。ゴジラは、この攻撃で一時はダメージを受けますが、理解不能な力で傷は「修復」され、完全に回復します。

余談ですが、今回、ゴジラの水中での滑らかな泳ぎに驚かされました。なるほど、日本までかなりの遠泳をしてくるわけですから、これくらい泳ぎが得意なはずです。着ぐるみではこうはいかず、『ゴジラ』第一作との映像表現の差は否定できません。このゴジラの泳ぎは、『エイリアン4』でのエイリアンの泳ぎを思い出させました。

その後、ゴジラの日本上陸と都心の破壊があり、民間の対策組織が結成されます。そこで考案された攻撃法が、水圧の急激な変化を利用する方法でした。これは、フロンガスの泡でゴジラを包み、浮力を奪って深海に沈め、強力な水圧をかける。そしてその直後、巨大な浮袋によって海面まで浮上させる。それにともなう水圧の急激な変化(低→高→低)によってゴジラに強いダメージを与えるというものです。

顛末を言ってしまいますと、結局この作戦だけではゴジラを退治することはできず、その後ゴジラの口中に爆弾を搭載した戦闘機を突っ込ませることでゴジラをしとめることになります。

当初の機雷攻撃では有効でなかったにもかかわらず、この特攻作戦で有効だったのは「?」と思うところもあります。ただ、搭載した爆薬の爆発力が大きかったであろうこと、直前の水圧攻撃でゴジラの肉体が弱っていた可能性があること、ゴジラ自身が反撃のために熱線を発しようとして体内の放射線量を増幅させていたこと、によるものと理解できなくもありません。

これに対し、第一作『ゴジラ』では、科学者が秘かに開発していたオキシジェン・デストロイヤーという薬剤が使われました。これを水中に投下すると、水中の酸素が奪われ、水棲動物は呼吸ができなくなり、死んでしまうというものです。ゴジラは水棲と陸棲の両方の性質を備えているわけですが、水中では水中の酸素がないと生きていけないようです。

キャスクに入ったオキシジェン・デストロイヤーを見せる科学者芹沢(平田昭彦)。海中でこれを作動させます(第一作パンフレットより)。ゴジラを窒息させるには、ゴジラより下に潜り込んで作動させなければならないはずなので、かなり困難なオペレーションに思えます。

オキシジェン・デストロイヤーというのは、水に投下するとバスボムのようにブクブクと泡が出て、泡が晴れると魚は骨だけになっているという、そいういうものです。呼吸ができなくなることで骨だけになる、という理屈はいまひとつわからないのですが、そうらしいです。

『ゴジラ-1.0』で、フロンガスに包まれて水中に没していくゴジラの場面は、オキシジェン・デストロイヤーの泡に包まれて沈む初ゴジのビジュアルと重なるものがありました。ここも意識したオマージュなのでしょうか。

民間組織で、そこまでの装備を準備できるのか、俊敏な動きをするゴジラを的確にフロンガスに包み、的確に浮袋で浮き上がらせることができるのか、など、若干ご都合主義的なところがあり、『ゴジラ-1.0』における戦闘方法について正直説得力があったとは言えません。

ただ、この映画について私が最も評価するのは人間ドラマの部分でした。これは次回に書きたいと思います。

(つづく)


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